記録 2019.09.07.

***蒸し暑いなあ。これから↑↓繰り返しながら、暗く涼しく乾燥した季節になっていくんだなあ。

激鬱を覚悟。もう少し、「あ~いやだいやだ」感が少ないと尚更いいと思うんだが・・・・ぶつぶつ。

 

***今日もまた、だ~らだ~らと書きっ散らかしていたものを貼って

またちょっと少し寝ます。

 

 

**ほほー。野良猫でも家猫でもなく地域猫なんだ。

かわいがってくれているらしい人たちもあるのなら、

「おや、知らないうちに首輪が。ちょっとまるくなって毛のつやも増したような?いい人のおうちの家族になれたんだね、よかったね」と思ってもらえるかな。

そういうババアがいると自治体に「捕獲して処分してくれ」なんて「通報」されそうで、ちょっと心配していたのだ。

ある時気づいたらあの赤ちゃん猫を最近見ていない・一匹も居なくなってるなんて悪夢ではないですか。

心無いものに攫われていったりして虐待される心配とかね。

動物愛護系のサイト※ではよく言及されているね、

※犬猫の殺処分NO!・炎上虐待動画主に極刑を(わりとどちらも検索注意語だと思う。とっくに姫様は検索済みか・・・)等。

ペット大好き板と大嫌い板の千年戦争。(10年以上前の2chの話だw)

 

家猫という雰囲気ではないね、精悍な感じで、やっぱりどの子もサバイバーなんでしょうね。

(人間や与えられるもの、食べられそうなものを)自分をどう思っているものか、自分にとって危険なものかそうでないかを感じ取る能力にも長けた。

そうでない子はきっと逃げきれず・生き残れなかったんだろう。

書きながら、なんとなく、猫ちゃんと姫様は境遇が似ているかもしんないなどと思えてきましたよ。

みんなから愛されている陽キャのようでいて実は過酷な世界で生き抜いてきた野生のサバイバーなのである。という。(かっこいいぞ)

手と傘と靴しか写っていないけど王子様(部分)も見えて眼福♪←?

バカッポープリクラ風写も見てみたいかも。

それがブログトップでは(おやおやいつのまにかタイトルがbutterではなくbitter)まったく主旨・タイトルとちがったものに思われそう。w

 

*(与えられる)「もの」「便利」「快適」

(努力で得られた)「他人からの称賛」「他人と比較しての優越感」由来ではない「幸福感」・・・

40年、あまり重要視していなかったこと、を、今更のように注目してみる。

◇自分が楽しい、「快」であると感じることを誰かも同じ感じをもつのだ、と感じられること

◇自分が伝えたいと思って伝えたことが、伝わった!と感じられること

◇誰かが誰かの話を一生懸命、理解しようとして聞いている、姿

◇そういう人たちの間に居る時の安心感

考えるほど、思い起こすほど、私が育った家にはそれが無くて

本当は必要だった、欲しかったのに無くて、

でもそれでも過剰に「もの」が与えらえているなら

それらが、周囲の子と較べて質・量ともに「上」なら

「幸せ」「恵まれている」のだと教え込まれて、

自分の感じに反してそれを飲み込み続けた・・・苦しさのことが今更のように自覚される。

(書きながらくどいなぁw)

◇がないなら、どんなに「もの」(衣食住)が良くとも、いや、よければ良いほど、逆に悲しくて孤独で「恥ずかしい」。

逆に◇に恵まれているなら、衣食住が必要最低限も満たされていなくとも、真の勝ち組なのではないか?

という感じを思い出す。

 

私の通っていた小学校は、とても「貧しい」地域(A)の子の多く通う学校だったと思う。

私が子供の頃住んでいた地域(B)は、いわゆるその地域よりも30年ほど遅れて開発された新興住宅地(B)

児童数的に言うと、同学年内に、(A):(B)=8:2くらいかな?

