記録 2019.07.28.ほじほじagain.

*半月ほど、まったく米粒が食べられなかったのだけれど、(普通食)
じめじめ、むしむし、べたべた、じっとり・・・
食べ物のにおいすら不快だ。胃の底がいつもより10センチはあがってきているかのようだ。
お茶ばかりがぶがぶ。身体にいいわけないよね。
わりと肉体労働でしっかり食べて(食欲わかなくとも食べないともたないので)汗をかき、の方が健康的なのかもしれない。

だるいこと、動きにくいこと。
普通に立っているだけ、座っているだけでも「ひぃ〜」という感じ。
たくさん寝ていても昼間中なまあくびが絶えない。
会社の空調が、●というわけじゃないんだけど、総じて湿度が高くて。
室温は25度〜26度なんだけど、湿度が70%台あたり。紙がくるりとまるまります。うわーん。
J&Jの卓上アルコールをよく使うんだけど(PCや電話を時々拭く)、拭いたあとが、なかなか乾かないのね。
アルコールなのに。そういう湿度。オフィスなのに空調が効いているのに外から移動してきて「むっ」とする。
許可されれば(ものを干すわけではないが)除湿機を置きたい!!って思う。
(また会社用に自腹で買う〜)
(家では留守の日中も除湿機をぶんぶん回す。この季節は日に3回タンクが満杯になる。室温は28〜30度でも湿度は40%程度に調節すればそんなに不愉快ではない、と私は感じる。)

ここ数日、漸く、「ふわっ」と「からっ」とした大気を感じる瞬間が増えた。
やっぱこれ精密気圧計ついてるわ。
気圧とメンタル。天候季節とメンタル。
Watch outしていこうと思いましたです。(今更か・・・)
少し、動けるようになった感じがする。

家に帰ったら空気清浄機とエアコンをオンにして扇風機をつけて電気は点けずにふとんにめりこむ。
でなく、電気をつけて少し動く、が出来るようになったと思う。
生協のお届けものを冷蔵庫に入れるとか、
お風呂のついでに掃除したり、
歯をみがいてからふとんにめりこむとかさ。(・・・)
マジで風呂どころか化粧どころか
最低限の洗濯とか、(ピー♪・・・今から干すのかーっ(頭を抱える/立ちあがりながら立ちくらみ←それほどなら諦めたら?なのだが・・・wまあ始めてしまえば5分なんだけどねw)出かける前に日やけどめ塗るのも「ぜいぜい」(肩で息)状態だったからね。(・・・)
全く、毎年毎年、40回も、どうやって乗り切ってきたんだろうか。

感じない、で、とにかく、ごり押す。ばかりだったんだろうな。
しんどくてもさ、何事も何事もていねいに感じて。
いけば、きっと普通は感じ落としてしまう「プラス」も、くみ取りえる者になれたかもなのに。
いえ、日々、この瞬間より。感じる、は改めていくことはできる。
よりよく、必要な学びを進められるように、やっていくべきですね。
派手に嘆きうる者ほど「今」「自分」「感覚」を粗末にし、
未来、他者、世界に向けた努力をしていないもの。
・・・ま、善悪というよりもそういう傾向
ということで。

善悪・・・正邪・・・
でもやっぱり、小さな子どものように、もし、○○だったら。とは少しは思うよ。
もう少し、「自分が自分が」っていう自分のことしか見えてないお母さんではなくて、
子どものことをまともに見てくれるお母さんだったら。
私の話を聞く気のある人だったら。
(と言うか人の話を聞く人だったらw)
私の受け取り方、感じ方を大切にしてくれる人だったら。
自分の感じたとおりに脊髄反射でw返すのでなく。

自分のことで精いっぱいで、妻と子どもと過ごすのがいやでたまらない。お父さんでなくて、
少しはお母さんのことが好きで、娘たちのことが好きで、
お母さんとお父さんの話がお互いに通じていて、
あのへんな緊張感がない家だったら。

普通の両親&家じゃねーか!!なんだけど、その普通がものすごい贅沢だったの。
しかも、それに気が付くのに何十年もかかったの。
心を病むことなく、まともに育った妹の方が少しちょっと本当は変わってるんじゃねえ?とすら最近は思ってる。
「逆じゃね?」みたいな。
ま ちょっと遠くから見たら「今更か」wって感じなんだろうけれどね。

*ほう。乳腺石灰化、要精密検査。
調べるとほとんどは良性だが、悪性のものは乳がんが存在している結果のこともあるという。
人生は短いよね。
毎日毎日を過ごしきるのに「ぜいぜい」(肩で息)という感じだけど。
完璧な終活って。
早いうちから調べて、備えておきたいものだよなあ、と改めて思う。
職場の人が「無断で遅れたり休むことはまずないから」と派遣会社や人事に問い合わせて発見されるのが一番いいね。
いつもそういう勤務態度の人でありたいね。
余命がある程度わかる「病気」の場合、本当にぎりぎりまできっちり働いて引継ぎもして、
法定相続人、後処理の業者の人も自分で指定。
いろいろな「仕事」「職場」をExitしてきたけれど、
なるたけきれいにExitするように心がけてきたけど、
人生のExitもまた基本は一緒だろうね。

と 考え
特に何もやり残したこと
まだ生きてやりたいこと やってみたかったこと 行ってみたかった場所
一緒に過ごしたい人
があるわけじゃないんだな。と、人間としての異常さを思い知る。
とことんまで上の世代にいいようにabuse濫用され消費されつくした人間のなれのはて。
つくした?過去形?
いやいやいや。まだまだ*んでない。取れるもの取るき満々でしょう。そして私はまた抵抗できないんだろう。
(-__________-)

