記録 2019.08.24.

**(記録なので最初くらいは記録らしく以降を書いた後につけたしで)

心身の状態は、急に「もったり」が直った感じ。

家に帰ってから

*ちょっと家の中のことして、

*お風呂に入って洗濯が出来て、

*髪が乾いてから寝る。

が「また」出来るようになったよ。(だから。普通じゃね?っつう。)

この1か月半くらいの、蒸し暑くなり始めた頃からの、

*家に帰ったら、もう一歩も動かれぬ。

*横断歩道の青が□□■■■■■■■■■■になっていても走ることもできない。

*歩いていても「右・左・右・左」

ってなんだったんだろう。

漸く心と体が暑さに慣れて来たということか?

慣れてきたところ悪いがもう終わりで

次また急に涼しく暗く乾燥する季節になるんで。よろしくね(by季節)

・・・よろしくぅ(-__________-)ノ・・・

日本人の感性って絶対この気候の変化の激しさに影響を受けてるよね。

(なぜか少しうらみ節風にw)

 

【※またgdgdと】

*「あなたのお母さんは、ちょっとおかしいの。だから、あんまりまともに受け止めちゃだめ。いろんな大人の話を聞いて、大きくなっていってね」

「おかしいところ(神経症的な症状)はありませんか?特に上の子。○○さん、正直私は○○(←)ちゃんの方が特に心配です」

私の子育てのどこがおかしいんですかっ?何も知らない癖に偉そうに!!

私がこの子を病気にする?どういうこと?そんなことするわけないじゃないの。こんなにかわいいのに。こんなに大切なのに。こんなに愛情いっぱいの、お母さんが居る娘が?かわいそう?意味が分からない。

見てなさいよ!一度だってそんな間違った「忠告」したこと、後悔させてやるんだから。

あそこの家の子より、「立派に」育ててみせるんだから!!

みんなわかってないよ。

みんなおかしいよ。

 

いつも何かに焦っているような、よその家の子と較べてばかりの、お母さんだったと思う。

日に何度もある、自分で設定した制限時間が厳しく、私達をいつも急かして、少しでも過ぎると大騒ぎしていた。

「わああ大変もう〇時!!○○する時間!!

「子供は、●歳までに決まる」という早期教育会社の広告みたいなことを連呼しては、

●部分は、3-4-5-という感じに年々スライドしていくのねw

「○○までに○○は出来ていてくれなきゃ、困る。大変だ」という感じがすごかった。

「●歳なんだから」「これができなくっちゃ」「区別できないと」「意味がわからないと」

「なんであそこの家の子は出来るのにあなたは出来ないの?

未だに「被る式の上着(着るより脱ぐ、が難しかったと記憶している)」「靴下」の着脱の練習をしていた頃の服の模様まで思い出せる。

 

左と右の区別も鬼の形相で叩き込まれた。

「怒っているんじゃないの!!教えてあげてるの!!左はどっち!?お母さんから見て右はどっち?!

間違えるとめちゃくちゃ怒ってるし、もう大混乱だった。

お箸持つ方だ、ピアノのト音記号の方を弾く手と何かで読んで(誰かから聞いて?)「これでいいんじゃん(なんであんなに怒るんだ・・・)

(小学校あがる以前の話)w

 

同時期に同じ習い事を始めた、よその子のほうが「うまくなってしまった」りすると、「誘うんじゃなかったわー失敗した!!

 

学校にあがり

学校で鉄棒が苦手、と聞きつければ庭に鉄棒が出現するし、

跳び箱がダメ、といわれれば家庭で跳び箱を購入。

(却って危険だと思うが・・・その後何年も、ぬいぐるみでままごとするときの「家」になってましたよ これはこれで気に入っていたw)

「そんなに出来ないこと、苦手なこと、分からないことがあることは、まして人にそれを指摘されることは、(うち的には)ダメなことなのか」

得意なこと、好きなことを伸ばすよりも、苦手をつぶすことの方が重要、という生き方の淵源ここにあり。w

よく考えなくても、身体が何個あっても、人生何回生きても足らないよ!!