その(B)住宅地に戸建てでローンなしの持ち家(父方の祖母に建ててもらったもの)なんて更に「恵まれていた」だろうと思う。

昭和30年代に建てられた(昭和末期で築3-40年の)、集合住宅の2DKに家族5-7人で住んでいるような子がザラだった。

概して早婚で、両親が(3-40代でも)中高生や働いている兄姉の居る子も。

でもまだ「きょうだいが増えたよ!」という子もいた。何度も苗字の変わる子とかさ。

今にして思うと(うちの両親のような)30代で初婚第1子という家は少数派だったんじゃないかな。

 

遊びに行ったり、登下校で通るそのエリアは、

その当時でもくみ取り式が多く、下水はいわゆる「どぶ」で、

改修は進んでいたけれども、季節によっては(建てられてから長く時間の経った)家々からの独特におい以外に、下水臭・カビ臭のするエリアも。

日あたりの悪い場所の地面や壁はコケやカビでますます暗い色で。

それでもすごくきれいに住んでいる家も多かったが。

 

私の持っている(親から与えられている)「いいもの」が、

いつも妙に恥ずかしくて褒められたり注目されるのが苦痛だった。

その大人はさらっと言ったつもりなんだろうが

私の衣服や学用品を指し「宝の持ち腐れだね!」と言われたことが妙に刺さって、今でも時々痛む。

 

「私の出すおやつが目当てでうちに遊びに来ているんじゃないの?(あんたと遊びたいんじゃなくて)

「どうしたらあんたのお友達みたいなしっかり者に育つのかなあ」

(共働きで、赤ちゃんの頃から保育園で、年の多い兄姉がいて、または小さな弟妹が居て、

 当然のように集団生活に慣れていて、身体が丈夫で運動が得意で、言いたいことをはっきり言える子が多かった。私とは正反対で)

(その子が帰った後で)あの子汚らしい子ね、毎日着替えているのかしら?お風呂に入れてもらえているのかしら?

「あなたは、この家の子でよかったわね!

「本当に、子どもは親を選べないって、あの子たちを見ていて思うの、あなたは幸せね」

 

お母さんは、あの子たちをどこか「下」にみて、「かわいそう」って思っているようだったけど、

私はずっとお母さんに「しっかりしてる」「どう育てたらあんな風になるの?」と(どこか)くやしそうに褒められるあの子たちが羨ましかったなあ。

集団行動が得意で、運動が得意で、誰かの動きをまねるのがうまくて、忘れ物や落し物はしなくて、自分の言いたいことはみんなの前ではっきり言える。

私みたいにどんなにいやなことを言われてもされても黙って我慢していない。

(代わりに母親が腹を立て、「やっつけにいく」のであった・・・())

目立ちたくなくてこそこそしてない。

そのくせ「空気が読めない」と指摘されたりしない。

「しっかりした良い」子になれるんだろう。

別に誰かと較べていいものを持っていたり着ていなくても。

ちょっとくらい人より物覚えがよかったり絵がうまかったりするよりも。

「どう育てたらあんな風になるのよ?」ってお母さんが羨ましそうにくやしそうに見るような。

一桁代~10代終わりまで、私の努力の方向はそればっかりだったなあ。

結局いいところを全部つぶして、悪いところを「人なみより少し上」に出来たくらいの「中途半端」で、且つ「病気」になるんだけどね。

 

今更母にちょっと描いた絵を見られることがあって

「いやー、うまいね!!これ仕事に出来るよ、もったいないよ」と言われるたびにやっぱり恥ずかしくなってそっと隠したくなる。

高校1年時に「美大、美術の専門学校!!」を少し進路の希望として言ってみた時に

「もっとつぶしがきくように生きてもらいたいもんだわ」

とあっさりつぶしたことはすっかり忘れて、やはり、その時に思ったことをそのまま言う。

「だよね~」

「いやあプロじゃなくてもうまい人はいっぱいいるからね~勝負にもならんよ」

(当時も今も)へらっとしている私も私だが。

絵はどうしても描いてしまう。

授業もしっかり受けてるけど内職の絵もすごいことになっているのはもうずっと。

(授業用の本や副教材やノートに書き込むんではなくて、別に紙やノートがあるのであった。熱中してくると色鉛筆やパステルまで登場。もう釣りバカの浜ちゃん(釣り道具のメンテをより目でやっていて、引き絵で背景が会社になって(スタッフの笑い声))状態だよ・・・)