それでも「やだー、そんなこと言わないでよー。私が*んでいく時、○○ちゃんを幸せにできなかったって、残念に思っちゃうじゃないの」
いつか言ってたなあ。病気のことを話していたあたりかな。
どこまでも、生んで育てた子どもは幸せに「した」と思いたいんだな。とだけ思って、
病気の話は、病気で生きることがつらい苦しい話は、やっぱりこの人には出来ないな、となったことは覚えている。
「生きた証を残したい」
「私が*んでいく時は」
「私にもしものことがあった時は」
なんであんなにこんなフレーズを多用するんだろうなあ。
私の小さな頃からそうなんだけど。

「お母さんが*んだら」
「お母さんがいなくなったら」
昼寝をする時は顔に白いタオルをのせる。外でもそう。
テレビや映画でそれが何なのか知ってからは「恥ずかしいからやめて」に近い感じを長年感じていたが。
何だありゃ。と今書きながらでも。
子どもが言うことを聞いてくれないと「*んだふり」
「やだーやだー言うこときくからー」とがくがくゆさぶると
「生き返ってくれる」w

交通事故の話を聞いてきては「*歳と*歳の子どもがいるお母さんだったんですってよ?即*で。ほらあそこの交差点。花束がいっぱい置いてあったでしょ?かわいそうだわー気の毒ねー(それがあなたのお母さんでなくて、よかったわね!!)」
いつも車でそういう花束が置かれている交差点や事故現場らしいところを通りかかると運転手の母が何を言い出すかと緊張していた。
また自分が**に遭ったらどうするんだ、みたいな「縁起でもない話」をもちかけてくるのではないか。
逆の、母が加害者になって、交通刑務所に入ることになったら、みたいな話をふってくることもあった。
「ああっ!!危ないっ!! 何なのっ!!(歩行者や自転車に叫びながら)ぜーんぶ車が悪いってことになっちゃうのよ。あっちが悪くても!ケガさせたり*なせたら交通刑務所よ!!お母さん」

「いやだ。お母さんにそんなことがあったら困る。」という娘の緊張した面持ちがたまらなかったんだろうなあ。
配偶者に無視され続けようが、
ママ友の一部には「こんなに私はがんばってる」子育てを批判されようが、
子どもは、適当に脅せば「私の思うように」操れる。
それは子どもは大事で大事でしょうがなくなりますよね。
条件反射のように母が望むそういう表情や「お母さんがいないと困る」的発言を返してあげる娘も娘なんだが・・・
車の運転がうまく、好きな母なんだが、乗せられている私は、本当に運転の巧拙でなく、いつも緊張しっぱなしだったと思う。
ま 今でもそうなんだけど。
ずっと。何を見つけて何を言い出すか。あの口ぶりで、身振り手振りで。と身構える。

21世紀に入って
いつも傍にいた長女が(逃げ出し)居なくなってからは
周りに居る人間(父と妹)は操られてくれないから、ますますオーバーリアクションに磨きがかかり。
私なんかはいちいち「びくっ」となるような感じに「激化」している。
「ああもう本当疲れるのよ、あなた以外の人間と話していると!!すぐ自分の意見を言う。私に同意しない。私の期待する態度をとらない。やっぱりあなたが一番、『話して』いて、楽っ♪」
言われたことはないけど、本当はいつも、父と「話」しながらそう思ってんじゃないかなあとまで今は思う私(呆)。

そういう極端な話題を出すと、いやでも相手は自分を見てくれる、ことがわかっていて、彼女なりのコントロール術だったんだろうな。
感情的過ぎてその場その場過ぎて
支離滅裂、一貫性なしに関してノーケアすぎて
私はどうしても「頭が悪い」と思うんだけど、(ここまで操られておいておまいうだけど・・・ ・・・)
無意識に計算ずくなのでやっぱりずる賢くはあり平均以上に頭はよくあるんだろうな。

賢かろうが努力ができようが、
私の感じとしてはただただ、「恥ずかしい」。
急に雑になった感じだけど、今日のところはこのへんで。

記録 2019.07.26.またちょっとシモいよw(注)

*大人の心に切り替えると本当に楽だなあ。

身体は毎日毎日蒸し暑くてしんどいんだけど。
なかなか交感神経優位に切り替わることが難しい気候なのだとか。(どうしても鬱っぽくぐんにゃり)
気圧が自律神経に影響する、
空気中に水蒸気がおおいと息がつまる、
なんて初めて聞いたけど、意識してみると確かにそうなのかも。
加えてたくさん汗をかくのに蒸発してくれないから(いつまで経ってもべたべた・てかてか
(-__________-;))体温調節もうまくいかないし。
過食症のさしもの私も 外から、温度湿度が調節された部屋(少し、外よりも「からり」で温度が低い)に入って少し経たないとものを食べようという気が起きないもん。
そばで食べられてもにおいで気分が悪くなってきたり。
体調が悪くならない方がおかしい、時季なのかもね長夏。
◆ちょうか。中医学用語。
◆春・夏・秋・冬…日本は四季が豊かですが、ここにもう一つ、梅雨という雨期が40日近くあるので、実は全部で5つの季節があるとも言われています。中国では長夏は夏の終わりの一か月を主にさしていて『湿』の影響が大きい時期です
中医学では高温多湿(むしむしと暑い)の季節を「長夏」と呼びます。中国の季節としては夏から初秋の頃ですが、日本では「梅雨」がこの気候に当てはまります。この蒸し暑さは胃腸(脾)に影響を及ぼし、体に「痰湿」を生みます。

