記録 2017.12.26.こんな時間に何やってんだ。

*で?だから?・・・がひどくって。
感じることは、思い出すことは、考えることは、しんどい。
「あったかーい」
「わっ。これかわいい」
すら、面倒くさいし、怖い。
・・・月曜日の朝、で、(真っ暗。夜が一番長い時季ですから)雨かよぉ〜〜〜〜
頭を抱えて髪をかきむしりたい。(・・・お薬多めに出しておきますねー)
「あーだめだだめだ」と、布団を頭からかぶって、一日中、いたい。

*「子どもなんてさあ、金やっておけば言うことなんて何でも聞くもんだよ」
私が小学校低学年くらいのある夜。母のお兄さんがふらりとうちに寄った。
タクシー運転手をしていて、ロングの客をこのあたりで降ろしたのだそうだ。
母のお兄さんは車で1時間くらいかかる東京の郊外住み。親子5人の団地住まいだったかな?
チャイムも何にも押さずに、ぬっと入って来たからもぉびっくりしたのなんの3人で。
子ども心にも「非常識な」と思い。(まあ彼の「!!」話はいろいろあるんだけどw おもしろいおじちゃんだった 随分からかわれて振り回されたもんだw)
その時は、お母さんの見ているところで、漢字だか計算のドリルかなんか、やってたのかな。
母のお兄さんの子供たちは、全員男の子で、その当時は中高校生、社会人なりたて、くらい。(私が4歳の時、下から小5、中2、中3だったと思う。まあ4歳からしてみたら、もう果てしなく大人だったわね)
子どもには、勉強をさせる習慣をつけないと。こういう、毎日の積み重ねが大事なのよ。といつも通りの持論を展開する母と、
「子どもなんてさあ、金やっておけば言うことなんて何でも聞くもんだよ」
という伯父と。母の兄なのに、「勉強なんて」という雰囲気で、ちょっと意外だったことを覚えている。
母は「勉強、勉強、知識が大事、親が子供に残してあげられるのは、金、土地、財産じゃなくて、知識」っていう人なのになあ。

母の母は、子どもに知恵がつくのを何よりも恐れていたのではないか?
母が、結婚まで家を出なかったのは、出られなかったのではないか?
娘は、本当は、家を出たかった。けれども、母はそれを恐れ、「何不自由ない」ように、お金をたくさん渡していたのでは?
兄のふたりは、(自分達の自立を妨げる、支配する)母に反抗し、半分、喧嘩するようにして出て行ったのではないか?
母と兄の言い争いを、6人兄弟の末娘の母は、毎日のように聞いていたのではないか。
祖母は、後妻で、自分とはそう変わらない年齢の先妻の娘がいた、ということから、祖父はかなり早くに亡くなっている。
(私が生まれた時点で、没後10年は経っていると思う)
一番上のお姉さんは、早くに(今は新幹線で東京から1時間だけど、30年前でも新幹線はなく、車で半日はかかったような?少なくとも母が思春期にさしかかる前に)遠くにお嫁に行っている。
そうすると、祖母の話をまともに聞けるのは、母だけ、という感じになると思う。
歳の差15から20ほどの夫婦に、男兄弟4人と、思春期前の、末の妹ひとり。1950年代後半の話だ。
朝鮮戦争特需を経て1964年の東京五輪開催に向けて突貫工事の進む東京。
東京タワー完成、美智子皇太子妃ブーム、プラッシーチキンラーメン発売・・・

金?子どもに言うことを聞かせるのに、金?
子ども心に「?」という違和感を持ったのを覚えている。

まずあの人の許せないところは、金遣いが荒いところ。
母が祖母について語る時に決まって聴かれるフレーズ。
「金遣いが荒い」それ自体よりも、その「奥」にある、
「金さえやっておけば子どもは親の言う通りに出来る」という「思惑」に反発しての言葉だったのでは?
でもねえ、おばあちゃんも、お母さんも、同じ。
お金しか、与えるものがないの。
親として与えうるものが、お金、お金で買えるもの以外に、悲しいことに、全くない人達なの。
おいしい●●、手作りの、何処にも売っていない、お金で買えない●●は、同年代の周囲の子の何倍も与えられていたと思う。
そこまでやるかってほど手作りが玄人はだしだったと思う。
料理、お菓子、洋裁、手編み、機械編み、手芸、ガーデニング
けど、
家族が居て、よかった 楽しいっていう気持ちとか。安心感とか。
みんなで言いたいこと言い合って、先を争うように話して、嬉しい、とか。
驚くほど、そういう感じが、ない。
ひとりで、楽しそうにずっと話しているお母さんと、
つまんなそうにしているお父さんと、
それを鋭く咎めるお母さんと、
お父さんが話し始めれば、今度はお母さんが不満そうで。
「自分ばっかり、わっと話さないで!」
気を遣う。親の前で、自分の話したいことを話す?子どもが、そんなこと出来るものなのか?それが普通なのか?
4人で居ると、いつもドキドキしていた。緊張して、いつもよりもっと疲れていたのだと思う。
家族旅行も、当日になって足が痛くなったりして。
もう4歳くらいの時から、家族旅行も身体が拒否ってたんだろうな。