 

小学校2年生の夏休みに通信簿に書かれたことで

母に泣き叫びながら怒られたことは今でも忘れられない。

学業より生活の欄に書かれたこと。

「自分の世界に入りがちで、周りが見えてないこと」

「テストが早くに出来てしまうとあいたところや裏に絵を描いてしまうこと」

「忘れ物やなくしものが多いこと」

など指摘されていた記憶。

あの夏の母は本当に怖かった。

私のもの(衣服、カバン)だけ投げるように扱っていたり、

とにかく私に対してすごく怒っている態度で。

その夏、母は、ドピンクにトラ柄みたいなドレスをいつも着ていたんだけど、

その柄を思い出すだけで今でも「痛い」

「なんでこんなことを通信簿に書かれるんだッ」

「あとでお父さんにも言ってもらいます」

あれほど(当時も)家にいない・接点のあまりない父まで持ち出してくるということは(うちでは)大変な事態だった。

(母は父の利用の仕方がなかなか卑怯なんですねw また別記するかもしれない)

 

それ以来10年ほど、その「痛い」記憶から、

あんな思いは二度としたくない、と頑張ったんだけど、

何をおいても努力したけれど、なかなか

「自分の世界に入り込まず、周りをよく見て行動できる子」

「絵や勉強よりも運動や集団行動が得意な子」

「忘れ物や落し物、『うっかり』のない子」

にはなれなくて、フラストレーションだったね。

小学校5年になってもみんなの前でロッカーを全公開されて「だらしがない悪い例」としてつるされたりさw

ちょっと油断するとすぐ忘れ物をしてしまう。

普通に歩いていて電柱に激突したり池に落ちたりするw

 

中学1年、2年になってもやっぱり運動が苦手であったり、集団行動で「珍」な動きをしてしまったり。

そのたびにひとりで自主練。

ひとなみになるためには、隠れて人一倍、稽古。

情報収集して、研究。

 

やっと「何とか人なみになれてきたかな?

↑みたいなことを人に指摘されたり怒られたりしなくなったなあ、というのが二十歳直前。

誰からも「しっかりしてるね」と言われ

運動部のリーダーをやったり

軍隊みたいな合宿に参加したり。(1年のうちに何回もいろんな場所へ移動して集団生活して、布団を並べて寝起きして、風呂は(ひとりor1チームw)15分制で、みたいな。ちょっと思い出しても正気じゃないwフツーじゃないw)

(発病前)

母のこういう私の有様に対する感想が「あんたは本当に苦労を拾って歩いているって感じよね!!なんでそんなにしないといけないの?

またそれを聞いた(↑10数年を一応話した)他人の方がブチキレて「ねえちょっと平気なのそれ?

本当に思ったことを思った通りにそのまんま言う人だと今は思うけどw未だに怒りがわかない異常なワタクシw

「怒りをもたないように『調教』されておりましたw

 

絵を描くのは本当にどこに行っても(外国でも筆談に絵!!)

やめられないのに、そういう自分をなんとなく恥ずかしく思っている。

「うまいね!こういう道に進もうってなんで思わなかったの?

称賛されているんだろうが、

もうそう言われることが苦痛で恥ずかしくて、そっと隠す。

随分弱まったけどまだあるねこの感じ。

非常に苦しい回り道をして10代をつぶしたと思っている。

別に後悔しているというわけでもないが、

無理・無駄・ムラが実に多かったね、まさに「名前の付けられない病気」まみれ。という感じ。

 

無理な(普通はしない・できない・またその必要もない)努力

無駄な怒り・いらだち

ムラのある(自分の意志や欲求でなく他人の評価に依存するので非常に不安定で持続しないという点で)

成果、結果、実績しか出せない。

世の中そんなに甘くないぞ と思うんだが、

苦しすぎて いっぱいいっぱいすぎて 周りを見るとか、自分の実相・将来について静かに考えるどころじゃなかったね。

 

別に摂食障害や鬱や自傷不登校ではなかったけど、

だからこそ「異常」が発見されず

病気を大きくし続けるしかなかった。

逆に考えると少女の時代に何らかの症状を「発症」する人は「早期発見」ができたと思っていいのかもしれない。

 

ま 私も(謎の、何日も寝たきりになる、ていうか寝返りも打てないほどの)脚の痛みや

(机の椅子の周りが真っ黒になる)抜毛症とか

いろいろ「出た」けどね。

見事に!スルーされ続け~で

(母:私が間違っているわけはないのに・・・おかしいわね、何がいけないのかしら?)

身体もあきらめたんだね。

方針変更!!なんとか生きていくしかない。みたいな。

(-__________-)

 

トラウマといえば 

●人間なのに人間の言葉が通じない

●誰の話も聞いていない

●自分の要求を通すことしか考えていない

人が常にそばにいること

その人がいないと物理的に生きていけない自分の非力さ

ですかね。

小さなころの私は本当に124時間365日、恐ろしい思いをしていたのだと一応頭で理解の巻。