絵を描いてても勉強や運動で結果を出していれば何も言われないから

何も言われずに絵を描くために勉強して運動をしていた。

予習復習もしっかり。教卓の真ん前でも「作業」に熱中しながら授業を受けてもご指名にいつでも応。(やな生徒だな)

(逆に授業だけしか受けていないのになかなか内容が理解できない・的外れな回答をする人がよく分からない状態 やなヤツだ)

テストの点も「わりと」「意外と」程度に良ければ

自分が将来なりたいもの、将来どころか、今の自分の好き嫌いすらわからなくても、いろいろな「異常」を抱えていても、何も言われない。

 

その後ほどなくして、宗教に突貫したことも、何の不思議もないと思う。

本当は、本当なら、何度も何度も●●未遂して閉鎖病棟で薬漬けになっていてもおかしくなかったんだろうな。

しかし私は普通に生きてしまっていた。

誰にも「異常」を知られずに。

(いや感じ取っていた、何か私に向かって伝えようとしていた大人は居たのかもしれないが、

 どちらにしても、彼らの助言や思いなどを聞き入れられるような状態ではなかったと思う。

 両親との関係から、大人への嫌悪や不信が半端なかった「子ども」)

自分自身もそれを忘れてしまうくらいに。

限界を振り切っている状態だったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Bitter-flyに変更されていて、そもそもバタフライ効果って何だっけ?となり。

***バタフライこうか〔カウクワ〕【バタフライ効果-butterfly effect-ある系の変化が初期条件に極めて鋭敏に依存する場合に見られる、予測不可能な挙動のたとえ。 もとは、米国の気象学者ローレンツ1972年に行った「ブラジルでの蝶のはばたきがテキサスに竜巻を引き起こすか」という講演の演題に由来する。

***ポピュラーカルチャーの中でのバタフライ効果

ローレンツの研究、バタフライ効果という用語が与えられる以前からも、バタフライ効果が意味する初期鋭敏性、すなわち非常に小さな事象が因果関係の末に大きな結果につながるという考え方は、フィクション作品の中で多く見られる。グリックは著作の中で、そのような古い例として、童謡マザー・グースの『釘がないので』を挙げている

釘がないので 蹄鉄が打てない

蹄鉄が打てないので 馬が走れない

馬が走れないので 騎士が乗れない

騎士が乗れないので 戦いが出来ない

戦いが出来ないので 国が滅びた

すべては蹄鉄の 釘がなかったせい 

 

因果関係のへんてこな連鎖を歌った歌です。

子どもたちは、こういう話を聞かされて、すこしはお利口になったことでしょう。

For want of a nail--- Mother Goose Nursery Rhymes

For want of a nail the shoe was lost.

For want of a shoe the horse was lost.

For want of a horse the rider was lost.

For want of a rider the battle was lost.

For want of a battle the kingdom was lost.

And all for the want of a horseshoe nail.

 

ローレンツ自身も、講演以前の作品として、ジョージ・リッピー・スチュアート(George R. Stewart)による1941年の小説『嵐』などで、バタフライ効果を意味するようなセリフやストーリーがあることを例として挙げている。ジャーナリストのピーター・ディザイクス(Peter Dizikes)ボストン・グローブのコラムで、ポピュラーカルチャーの中ではバタフライ効果という用語が「歴史や運命を決定する一見些細な出来事や、因果関係の繰り返しの果てに人生の行き先や世界経済にまで影響を与える最初のきっかけが存在することの意味するメタファー」として愛されていると述べている。グリックも、バタフライ効果という言葉はポピュラーカルチャーでのクリシェ(常套句)になっていったと、2008年の後書きで振り返っている。

一方、ディザイクスは、前述のコラムとマサチューセッツ工科大学のニュースマガジンの中で、ポピュラーカルチャーでのバタフライ効果の引用のされ方を見ると、この言葉が示すところの一側面しか理解されていないおそれを指摘している。ボストン・グローブのコラムでは、仮に蝶のはばたきが連鎖の果てに嵐を起こすとしても、そのような小さな撹乱でも嵐が起きるような場合に何が嵐を起こしたのかをそもそも特定することができるのか?という、ローレンツの仕事が示した「原因と結果」というものを考えるときの新たな視点が伝わらない可能性について懸念を示している。

