記録 2019.08.15.
**子どもは病気をしながら大きくなる。けど、そのたびに伝染させられてたら大変だよね。
あと1-2週間とはいえ、健常人にとっても特に過酷な時季だしね。台風まで来てるし。
体調が悪くならない方がおかしいんじゃないか、みたいな。
弱くなったっていうか寧ろ正常な反応なんじゃないかね?
これで半年後にはまた最高気温一桁、湿度20%の世界になるんだから
ついていくのが大変だよね(-__________-)
ま 年中20度、湿度50%の土地に住んでそれで楽しいかといったらそうでもないかもしんない。
鳥生子ちゃんも30年40年経っても「それでもやっぱり慣れないなあ、日本の気候は」とか言ってそう。
2人ともお大事にしてくだせえ。
*私も「休日だけど、ちょっと頑張って出かける」をするたび、翌日「ぐったり。何にも出来ん」だなあ。
いろいろ、いい加減、手をつけてしまいたいこと。はあるんだが。
くちゃくちゃ。だらだら。
*でも別に「がっ」でも何でも、何が何でも。やる。は、しなくなったな。
頭でやらねば、やるべき と決め込んだことをやり切って、
偉そうな気分になれても、なんか、恥ずかしくね?ってだけだよな。と今は思う。
**数日だらだらと書いていたもの。ある長さに達すると突然自分でイヤになるな。w
「ぶちっ」って感じだがそのままUPする。
*ごはんがおいしくなくても
家が周りと較べて裕福でなくても
服を手作りなどしてくれなくとも
習い事をさせてもらえなくても
お父さんとお母さんの話が通じていること
お父さんとお母さんがお互いを大好きで結婚して私が居るんだなと思えること
「どうして私の思い通りになってくれないの?!」
「お願いだから私の言うとおりにしてよ!!」と怒ってもいいから、その逆も。
私の感じ方を分かってくれること
何で私がこうなのか、こう言うのか、分かろうとしてくれること
親の思い通りにしなくても、私はこう思うんだから、これでいいと認めてくれること
私の喜怒哀楽を大切にしてくれること
「親がが恥をかくから」○○しなさい、○○するな。ではなく、
「私が将来困るから、陰で笑われるから」○○しなさい、○○するな。と叱ってほしかった。
ものに。衣食住に。自分の子どもの頃より、周りの子より、恵まれているから幸せなのではない。
どうしてこんなことが分からない人だったんだろう。
小さな私に、身近な大人一人、
「お母さんは、ちょっとおかしいの。だから、あんまり真に受けていったら、ダメよ?例えば、昨日言ってたことと、今日言ってることが違うとか、あるでしょ?可笑しくないのに、笑うところじゃないのに、怒るところじゃないのに、変だなって思ったら、お母さんには直接は、怒られるから言えなくても、その感じ方はおかしくないからね。安心してね。変だなーって思ったら、ちっちゃいことでもいいから、内緒で私に言ってね、聞くからね?」
親がああでも、自分の感覚が尊重され、思春期までに、たくさん良書を与えて、もっとたくさんの大人、社会に触れさせて、きちんと「教育」がされれば、手遅れにはならない。
そう考えた、心ある大人も、居たんじゃないか?
「変なこと、娘に、吹き込まないでください?」
彼女は、必死にそういう者たちから娘を守ったに違いない。
娘を守ったのではない。自分を守ったのだと思う。
やっと私にも、自分の思い通りになる人形が、出来たの!!
