記録 2017.12.28.大雨。

◆やっぱりバラバラしてて、違和感もたくさんあるけど。それも含めて記録として。
こんなことばっか考えてるわけじゃないんだよ、本当は、普通の生活の、楽しかったこと、嬉しかったこともある。
書くと↓こうなるしかない、っていう。
いや、全般一日中「大雨」だけどね、「何が」じゃないんだけど、もう頭の中「やだ。いやだよ。いやだってば」だらけの。
早く寝ろよナ(-    -)寝ます。

*「ねえ、なんでお母さんはそういう風に言うの?そうなの?変じゃない?おかしくない?」
「もう、なんでそうやっていちいちつっかかるの?!」
10歳ちょっと、くらいかなあ。だいぶ、字が読めるようになって、子供向けではない、本、雑誌、漫画にも手が出るようになり、
知恵がつき始めた頃だ。
お母さんを、話すたびに困らせていた時期があって、
「もうっ。すぐそうしてつっかかる!黙ってなさい」
「それがいやなら、自分はそうならないように、私を反面教師にすればいいでしょう」
私は、そういうことを言っているんじゃないのに。
そんなことを要求しているんじゃないのに。
お母さんはいっぱい本を読んできた人らしくて、私にも「本を読めx2」と勧めたけど、
その割に、その本についての情報、どんな風に「お母さんは」思ったかについて、意見がない。中身のある話が出来ない。
物足りなくて、質問攻めにしたり、「私はこう思った、考えた」と話しかけたりして、めんどくさそうにあしらわれていた。
「そんな風に言うなら、本なんか読ませなければいいのに。知恵がついた子どもが『かわいくない。面倒くさい』って思うなら、勉強なんかさせなきゃいいのに」
本によっては、「まだ早いわよ」って年齢制限を言ってきたりね。
「ふぅん。分かってきたじゃない?」
子どもだからって、バカにしてる。と思った。
ならあなたは、どれくらい「知ってる」「分かっている」「考えている」の?

本当に調節が難しかったと思う。
親として「鼻が高い」子であってほしい。
でも、自分の理解できない話はやめてほしい。
自分がマウンティングできるほどには、子どもらしくあってほしい。
わざと、全力を出すことは避けた。100点はダメだ。テストに答えを書かずに裏にめちゃくちゃ絵を描いてたり。
熱中してしまって、超怒られたり。w
一方、自分より○○が得意な子を、「どう育てたらあんなふうになるの?!」「あの子を(その習い事に)誘うんじゃなかったわ」とか。
「磨けば光るって思って、いろいろやらせてみたけど、そうじゃないんだわ、やっぱり(大笑)」
振り返るほど 本当に特技は否定、かつ、その場その時で言うことがころころ変わる。の人だったなあ。と思うんだけど、
それだけなら別に、「結構、よく居るよ、そういう人」で済んだ、と思う。

私の悲劇は彼女にまともにつきあってしまったことだ。
周囲も、まさか、私が、あのお母さんの言うことに、真剣に従ってるなんて思ってなかったと思う。
だって、(自分鏡の歪みを考慮しても)記憶力や理解も速い、地頭は良い方だったし。
子どもがかわいい、子どもが大事、愛しているというよりも、自分が一番大事、自分が一番かわいくてしかたない。
子どもが理想的に育つことで、自分が認められたい。
「○○ちゃんのお母さんは○○が上手で、いいなあ」
「○○ちゃん家がうらやましい〜」と、子どもの友達に言われて、嬉しい。
「親が恥をかくのよ?あなたがそういうことすると!親に恥をかかせるな!!」
子どものためにならないから。子どもが将来困ることになるから。じゃなく、「私に恥をかかせないで」
子どもは、というか周囲のすべては、「幸せな私」を演出するための付属品だ。
しかも、「演説」を聞いていると、それが自分でわかってない。ちょっと病気なのかもしれない。
まあ、あのお母さんのことは、適当に機嫌を取って、自分の好きな物事を見つけて、自分の幸せのために努力するでしょう。
期待交じりに、そんな風に、周囲の大人は思ったのかもしれない。
「まあ お母さんはあんなだけど、子供時代の数年耐えれば、何とかなるんじゃないかな」
(にしては、素人目にも、心因性だろっていう「病気」が多かったけど・・・ ・・・)

お母さんは、私のことなんて、見ていない。
見ていたとしても、何も、見えていない。
彼女にとっては、そんなことはどうでもいい。
「この子は、こういう子」という見立てが誤っていようと、
本当は、嫌われていようと。自分の言動がどう、受け取られていようと。
ただ、自分にとって「都合のいい」ものであれば。
面従腹背だろうと、自分に見せる姿が「不愉快」なものでなければ、関わっていていい。
そうじゃなければ、冗談じゃないけど。(不良になったら家の子じゃない、とか、(大人になれば)借金作って家族に迷惑をかけることだけはやめて、・・・)

そういう人なんだ。そういう生き方しかできない人なんだ。おそらくは、祖母がそういう人だったから。
適当に話を合わせてやっていれば、満足なのだ。
ただ、こっちの話をしようとは思えないけど。
まあ自分がしゃべってばっかりで話させてくれないから問題にならないけど。
だから、誰も、夫さえ、「まともにとりあわない」でやってきた。
娘の一人は、「まともにとりあってしまった」ために、人生をまるまるつぶした。

おそらくね、母が私が「こう思ってる」ってこと、「知った」としても、誰かが真剣に伝えに行ったとしても、
「まあ、親も完璧じゃありませんから♪いろいろあったけどね、みんな苦しかったわよね、あの頃は♪人生は難しいっ。人間関係は難しいっ。でも、だからいいのよ。だからいいって思うしかない。前向きにね!未来を見て行きましょう!!」
って笑顔で言うよ。急いできれいにまとめるよ。
「ものを考える」「理路整然と反論する」言葉は少なくても、自分を護る言葉・自分だけが奮い立つ言葉はいっぱい持ってる。
自分を責めさせないようにする技術(逆ギレともいうw)は特級だ。そうでなければ、こんなに私は追いつめられていない。

人生で最初に出会った人を見誤った報いは重い。

でも、子どもは、親を選んで生まれてくる。
私も一旦「やめろ」と止められてそれを振り切って「選んだ」。
だからグダグダ言ってるけど、別に何かを呪って、恨んで、っていうのとは違う。

あの女を祖母として生まれて来る?なんてチャレンジャーなんだろうか?
やっぱかなりハードル高く設定した、挑戦者だよなあ。間違いなく。
と思ってますよ。ハード面もスペック高そうだし。

私も生まれた日、たくさんの、知らない人にも、それっきり関わることもなかった人にも、もうこの世界にはいない人にも、祝われたんだろうな。
まあ そんなにいいところではないかもしれないけれど。
何かの縁で。何かを学びに。一緒の場所に降りたもの。
本当は、1分後の命も、共に、保証はされていないもの。
生まれて来てくれただけで、おめでとう。ありがとう。