上記のようにバタフライ効果を作品名としたり、1つの要素として取り入れている作品は多い。バタフライ効果を重要なプロットや設定として掲げている作品、そのように評される作品などに限って以下に示す。

『雷のような音』- 1952年のレイ・ブラッドベリによるSF短編小説。2005年には『サウンド・オブ・サンダー』として映画化された。タイムトラベルで過去に戻った主人公が1匹の蝶を殺してしまったことによって歴史が大きく変化するというプロットとなっており、バタフライ効果とよく結び付けられる。バタフライ効果という言葉が生まれる以前の作品だが、ローレンツが聞いたところによると、講演主催者のメリリースはこの小説は知らずに講演タイトルを設定したという。

ジュラシック・パーク - 1990年のマイケル・クライトンによるSF小説。登場人物の数学者がバタフライ効果について説明し、物語の行く末を予見する。1993年の映画版でも同様なシーンがあり、当時のカオス理論の流行的広がりを象徴する作品としてよく採り上げられる。

バタフライ・エフェクト - 2004年のエリック・ブレスとJ・マッキー・グルーバー監督のSF映画。過去に戻り、現在・未来を変えようとする主人公を描いた物語。バタフライ効果がタイトルの由来であり、さらには映画の全体的なモチーフとなっている。

ミスター・ノーバディ - 2009年のジャコ・ヴァン・ドルマル監督のSFファンタジー映画。超弦理論ビッグクランチエントロピーといった科学理論を映画の構成に取り込んでおり、バタフライ効果も作品の基調の1つで、ストーリー展開の基盤となっている。

『あのとき始まったことのすべて』- 2010年の中村航による恋愛小説。物語の最初のきっかけ、物語の広がり方をバタフライ効果に例えて評されている。

 

Butterfly effect in popular culture

The journalist Peter Dizikes, writing in The Boston Globe in 2008, notes that popular culture likes the idea of the butterfly effect, but gets it wrong. Whereas Lorenz suggested correctly with his butterfly metaphor that predictability "is inherently limited", popular culture supposes that each event can be explained by finding the small reasons that caused it. Dizikes explains: "It speaks to our larger expectation that the world should be comprehensible – that everything happens for a reason, and that we can pinpoint all those reasons, however small they may be. But nature itself defies this expectation."

 

The video game Until Dawn (2015) is based on a concept of the butterfly effect.

Tina Fey's Netflix Original Series Unbreakable Kimmy Schmidt dedicated the episode "Sliding Van Doors" (Season 4, Episode 9) to the Butterfly Effect. The entire episode investigates repeatedly how one decision can make a massive difference and even has one of those moments caused by flying butterflies inside a car (at ca. 14:44 min).

In the video game Life is Strange the butterfly effect is one of the central themes in the plot.

 

 The Gold-Bug

"The Gold-Bug" is a short story by Edgar Allan Poe published in 1843. The plot follows William Legrand, who was bitten by a gold-colored bug. His servant Jupiter fears that Legrand is going insane and goes to Legrand's friend, an unnamed narrator, who agrees to visit his old friend. Legrand pulls the other two into an adventure after deciphering a secret message that will lead to a buried treasure.

The story, set on Sullivan's Island, South Carolina, is often compared with Poe's "tales of ratiocination" as an early form of detective fiction. Poe became aware of the public's interest in secret writing in 1840 and asked readers to challenge his skills as a code-breaker. He took advantage of the popularity of cryptography as he was writing "The Gold-Bug", and the success of the story centers on one such cryptogram. Modern critics have judged the characterization of Legrand's servant Jupiter as racist, especially because of his comical dialect speech.

Poe submitted "The Gold-Bug" as an entry to a writing contest sponsored by the Philadelphia Dollar Newspaper. His story won the grand prize and was published in three installments, beginning in June 1843. The prize also included $100, probably the largest single sum that Poe received for any of his works. "The Gold-Bug" was an instant success and was the most popular and most widely read of Poe's works during his lifetime. It also helped popularize cryptograms and secret writing.