私が母(母方の祖母)に思い通りにされて来たように、漸く思い通りに「支配」出来る立場になれたの。
だからこそ配偶者だって「自分の思い通りにさせてくれそうな人」を選んだ。
それをぶち壊しにするの?この子の将来のため?私がやっと手に入れた人形を奪うの?許せない。
もし仮に(私は(くどいが)この種のたとえ話が嫌いだが)私が余命3か月と告げられたとする。
そして内心喜々とする自分の異常さにうんざりしながら、時間の逆算と後始末をしてくれる人々を意識し、まるで仕事の継承かのように準備をしている。
どこからかそれを聞きつけた母が血相を変えて職場または病院に怒鳴り込んでくる。
ひっそりと引っ越しをしたりして、隠れていても、待ち伏せてでも眼を血走らせて追ってくるだろう。
未だに、そのような夢にうなされること多しw怖ぇw
「なんで言わないのっ?!」叫ぶように言う。
だから。私の本当につらいこと苦しいことは、一番、言えない・言いたくない・知られたくないのがあなたなんですよってば。
小さなころからずっと。
きっと私は今でも言えない。最後まで面と向かっては言えないだろう。
最後まで「娘のことを一番に思う私」「娘のことをこんなに愛している私」「よき母であるのに、娘に想いが通じていない、かわいそうな母の私」を貫くんだろう。
それも、私に向かってではなく、私の周りに居る人間に向かって。
そして、それを「仕方なく」でも認めてくれる人しか傍には置かない。
「どうして私はこんなに・・・なのに、あなたはわかってくれないの?!」
「わかってくれないんだったら、あんたなんか、居ないのと一緒よ!」
まったく、40年の間に何も変わってませんね。
自分のことがかわいくてかわいそうで仕方ないところ。
それが醜いと思われていることが分からないところ。
そういう自分でも「仕方なく」でも受け入れてくれる人しか認められないところ。
誰の人生がつぶれようが、お構いなし。自分が一番。
私にとっては、猛毒でした。
このことを、一緒になって「酷い娘だわ」と攻撃し、
「あなたは悪くないのよ」
「あなたは、よく、やった」
と許してくれる人としか、言葉も交わされない。顔も合わせられない。
人間には、限界がありますね。
私もそれを認めないといけません。
40年、私は彼女の「成長」を待ったのかもしれません。
もしかしたら、もしかしたら、彼女だって「親」になってくれるかも。
「親らしく」してくれるかも。娘として接してくれるのかも。
いや別に普通の親子ごっこが今更できなくてもいい、少しはまともに人の話を聞く人になってくれるかも?
でもあまりにも裏切られ続けすぎましたね。
いい加減にあきらめろ。頭では本当にもういい加減にしなきゃ、と思いながら、
あきらめられずに忠犬ハチ公かってくらい待って。
私は、そう受け取っているのに。
自分可愛さ強すぎて、とても、そんなこと、聞き入れられない。
「私の話を聞きなさいっ!!」
最後の最後まで、娘は、「自分がどんなにいい母親か」を世界に示すための道具。
どんなに拒否しても私が*ぬまで通い、関係者に頭を下げ話しかけ、
自分が「どんなにいい母親であったか」を宣伝し、「娘の早世を心から嘆き悲しむ」母を演じてそれで満足なんだろう。
お願いだからそんな醜態を見せないでくれ。頼む。残された時間は、穏やかに過ごさせてほしい。
ということを代わりに伝える者があろうものならそれこそ刃物をもって暴れたりガソリン放火でもなんでもするんじゃなかろうか。
今はどうして母が父と熟年離婚に至らなかったのか、はっきり分かる。
「おばあちゃんのために、別れない」としていた祖母が亡くなってでも。
祖母が亡くなり、父は、事実上、勤めていた会社を「追放」されても。
ATMだったから別れないでいたのに、プーになっても、そのプーのために会社を相手に裁判もしたとか。
そして母の方は、反対に、十分に社会的に自立が出来る職業に就いても。
娘が離れていったから、次の「自分が居なければ生きていかれない」者が必要だった。
これに尽きると思う。
もし私か妹が実家に居たまま病気になりひきこもりになれば、父は捨てられたのではないか。
そうか、「何にもしない」「ひとりで出来ない」「私が知るわけないじゃない」
グチグチ不満を言いつつも父を「自立」などさせるわけにはいかなかったんだな。
娘の次の、自分の思い通りになる人形にするために。
私が、この数年急に、父を気持ちが悪いと感じるようになったのは、このことだったんだ、と思う。
意外とあっさりしてたな、父の過去、父のさらに上の世代のことまで掘ってたけど、まあそれもあるんだろうけど、もっと「近」かった。
今の父と母に、昔の私と母を見るからだ。
母にとっての父は、
病気のご主人の面倒をよくみているいい奥さん。と見てもらうための依り代であって、人間ではない。
2-30年前までの母と私のように。
子どものために一生懸命ないいお母さん。と認めてもらうための道具であって、人間ではない。
相変わらず、互いに何を考え、思い、感じるのかはどうでもいいようだ。
同意をしてもらえれば、それで満足。「でしょ!ねっ!やっぱり!」
同意をされなければ「は?なんで?おかしいんじゃない?」と不満顔。
一つ違うのは、娘であった私は、母に不満顔は絶対にさせてはならない、というのがあったところ。
父は私よりかは少しは健常だから、母がどんな顔をしようが放置。(顔なんか、反応なんか、見てない、関心もないかもしれない)
(それも今でも、子どもの心からしてみると「なんで平気なんだ?」となるのだが・・・)