*このところ週末もお出かけ。
今日は健康診断に。
派遣であっても1年に1度、派遣会社から健診を受けてください というお知らせは来る。
病院リストがついているので適当に選んで電話して予約するんだけど、
今回はエステサロンかってほどおしゃれな「病院」で、
どすっぴんでもっさりで行ってしまって本当に後悔だったなあ。
健診だけどウェアに着替えるけどフルメークでいくところだありゃー
きれいな看護師さんや女医さんばっかりだったしな。
制服もBAさん?CA?エステティシャン?!だし。ホテル接客風トークだし。
デリケートな用語の交じる質問は声に出して言わないのだと感心。
紙に書いた文章を指して「あてはまるものはありますか?」。
(私は別にいいんだけど、寧ろ病院なんだから大声で言ってもいいだろくらいに思ってるんだけど(ガサツ・・・)気にする人に配慮してるんだなあ)
明るくて窓が大きくて天井が高くて待合室のソファがまたおしゃれ。
ホテルのレセプション階か空港の特別ラウンジみたいにでっかい花や鉢植え。
マガジンラックの雑誌も「ジャニー喜多川死す 遺産50億のゆくえ」「下流老人あなたは大丈夫?」とかの週刊誌とかじゃなくて、
エステサロンやオシャレ美容室のチョイス。
「○○医院」ってマジックで書かれてるんじゃなくって、きれいな透明ビニールのカバー。
更衣室がまたホテルのスポーツジムかっ てくらいラグジュアリ〜
ふっかふかの絨毯敷きででっかい鏡があちこちにある。明るくていいにおいである。
薄暗い前室のシューズボックスの部屋で全脱ぎして靴箱に荷物も着替えも何もかも入れようとしてしまったよ。(ブーツの季節対応なのかシューズボックスといっても普通のコインロッカーサイズ)
奥の方に更に縦長の大きいロッカーがいっぱいある明るい広い部屋があって赤面。半裸で移動。w
スリッパも使い捨て。(でも持ち帰ってまだまだ使いたい風)
個包装のソックスまで「ご自由にお取りください」
むしろ殺風景な病院で薬品臭く、職人気質な看護師さんと(言葉が悪いが)小汚い風のおっさん医・技師の方々。の方がリラックスできたのだが。
特に婦人科。若くてきれいな女医さんでした。・・・・
この科の医療従事者はことさらイケメン美女はかんべんしてほしいです。
もずくハゲおやじ(失礼だなー)医+手慣れたおばあちゃん看護師がベストです・・・(失礼だな)
自分で見ても「行儀が悪いんだよね」(でも今更手術をして整形しようというほどでもないが ちゃんと「たためば」こすれて痛いかゆいってほどでもない)
牛肉切り落としを買ってきて野菜と甘辛炒めにしたんだけどちょっと生焼けの部分が残っちゃった肉片をそのまんま移動してきましたっていう外観だからな(・・・・)
くちゃくちゃの牛肉炒め。男どもはマジで何がよかったのか。
美しくなくてすみません といつも心の中で謝る。
せめて、という感じでVIOは全処理済だし、入浴時には念入りに洗い油断するとすぐ荒れてくる*周りなどは顔と同じく、保湿・クリームで、みはりいぼは気持ちちょっと押し込んで隠す。(・・・・・)
今回は男性女性完全エリア分離式の病院だったけど、2-30年後にはLGBTQI者専用医院なんていうのも出来ているかもね。医師コメディカル全員当事者。みたいな。
最後には飲み物とクッキーまで出て来たw
どこのエステ?!

*「見てられない」ほんとそれ。
MSNのトップサイトに関連らしきupdateが出てても目をそむけたい。
アニメーターなんて、小中学校時代から、学年で一番画がうまくてかつ好きな子が、この道一つとド真剣に修行して情熱をもって従事していく職業ではないか。
激務で薄給なのも有名。
個人的に漫画家さんやイラストレーターさんよりも、画が巧くて速くたくさん描けるのはアニメーターさんじゃないかな、と思ってる。
(DVD付録やアニメ雑誌に出てくるメイキング(コンテのカット)が好き)
画がものすごくうまいだけじゃなくて、たくさんのいい作品に触れて感動し、同じように動く画に音を光を音楽をのせて感動を届けたいと情熱を持っている、仕事を愛する、美意識とセンスと志の塊のような人しか従事しえない業界だろう。と、一般的な日本人の平均よりは少しはアニメが好きかもくらいの者が思ってるくらいなんだから、世界中のJapanimation Geeksの嘆き計り知れず。
#PrayforKyoaniのもとには1夜にして100万ドルの寄付が集まったとか。11億・・・毎秒数万円か・・・
でもお金じゃないんだよね。失われたもの。日本の至宝のクリエイターの方々。
1クール30分12本のアニメを作るのに1班30人の作画班が6班は必要なのだという。
↑のような国内屈指の画才を持つ人が数十数百集まって働いているのが制作会社なのだ。
京都アニメーションの制作作品にはあまり詳しくないけど、制作中だった作品、プロジェクト、会社それ自体の将来へのダメージは、と考えるのも胸が痛い。
お金や時間や人の応援で埋めえるようなものではない。
地震や水害といった天災によるものでもない。
国の重要文化財破壊とか、無形文化財人間国宝の舞台中に爆弾テロ起こしたのと同じような「犯罪」だよね。
たくさんの人が積み重ねて来たもの、大切にしてきたもの、心を動かされてきたもの、そういうものをまた生み出していく人々、営みに、「死ね」ね・・・
どうしてそういうことが出来るのか、どうして「そこ」まで行ってしまったのか。
また安直なまとめ方だけれど、「病気」としか言いようがない。