今の私のお母さんも、すっごく、いろんなものをくれてきたよ。
「要らない」って言っても、「買ってあげるから!」
「いい」って言ってるのに買うよ。買ってきちゃうよ。
大人になってからは、自分で選べる方がいいから、商品券とかにして。って言ってきたくらい。
おばあちゃんは、お母さんと幼い私たちに会うたびごとに、
「こんな高い肉。食材。いいのに」とお母さんがこぼすくらいに「滅多に食べない」「高級な」食材を買って来てくれた。
食べきれないくらい、お菓子。(「歯が綺麗になるよ」って、大量のガムっていうのがね、昔の人でしょう?)
どうしてそんなに眉をひそめながら、困ったように言うんだろう、お母さんは。
おばあちゃん、おいしいもの、たくさん買ってきてくれるの、いいことじゃないの?
レストランに入れば、食べきれないくらい注文して、やっぱりお母さんが困ったように、店員さんに包んでもらえるか訊き、「もうやめてね」と言う。
昔の人だから、きっと、食べきれないくらい料理を出すのが、注文するのが、「いいこと」。逆に、食べきれるくらいしか出さないのは、恥ずかしいことなのだ。
金遣いが荒いのが許せないんじゃない。
金で人、子ども、周囲をコントロールしようとする「習慣」が許せなかったんだ、と思う。
金・もの以外に、人を動かせる手段を持たない、女の癖に、母の癖に。
こういう人は、借金をしてでも、人に奢るよ。「受け取らせる」よ。
それ、人として、どうなの?という疑問を、母は少女時代から持っていたに違いない。
前述の母の兄は何の疑問も持たずにそのまま自分の子育てにそれを引き継いだ。(もうその次の代が子育てしてる頃だが。各代のお嫁さんたちはまともだったことを祈る)

*うまく 言葉にならないな。
なんか、あっちこっち。まとまってない。
否定するって疲れる。しかも親のこと、先代のことだからね。まるまる自分を否定することだからね。
体調の悪い時にこんなことばっか考えて言葉にしていると本当に気持ちが悪くなってくる。(ならやめろよ・・・w)
こんな時間に何やってんだか、少しでも寝ろよ、もう年始が始まってるだろっつう。
(-    -)
何かを怒りや苛立ちでもって批判している時は、たいてい、自分の事には集中できていない時。
(まあ そればっかりを「生業」としている者もありますが。それは「エネルギー等価交換の法則」で、だんだん、好きなように食べられなくなり、海外へも気軽に行けなくなってきますよねw自分のことすら何も出来ないで、簡潔に言ってしまえば生涯ニートの身分で、大きなもの、大きな流れ、世界全体を非難し続ける・・・本当に「人間ではない」のならいいのですけれどね。他人には証明が極めて困難であることが唯一の逃げ場所なのでしょうが、何時までそれで「安心」していられるんでしょうね?)
それも頭では分かってる。
自分のことに集中しろ。
自分のことに集中して、考えろ。
頭で書いてんのか、感じた心で書いてんのか、ちゃんと考えられてるのか、いや、考えてはいけないところなのか。
場外乱闘になってんのか、これで進めても大丈夫なのか。
何もかもよくわかんないよな。って読んでる人だって「ちょっと何言ってるのかよくわかんない」だろうしな。
そもそも読んでる人だって(片手ほどしかいない筈だが)「あ〜話長すぎて半分以上聞いてなかった」状態だろうし・・・(銀時→金時)
なんかいろいろすみません。(ここまで書いておいて そっち?!)
どこどこまでも、私的なメモ、書きっ散らかしですわ。