記録 2019.08.27.公道の清掃なんて尊いと思います(称賛)

***わりと以前に書いていたものに書き足しで。

 

*ごみ拾い、尊いですなあ。

個人的にはどんなお祓いやパワーグッズより、清掃には厄払い・招福・癒しの効果があると思うし

殊に公共の場所の清掃は至高だと思うんです。最高に徳を積める行いかと。

自分から出たものしかないはずの一人暮らしの部屋でも自分で出したものがイヤだもんな。

髪の毛とか、自分から出た老廃物の始末される前のものとか。

そういう自分の心を見つめる、反省する、というか。

心の奥が「ぽっ」と温かくなるまで、払う、拭く、みがくのがポイントだそうです。

自分の腐った根性を叩き直したい、と思い立った人が、

毎朝5時に公衆トイレの掃除をする、と宣言して遂行していましたね。

顔つきや所作も1か月くらいで変わってくるという話です。

あんまり開運・除厄・風水と、スピリチュアルに傾きすぎた清掃本も苦手なんだけど・・・w

(「そうじ力」「桝田光洋」「ますだみつひろ」さんなどで検索してみてくだせえ)

 

増えて困るじゃねえよ、ババア、去勢不妊手術に連れて行ってやれよ。

全頭引き取って飼うんだ~なんて思ってもらえたなんて姫様の家の周りに居た猫ちゃんたちは幸せですね。

ノミやダニには気を付けてくださいね。デリケートな話ですけど去勢不妊手術は受けさせてやってくだせえ。

動画や写真もみてみたいなあ。

今はふつうのポータルにも毎日1-2枚、愛らしいワンちゃん猫ちゃんの動画や写真のピックアップが来ますよね。

 

*幸福感ってどういうものだろう?とこの頃考える。

幼少期~思春期はアレだし

18歳以降は宗教に則った「幸福」を自らに刷り込みまくったし

26-32,3歳には、(摂食障害回復)センターに出会い、

センターの言うやはり上記宗教とはまた趣の異なった幸福を刷り込み直したし。

徹底的に「自分がどう感じるか」を排斥し「どうあるべき」「(誰かは)こう教えている」をどこまでも追究。

数年で行き詰まるたびに生命の危機。純粋で真面目だからね。w

 

*自分の何かが他人のと較べて「上」だから幸せなわけではない。

自分の置かれた状況が、以前の自分のよりも快適・便利・安心になったから幸せなのではない。

私はずっと勘違いしてたな、と最近特に思う。(今更?!と自分ツッコミももちろん入れて)

◇自分の大切と思っていることが共有されていると感じること

◇自分の大切にしていることが誰かもそうなんだ、ということ

◇自分が大切に一生懸命やったこと、積みあげたものを評価してもらえること

◇自分の感じていること・考えていることを大切にしてもらえること

◇「助けて」と言えて、助けてもらえること

◇人の話をよく聞きあう人の間で、自分も話せて、感じ、考えを交換しあえること

◇自分の話を聞いてもらいたいと思える人が居ること

◇自分のことを考えて、忠告を与えてくれる と感じられる人があること

どれも両親には少しも望めないことだったな、と振り返る。

母は娘に自分の話を聞いてもらいたい人だったし

娘のことを考えて、というより「自分が良く思われたい」「自分が悪く言われたくない」一心でいろいろ言ってくるだけの人(少なくとも私はそう受け取っていた)

私の周りは、そういう母を「いいお母さん」と(表面的にであっても)評している大人ばかりで

父と母はまったく言葉が通じていないし

父は(今考えてみれば当然だと思うが)家避けの人だったから接点自体あまりないしやっぱりコドモなのでキレたら大変なので緊張しっぱなしだったし。

父に話を聞いてもらう?何か一緒にする?まして何か悩んでいる時に助けてもらう?ありえない。

大人に話を聞いてほしい、困った時は、大人に助けを求めるというアタマそれ自体がなかったと思う。

いや、特に母には期待をかけて、(身体に症状を出してでも「挑戦」→)何度も何度も「玉砕」し、あきらめた・・・

まだあきらめてない!! と思うことも未だに多々あって、自分で自分に呆れたり。

あきらめが悪すぎて、傷ついて来たというのに。

 