*いやぁ。やっぱ芸術家、病人同士は距離感を間違えると本当に危険だね、普通の感性・感受性の人々(かつ特殊な受け取り方の人とも接点を持ってきたような人)を10対1くらいの割合で混ぜて緩衝材とし、間合いを極力切りながら暮らさないとこのように「流血」沙汰となり、まあ、それすらも肥しとして回復の布石とする者、アートに昇華させていく者もあるのだろうが、ものすごく遠くで眺めていてもなんだかバクバクしてしまうよ。と すごい他人事書きでなんだかごめんなさいです・・・
「傷ついた」「不当に扱われた」という憤りすら感じることのできないレベルの病人が何を言う、だけど。
とんがっていて、かつ、傷つきやすくもあって、しかも同じように?違った風に?とがったものと不運?にも隣り合わせぶつかり合い・・・
鳴り砂のことや、庭に防犯のために敷く防犯砂利のことを思い出したワタクシ。
その音を「うるせえな」と感じるか
自分は鳴くことが出来ずみすみす砕けて崩れるのみなので憧憬を抱くか
何事も何事も一水四見ですなあ。
◆同じ水でありながら,天人はそれを宝石で飾られた池と見,人間は水と見,餓鬼は血膿と見,魚は自分のすみかと見るように,見る心の違いによって同じ対象物が異なって認識されること
◆一水四見(いっすいしけん)とは、唯識のものの見方。認識の主体が変われば認識の対象も変化することの例え。
人間にとっての河(=水)は
天人にとっては歩くことができる水晶の床
魚にとっては己の住みか
餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ
というように、見る者によって全く違ったものとして現れるという。似たようなものに次のような古歌がある。
「手を打てば 鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池」
「手を打てば 鹿は驚き魚は寄り 茶店の女中は「はーい」と返事する」
猿沢池のほとりの興福寺唯識を研究する法相宗の本山でもある。

頭ではね、一緒になって、一緒くらいの温度で怒ってくれる人が一番うれしいんだろうなあって思うんだけど。
それができないことを「すまない」と思うのもまたおかしいだろ。って思いながら書いているんだけど。
まあ***されようがどんな目にあわされようが怒りも義憤も持てずだからこそ生き延びてしまったという側面すらある
正常な自尊心もない哀れな病人の戯言です。キモチ悪いなあ。早く人間になれよ。くらいに思って下せえ。

記録 2019.07.15.珍しく。

(!!!)こんなところを定期的に開くような人は十分に注意深いだろうとは推測するのだけれど
自主的にMild Reminder。
いつにもまして尾籠な話題・人によっては非常に不快であると思われる記述・を含みます。
お食事前や体調の思わしくない時の閲覧はお控えください。(!!!)




*ふとしたことで最近自分の中でのホット検索語は
タントラ ヨニ
ヨニエッグ ヨニワンド
ペルヴィスフロア エクササイズ

ま 今更そんな相手が居るわけでもないし
幼少時からずーっとやっている、
ソロ活動 自家発電 と俗に言われていることもそんなにしなくなっているし
かといって加齢による*漏れや**脱?という症状が気になるのでというわけでもないのだが
(むしろ今更更に鍛えて本職の花電車(吹き矢、習字、ビー玉ゲーム(←何の話?!)で稼ごうというほどでもないが
 較べられる例があるものでもないが、強靭でコントロールの良い、***筋をしていると思う。
 たくさん褒められてきましたよ。本体は地雷なんだけどオプションが最高な女。(何の話?!)*になれたら自分とやってみたいもんね(何の話?!))

***マッサージやトリートメントに、トラウマ解放の効能があるそうな。
姫様が子宮筋腫は精神的なものの影響が絶対あるよね。みたいなことを書いていて、
なるほどね、女性は内外**に精神的なものをためこむのかもねえ。
私の幼少期の原因不明の脚の痛みも左右は違えど骨盤・股関節周辺だったなあ。

ま 一歩間違えば***なんだけど
怪しげな技術者やウェブサイトもゴロゴロあるんだけど、
海外、本場の印度などには、プロの施術師があって、日本にも年に何度か出張してくる人もあるのだそうだ。
一生に一度くらいは、受けてみたいよなあ。

一般的な足つぼ、整体、マッサージすらそんなに受けない。関心がない。
勤めている会社によっては福利厚生活動の一環でマッサージ師、エステティシャンを呼んだから受けてね!!みたいな話になって
無料で受けたりもする。
またはヘアサロンで髪をやってもらうついでに頭皮や上半身をマッサージしてもらって「いい!」と思ったりすることはある。
自分から施術してもらいに、ということはあっても数年に1度。
どっちかっていうと自分でするストレッチやマッサージの方がいい。
そんな自分が自分から受けてみたいなあと思う施術。

性犯罪/虐待被害の精神的なトラウマを抱えた人にもおすすめなのだそうだ。
必ずしも**が目的ではなく
ネガティブなものしか出てこないという方もいらっしゃいます
自分の内に出てくるものを何であれ受け入れること
自分を大切なものとして尊重すること
のお手伝いをさせていただきます
とある。
カウンセリング、セラピー、瞑想・禅定に近いものですらあるようだ。
**を含め自分は人ではなく「もの」だ、と誤解し続けて
自己肯定感が異常に低いまま何十年も生きてしまい
未だに普通の人間はどう自分を扱うのかをよく知らない。
あの場所を刺激するやり方、感覚の中に、それを本当に理解するきっかけ、ヒントがあるのかもしれないよ?という。

しかも施術は男性の技術者である場合、**は伴わないという。
最初から**が目的ではない、という記述に驚き。術者はどう耐えるのだろう。産婦人科医か坊さんか?
女の**は男の**のための道具ではなく
どこまでも命のもと、出所、神聖な場所であるという扱いなのだそうだ。
素晴らしい。この星にそんな考え方があるとは。

私の中に居る性的虐待の被害者(そして加害者、異常嗜好の持ち主)たちがそれを待っているのかもしれない。
そんなことを思って、本もののプロの人が見つかったら、一生に一度は受けてみたいかなあ、少々高くても。
男性でも女性でも。外国の方でも。海外でも。
珍しくコト消費に関心。の話。

出かける前にちょいと。

うーん。なんか・・・・ごめんなさい。
本気の芸術家、生来の芸術家たちを盛大にディスってるようにも受け取ろうと思えば受け取れるよな。みたいに数時間後からぐじぐじと思い。
どうしてこうも謎の「上から」で「偉そう」なんだろうなあ。
自信満々なわけはないのに特技は(自分以外の)否定っていう母親ゆずりのいやなところ。
自覚はしてるんですが。なら口を開けるなものを書くな、おめーじゃねえ、座ってろ。なんですけどね。
(-__________-)

仕事が出来る人はだいたい趣味の世界もレベルが高い。も真実だと思う。
芸術、スポーツ、好きなテーマの追究。
ホワイトハウスでは閣僚の面々でプロ?みたいな音楽会が出来るほどのレベルだという。
進学校は概ねスポーツ強豪校でもあり文化祭など行事にも力を入れているものだしね。

はい?地頭は日本人全体の上位1%以内に入る良さなんじゃん?
勉強どころではない。子ども時代であったというだけで。
なので鳥生子ちゃんには期待しているオバサンなのであった。
放っておいてもYやNの方から「授業料免除するからうちで勉強して実績つくってくれ」とか懇願されそうなスコアを叩き出しそう。
それより私はバスケがやりたい!!モデルになりたい!であれば選ばせてやってくだせえ。

とりあえず好き嫌いがわかり、好きなことが見つけられる子になってほしいですかね。
自分の好き嫌いが分からずに育っても早晩勉強どころじゃなくなりますから。w
(-__________-)

小説か、楽しみだなあ。

記録 2019.07.11.私信のような・・・

むー。ま ちょっと意識して子どもの心を忘れる、と楽なのはわかるんだが。
で、ころっと病人であることを忘れて普通の人っぽくバリバリやってみたり、はしゃぐことがあるとまた足許掬われるw
そんな繰り返しだな。いや、繰り返しではないな。

症状はまた減ったよ。もう平日に出ることはないんじゃないかな、というくらい。
週末の症状も減った。時間にして30分から1時間。
月額平均1万円から1万5000円マイナス。
あともう少しで副業が出来たりするんじゃないかとか。
本当に海外で暮らせるんじゃなかろうかとか。

芸術家なんて人間関係が悪くてなんぼだろ。
とはちょっと思ったけどね。
詩人の人間関係がよくてどうするよ。
人間関係が良い と胸を張れるほどなら、
詩なんかやめて役人か政治家になれば?みたいな。

自称他称問わず、芸術家は、とんがりまくってて、どうしてもその角をまるめることができず、
人・もの・ことの好き嫌い激しく、自己主張が激しく、気分の上げ下げが激しく、
社会のどこに行ってもうまくいかない、行く先々で炎上しまくってついに事件など起こす火種のかたまりのようで、
生産物(作品)がなければほぼ病人。どころか、画に描いたような病人だろ。
また逆にそういう者でなければ人の心・時代までを動かすアートなんて作れないだろう。
病み散らかした人間の留めえず吐き出していくものがアートだろ。

逆に人間関係がよくなって作品がよくなるのかと問いたい。
そんな言葉が出てくる時点で芸術家もどきめ、と遠くからでも、自分自身は「なりそこない」でも、思えるよ。

「それでいいじゃないか。それでいけ。間違ってない。私はそれを貫いて幸せだ、いやこの生き方しかなかった」と「指導」してくれる先達に恵まれず見事につぶされた見本のような大人がここに居りますよっと。

葛飾北斎応為父娘も相当イっちゃってる親子だったようです。
(画料はすごく高いのに金銭管理能力ゼロ。常になぜか超貧乏。今でいうゴミワンルームでごみに埋もれて描いている。引っ越し90回。(引っ越しというよりごみで物件つぶし家主泣かせのモンスター借主といったところ?w)
将軍や貴人に招待されるのは、長屋の大家に風呂に入らされ散髪正装させられるので大嫌い。酒が入るといろんなところでトラブルを起こして出禁をくらう。酒が入ってなくても情緒不安定で機嫌がいいときがない。ちょっと検索するだけでいろいろと珍+デムパな話が・・・wちゃんとしたマネージャーやプロダクション会社が居たわけじゃなかったんだね・・・いや居たのかもしれないが大ゲンカになりみんなはだしで逃げ出したのかもw)
かようにアーティスト、芸術家とは「人間関係がよい」とはほぼ対極の世界の人々なのであった。
だいたいあたたかい家庭を持ち生きている間に世間の一定の評価を得たとしても最後は自殺・家出・駆け落ち・心中・野垂れ死に・残された家族はDV後遺症みたいな人もぞろぞろ居るんだしな。作家・画家・映画監督・漫画家・音楽家・詩人・俳優・ダンサー・・・

と少々ザツにまとめる。

正直よく経緯が読めないんだが
詳しく話を聞いたわけでもなく
ただ距離感を間違えてまたヤケドしましたかね 程度のことしかわかんないんだけど
「人間関係が悪いから作品が良くない」発言には
遠くからでも「は?芸術家の風上にもおけんね?」と感じましたよってだけの話です。
軽々しく、申し訳がない。

勉強になるので感想はありがたいと思ってますよ。
私は病気を客観的に記した著作を殆ど読んでいないので。(これも内面の住人達が読ませないのかもしれない)
「病名」をつけることに意味があるのか。とかそんなレベルなので。
病人としては恥ずかしいことだとは思うんだが・・・
(-__________-)