*金や衣食住に不自由しないだけで、

人と較べて自分が「勝ってる」だけで、

誰かが自分のためにいろいろしてくれるってだけで、幸せなわけじゃない。

それだけであんたは恵まれてる、感謝しろ、もっと親に生んでよかったと思わせろ、とか。

なんて乱暴なんだろう。

その静かな暴力の前に※

屈服させられ怒りも恥も外聞もなく人なのかレベルに卑屈なものに仕上がり40年。

いや、でも、まだ生きてるよ状態で、↑のことを「じんわり」考える。

※書きながら『うつくしい家』 金色のふちのアールヌーボー調の丸鏡・・・・あの画のような詩が想起され。

絵のような庭と玄関のあるおうちの奥にも

激しい嵐がふきあれており、

身動き取れない(見えない)女の子が居ましたね。

 

うみのほね いいよねえ。

お風呂あがり、 つめたい麦茶とか牛乳とか アイスキャンデーみたいに

たてひざでぱらぱら。

文字しかないはずなのに 鮮やかな不思議世界が立ちあがる。

月夜さんは こんなふうな世界を求めて森に行っていたのかなあ。

「感じていいのよ」「言葉にしていいのよ」という自分だけの世界を求めて。

それもまたひとつ、「幸福感」ですね。

 

*別に自分はもう家族や子どもを持とうとは考えていないが、

どうしたらあんな(年が多いだけの)人間にならずに済むだろうか。と考える。

どうしたら◇を積み重ねて、今の一瞬からでも、生きていかれる?

普通の社会とつながれることに、それを許してもらえることに、

ただただ感謝して、勉強させてもらうしかありませんね。

 

**全く関係がないんだけどひろいものを貼る(たためないんだろうか)

随分昔(15年前くらいのmixiコミュニティの紹介文かなんかの抜粋だと思う)**

 