記録 2019.07.06.限界。

*もう本当に*んだほうがいい。となり。
私は*ぬ、という言葉が嫌いだが(*ぬという言葉、「縁起でもない話」「もしものことがあったら」というフレーズが大好きな女に育てられたから)
忘れられたい。「居なかった」ことにしてほしい。
こんなに「生きて」しまったことがただただ「恥ずかしい」。

墓なんか要らないし
**が見つからないような**方が理想だけど
衛生上法律上許されないのなら
棺は段ボールでいい
燃やすときのエネルギーを何かに利用しているような施設がいい
燃え残りは粉々に砕いて畑か川か海に撒いて
遺品整理。の業者。公共料金の精算代行。
使える家電、日用品、古くてもきれいに使ってるし
わりと「いいもの」もあるから売れるものは売って
僅かな預金残高と一緒にすべて「清掃」業者に寄付するよ

かっぱのぬいぐるみは8匹とも鳥生子ちゃんにあげるわね。
このかっぱちゃんはもうつくられていないものだけど人気だからうるといいねになるそうよ。

*こんなに内にも外にも味方がゼロで 否定されまくって、
たまに肯定してもらえてもちっとも嬉しくない「やり方」で、
「もしかしたら」と挑み続けても悉く裏切られても
結果、常に、他人の反応がおそろしくてびくびくしていても
物質的に揃っていれば、こんなに長い期間生きられるものなんだ。という驚き。

*世界が白黒だ、と初めて感じたと思う。
夜見る夢には、砂の山。灰の山。

*「はあ〜〜〜〜?!もう、いいかげんにしなさいよ〜〜〜〜?!あんただけが苦しいと思ってんの〜〜〜〜?!あまえるなあ!!」
「みんな、そう!!はいもうその話終わり!!ほんとに何なのよもう〜〜〜〜」
「へぼりくつばっかりこねてんじゃないよ!!」
「あ〜それね〜でもね〜お母さんもねえ〜〜(長いお母さんの話)」
「そんなにそれがいやだったんなら反面教師にすればいいでしょ!!」
「はあ!!なんかあ、よくわかんないけどすっごい苦しい生き方の人もいるんだねえ!!」
「まっ、過去は過去!!今、考えてもしかたがない!!あの頃はみ〜んな苦しかった!!前を向いて!!若いんだから!!未来へむかって!!」
「ははっ。なんかよくわかんねえけれど。人は忘れることが出来るから生きられるんだぜ」
もしかしたら・・・もしかしたら・・・言葉を選んで、シチュエーションを選んで、彼・彼女の機嫌、状況を注意深く観察して臨めば・・・
諦めが悪くて。何十年も繰り返し。
でもおそらく初めて、こんな両親の子どもだった自分を「かわいそう」「これで生きられるものなのか」と思ってるよ。
「自分がおかしい」
「いいかげんにしろ」という声(↑への同調勢力)の方が大きすぎて気づけなかったけど。今更驚いてる。

頭では涙が止まらないだろうと考えるが涙は出てこない。苦しい。
受け止め限度を超えているのか、
身体中、あちこちの重さや痛みが消えない。
縦になっても横になってもぐらぐらする。

みんなが笑顔で私を取り囲み「せーのっ!!」
骨が折れる音、内臓のつぶれる音、自分の悲鳴。
それでも絶命はしない、生かされ続ける。
無知無学の者ほど無自覚に残酷だ。
相手の立場に立つ、立とうとする、ことがないからだ。

何十人の奴隷を武装させ*し合わせ最後に生き残った一人は猛獣と戦わせ最後に食い*させる。
それをみんなが楽しそうに見物している。
「おおすげえ」(私には関係ないけど)
「あれはだめだね、ほらやられた。お、強いのがいるぞ見ろよ」(自分とは違う生き物だけど)
「がんばれええ」(まあ最後には*されるんだけど。それがまた圧巻なんだけど)
と歓声をあげている。

子どもの頃から私に見えていた人間、世界は、悉く、↑のようなものだったと思う。
(終わらない)
(最初から絶望しかないのに、長い。そしてそれを遠巻きに愉しむ観客が居る)
(私はどこまでも彼らを楽しませるための道具)
どうにかして、どうにかして「一般的な人間の感じ方と行動」になるよう、ほぼそれだけに注力し学習し訓練し続けたが
10年に一度くらいぶちあたる限界があると思う。

記録 2019.06.29.むしむし。

*ちょっと前に書いていたもの。
一週間長かったな。いろいろな事情で。どうも、最終週にすべての業務が来てしまっている。3+6+4=13件の最も重要な局面の日が全てこの5日間だった。
もうちょっと、第1,2,3週に分散できれば楽なのだが。1,2,3週は逆に恐ろしいほどの(自分だけは)「し〜〜〜〜〜〜〜〜ん」(やれることがねェ!!「まだ待ち!!」)だったけどw 周りはぎゅうぎゅうでばったばただけど。「もう帰ります」の頃「これからブラジルと電話会議で」(時差12時間、まだ午前6時!!会議開始まであと3時間か)とかさ。同じ人間なのか。すげえ。
女性の営業さんはかわいらしい感じの人なんだけど、
:>いつもこんな笑顔。甘いアニメ声。みんなを下の名前呼びまたはニックネーム呼び。サロンでネイルチェンジがお約束らしくいつもきれいなアートの爪。ゴンチャとスタバの大きなカップを毎日。(リッチ!!)あれで世界中を飛び回って年数十億を稼いでいるんだよなあ。かっけえ。

*ここ数日、
「うるせえよ」
「黙れよ」
「しつけえんだよ」

ふと、そういう極めて汚い強い言葉が「ぱっ」と口をついてでて、「!?」と思うことが(家で一人で居る時)多々。
「?!」と一瞬思って、「・・・ああそうか」
頭の中で「わいわい」言っている大人たちに、言い返しているんだな、と。
言い返せるようになってきたんだな。
まともに相手していちいち受け止めていたら、ホント、そう言いたくなるのが当然のようなことを、
ずーっと言われ続けていたんだものな。
「もと」の経験は何より子どもの頃のものだけど。
だからこそ、まともに相手している人は(私以外)皆無で、
だからこそ、ますます、会話の端々に強意が多く、身振り手振りが大きく。強調したいらしい言葉の繰り返しが多く。
また、放送禁止用語、PC指定語(Politically Correct)のようなびっくりするほど汚い激しい言葉が多く。
本当に祖母にそっくり。(それで祖母をあの人と呼び、「反面教師にしてきた」と言うのだから、祖母はもっと甚だしかったのかもしれない)ぞっ
そして私も油断するとそっくりになる。自己嫌悪になる。w
「ねえ」
「ねっ!」
「な わ け が な い」
「まあ聞きなさい」
「ねえ聞いて、私はね」
「だから!お母さんは、思ったのよ」
「私、それを聞いて、涙が止まらなくてぇ〜」
「そりゃそうよ〜○○なんだから!うん〜」
「お母さんは○○することにしているの」
「まあ!相変わらずよ!あのうちは!○○なのに汚らしくしてね、閉め切っちゃって〜」
「あーもう、それやめて。頭おかしくなるから」
「まったく、何がいいのよ?そんなミーちゃんハーちゃん」
「あのハゲちょろびん」
「ちんちくりんなんだ〜〜〜〜」
「太ってるんだ〜〜〜」
(久し振りに会って)「ああ!よかった!!太ってなかった!!あなたが太ってたらどうしようって思ってね。○○さんはもうすっかり・・・」
「お母さんに、も し も の こ と が あ っ た ら よ?」
本当にまともに受け止めたくない。とりあいたくない。それこそこっちが「おかしくなりそうな」。

普通の人はそれが出来た。
「うるせえ」と吐き捨てることだって出来た。
関係を断つことだって出来た。
しかし、娘の私は。しかも運悪く、感受性が高く生まれついていた私は。

もっともっとイライラしてもいいんじゃないの?
もっと口汚く、言い返してもいいんじゃないの?
みたいなことを、うっすら、ぼんやり。
(なんかこれも↓同様「ぶちっ」って感じだけどそれも含めて記録として)

11:38 2019/06/23
*不思議だ。感覚が「解放」されているのに、(いつものガチガチ・ゴリゴリw)読み物がずいぶん捗った。(対自分比)
(ネガティブな方に)「過敏」になっていると、苦しくて、または鬱っぽくて、(いろいろとたまってしまっていて、イライラするのに)1時間と縦にはなっていられないのに、
こんなにも音楽が頭の中に鳴りやまなくても、
あの詩集の世界の鮮やかなかけらがふいに降ってきても、
あらゆるにおいや温度湿度の変化にいつもより敏感になっていても、
暗くなく、つらくなく、悲しくないと、
「感じながら」読み物や片づけものの方も割と「さくさく」進むのだった。(驚)

私がよく「がっ」と言った、
感覚が半麻痺となって(多分一般的な感受性の高さに「(病的に)抑えられる」)
頭や身体の方が「覚醒」すると、いろいろと捗る。
と今までは思っていた。
「のんびりできない病」
「努力がやめられない病」
の人の、
(ベースには、逆に、「評価されないと、必要とされ続けないと」惨めで孤独でいたたまれないという「病的な」受け取り方)
「常に動き回り、頭を働かせ続ける」状態を作り出せないと、
普通の人のようには「さくさく」動けないのだと思っていた。
(まあこれは母や祖母の生活法なんだけど、だからこそ身体が思うように動かなくなった時に、それまで「無視してきた」ネガティブを否応なく受け止めさせられ、「人ではないもの」の振る舞いをするようになったのだ・・・と私は理解している)

祖母が何をそんなに怖がっていたのか。

もし母がこのブログを見ることがあり、端々まで一応「読めた」なら(まあ期待もしていないし可能性もほぼゼロだが)、それがよく分かるのではないか。

成長して言葉が自由になり始めた頃(10代〜)から時折私が
私の家族に対しての感じ方を ぽろっと こぼすことがあると いつも母は
「やだー、それじゃ私がまるで鬼ばばあみたいじゃないの」
「やだー、何言ってるのよ、それじゃ我が家がつめた〜〜〜〜い家族みたいじゃない」
「そんなこと言わないで?あなたは根無し草じゃないんですからね、ちゃんと、お父さんお母さんがいて、帰る家がある」
「私たちはそんなばらばらなんかじゃない、離れていても、か ぞ く!!なんですからね?」
「何言ってるのよ!もう!!ちゃんと、愛しました!!」(涙目で怒り狂いながら。あの目・・・ ・・・)

言葉が自由になっても、結局大きなことから小さなことまで、何ひとつ認めてはもらえないし理解はしてもらえなかったのだ。
自分の認識と違うこと、意図していないことはすべて「無い」のと一緒。
それでも言い続けると怒りだしてキーキー言い出して面倒くさくてしょうがないので言えなくなった。言わなくなった。
かくして彼女の中での「私」と本当の「私」とは年々乖離を増す。
そして30年が経ち、彼女がもし、このブログを見つけてしまったとする。

まあ私の中では、彼女には、既にもう散々非難され攻撃されて心理的には「こてんぱん」
(これを書いているたった今も、恐ろしい「報復」攻撃はリアルタイムで続いている)
私の中の彼女は、その力があるが、現実の、体力精神力が衰え始めたご本体はどうだろうか。
と、時々思いを巡らす。
「怯える」しかないんじゃないかな。
自分がしてきたことの「結果」をまざまざと見せられる。
オブラートに包んで解釈をやさしく、楽観的にしてくれる「やさしい大人」は、もう、いない。
何も言わずにすべて受け入れてくれる「良い子」の娘はもういない。
当事者による「現実」がそのまま語られているからだ。
祖母が「紛らわす」力を奪われた身体と頭で見せられていたもの。
と似ているどころか殆ど同じなのではないのか。

「自分のことしか見ていない」
「自分の思い通りに自分を見てくれる人」しか受け入れない
ずっとそういう生き方をしてきた母は
私と同じ年の頃(30代-40代後半)、
密かに「ママ友」「近所の人たち」の間で、
「偉そうに演説してたわよ、また。話聞いているとなかなか電話を切ってくれないのよねえ」
「娘2人がかわいそうね、そりゃ物質的には・・・旦那は稼ぎもいいらしいし。30代であの土地に持ち家。みんなに羨ましがられているけど」
「私はとてもあんなに頑張れないしー。見た?あの衣装自分で作ったんですって。また嬉しそうに自慢げに自分で言ってた」
「上の子なんて、あんなに感受性が高いのに、あれでしょ?めったに笑わないじゃない、ねえ?」
「なんかね、すごい頑張ってるのはすごいんだけど。それは認める。方向が違うのよね」
「押しつけがましいのよね。誰もあれじゃ悪く言えないから面と向かっては言えないけど」
「上の子はよく病気をするってこぼしてたけど、さみしいのよ、きっと。やんわりと言ってみたんだけどね、(自分や娘の)習い事もいいけど、お父さんとの時間は作ってあげている?って」
一見、よくは知らないと、
明るくて社交的で
なんでもよくできて
子どものため、みんなのために、いろいろやってあげられて
旦那は多忙で育児には非協力的らしいけどひとりで何でも切り回して
働き者で、いいお母さん。

母はそのイメージに(娘からしてみるとかわいそうなほど)しがみついていた。
おそらく、陰で言われていることも「ちゃあんと知っていた」
だからこそ子育ての失敗が許されなかった。
「敵対する」ママ友や近所の人たちに「失敗」を晒すわけにはいかなかった。
「親が恥をかく」「私が○○さんから言われる」と逆上しながらの「報復」にも、説明がつく。
「どうやったらあんな子に育つのかなあ」
「どうしてうちの子はこうなのかなあ」
「私は、先々のことまで考えて、ぱっぱ ぱっぱとやっていくのにな。どうして出来ないの」
この人は、自分のことしか見ていない。
もの言わぬ娘の方に、どんなお母さんと思われていようが、自分を評価する大人たちから見て、「いいお母さん」であることが第一。

一見して「いいお母さん」は、実は、
自分のことしか見ていない
周りや相手を見ていない、見る気がない
自分の思い通りの評価をしてくれる人としかつきあわない、つきあえない。
彼女を否定するようなことを(実際感じたこと思ったこと)言うと、すぐ猛然と言い返され、「切られる」
母が「ママ友」「娘の先生」としてつきあい続けたのは
それをしない、それに特別気を遣う、「やさしい」人ばかりだったのだろう。
彼女の夜の長電話の相手、習い事などの立ち話の相手、プライベートでもつきあい続けた学校の担任。
成長していく私の周りにいた大人たち。

も、含めての、本当のところの、ごまかしのきかない、自分自身の「評価」
を、
「わあーわあー」
「あーあーあー」
と腕をふりまわしながら叫んでも(実際、彼女が嫌そうな話題になるとそういうことをよくやっていたと思う)(・・・)
耳をふさいでも
いやでも聞かされるとする。
聞かせてくる相手に囲まれたとする。
そして、自分には、それをやり返す力も、といって、黙って耐える力も残っていない。

そうすれば、もう、「わけがわからなくなってしまう」しかないですよね?ww
(wをつけるところがまた自分で書いててもぞっとするほど残酷だわ)
詐病を使ってでも、
もう、わたしは年いって弱ったかわいそうな人間なので、攻撃しないでください。
ひとりではなんにもできなくなってしまったので、助けてください。
とやりだすのだと思う。
祖母とまったく同じやり口。
若干10-20年前には、同じような祖母の介護をしながら、
「娘たちには、こんな思いはさせられない!!私たちは、しっかりと自分達の足で立っていないとね!!」と明るく爽やかに宣言していた。
聞かされている方が恥ずかしかった。

自分で宣言していたことを忘れましたか?
「しつこいな。わかったよ(またころっと変えるんだろうけどさ)」って顔をされながらでも繰り返していたこと。
そうなる前に、しっかりと**でくださいね?
まあ不運にも不本意に「そのように」永らえてしまったとしても・・・
お金くらいならいくらでも出します。今はお金を出せば第三者が助けてくれるサービスがいろいろとありますし。

私は逃げなかったのに?プロにまでなったのに?
それは、あなたが(この問題を放置し続けたために)逃げられなかっただけでしょう。
プロになったのは逆に、「仕事」としなければそれこそ自分の精神が侵され、(具体的には、心理的に、結婚するまでの母娘関係に戻らされ)虐待してしまいそうだったのではないですか。
「この恩知らず」「親不孝者」「親に向かって」「親を何だと」
という呪縛、恐怖とついに向き合えず、自由になれなかった「結果」でしょう。
だからこそあんな言葉が出る。
「私は、あなたたちには、こんな思いは、させられないわ!!」
繰り返していることに気がつかない。
繰り返すことになることに気づいていない。
母が特別暗愚であるというよりもそれすら病気なんだろう。何百年と続いてきた。
それも私の代で終わりです。
私は私の中に居るこの幼女の育てなおしをさせる子どもは、作らなかった。
いとこの子どもたち。(母の姉の娘の姉弟)甥姪もそろそろ子どもが(あれば)大きくなる頃で、気になりますが。