諸事情(恋愛・仕事・生活・・・etc)により太っている方。

太っていることに確固たる自信がある方。

食欲を人生の最大の娯楽と考えている太っている方。

太ることから哲学を得た太っている方。

「デブ」と言われても太り続ける方。

太っていることに幸せを感じる方。

太っていることに十分な説得力がある太っている方。

痩せたいとチラッと思っても太っているままの方がいい方。

太っていることによって道が開けた方。

「ざるそば」はどう見ても1人前に思えない太っている方。

好きな人に「君(あなた)は痩せた方がいいよ」並びに「俺()が痩せさせる」と言われたが、腹が立った太った方。

体重測定では周囲から体重をみられる太っている方。

ご飯の時間になるととってもうれしい太っている方。

合コンのお誘いがくると、いっそのこと「太っている方だけの合コンにしたい」とおもっている太っている方。

マックバーガーは1つだとおやつにすぎないと思う太っている方。

「私は痩せようと思えば痩せられるんだ」と言って、痩せない太っている方。

ジャイアンジャイアンの家族が好きな太っている方。

「君が痩せたら俺がつきあうよ」といわれても、心の中では「てめぇとは痩せてもつきあわねぇよ( -д-) 、ペッ」と思う太っている方。

エステに行っても太った太っている方。

肉料理がないと生きていけない太っている方。

「デブキャラ」の芸能人は仲間だと感じる太っている方。

もう走れない太っている方。

親から「相撲部屋に入れ」と言われたことがある太っている方。

太っている人のみの専用車両が欲しいと思う太っている方。

いい人を紹介してくれると友人から言われたのに、太っているために紹介をしてもらえない太っている方。

セルライトは誰にでもできると思っていた太っている方。

ディスコのお立ち台に登って踊ってみたい太っている方。

太っている人の批評を書かれて、「うるせえよ、ばーか」と思う太っている方。

心の中では神田うの(木村拓也でも可)なのに、鏡を見ると太っている方。

隣にいると「息苦しい」と言われた太っている方。

「上位好きと下位好き」などのネタが載っている雑誌をみても、どう考えても下位にならざるを得ない太っている方。

裸になってもあそこが肉で見えない太っている方。

ここ最近、自分のリンパ線から体内脂肪が出てくるんでこればやばいんじゃないかと思っている太っている方。

天災で1週間程度ご飯が食べられなくても生きていけそうといわれる太っている方。

ついつい深夜のダイエット器具の通販番組を見てしまう太っている方。

寿司は1貫に何個も乗らないのか疑問に思う太っている方。

学校給食を「食べ放題」にしてほしい太っている方。

「水を飲んでやせる」ダイエットは効果がないと自負する太っている方。

都会には痩せている人が多いと感じる太っている方。

痴漢にあわなくなった太っている方。

それよりも電車に乗る際2人分席を取るので電車に乗れなくなった太っている方。

うんと疲れて水が飲みたい~と思うときに、コーラのあまったるいものを飲める太っている方。

冬の時期に「肉があるから寒くないよね」といわれる太っている方。

「太っていますけど何か?」よりも、「太りすぎですが何か?」の方が当たっているかもしれないと思う太っている方。

春になっても、薄着が着れない太っている方。

太っているのに冷え性な太っている方。

スポーツクラブに通っても、3日で飽きる太っている方。

冬の時期に「実は何枚も着ていて着膨れしてるの」と言い訳を言ってしまう太っている方。

何かを捨てても太っていたほうがいい方。

太っている人は仲間なのでとっても優しい太っている方。

「あなたは体が大きいから格闘系のスポーツをやったほうがいいよ」といわれても、脂肪しかないのでできない太っている方。

やたらコンビニで弁当を買って食べる太っている方。

目玉だけの写真だと太っていることを隠すことができると考える太っている方。

痩せている人は政治家にはなってはいけないと思う太っている方。

宅配ピザ1人で食べるにも必ずLサイズにする太っている方。

またLサイズのピザでも腹にたまらない太っている方。

松浦あやと大塚愛の歌をかわゆく歌いたい太っている方。

運転免許の更新をする度に、顔がでかくなっている太っている方。

お腹に赤い線が入って(いつもお肉が折りたたまる線)消えない太ってる方。

汗をかくと お肉の溝に沿って汗が流れる太ってる方。

新築の際、設計士から小さい風呂をお奨めされて「こんなんじゃ肉はいらね~よ」と文句をいい、販売している風呂の中で一番でっかいのを購入した太っている方。

10月になっても冷房が欠かせない太っている方。

パンツを履くと肉のせいでめくれる太っている方。

コンビニに、自分の大きさのパンツが売っていないと、悲しくなる太っている方。

ズボンの内股の生地がすれて薄くなる太っている方。

背中にお肉がついて、いつも正しい姿勢でいるのに猫背と指摘される太っている方、またその姿勢だとかっこわるいために、いつも背中を仰け反って正しい姿勢のようにみせている太っている方。

8分目といわれつつ、1食に腹20分目は食べているだろうとおもう太っている方。

家族に痩せろと言われまくっても、脂肪は体内に貯蔵するのに言葉が耳からすりぬけていく太っている方。

あまり怒らない太っている方。

体重計を見なくても太ってくることがわかる太っている方。

恋愛カタログ(漫画)に出てくる「ササニシキ」さんが、自分に似ていると錯覚する太っている方。

ネットゲームにはまって夜中にやたら菓子を食う太っている方。

くしゃみをするとおなかがゆれる太っている方。

ダンプ松本」を崇拝する太っている方。

芸能人の体重欄を見ると、「この人ホントに生きてるのか?」と疑ってしまう太っている方。

ホリエモンの秘書さんはやっぱり太っている娘がいいのではないのかと考える太っている方。

近所のしわしわのおばあちゃんに「私も若い頃はあんたぐらいに太っていたんだよ・・・」といわれて Σ(゜дlll)ガーンときた太っている方。

運転免許の更新で、警察官の人から「柔道やっていたの?」とやってなくても言われた太っている方。

そして「やってます」と言ってしまい、「警察に来ないか?」といわれ、推薦状まで届いた太っている方。(自衛隊も含む)

ステーキ・ハンバーグ店のグラム数は、できれば一番多い物を注文してしまう太っている方。

一番好きな季節は自分の好きな食べ物が多い時期の太っている方。

IT企業に遊びに行ったときに、「###さんって、安産型ですよね~」といわれて、IT企業にはおけつのちっちゃい子じゃないとだめなんだと思った太っている方。

りんごは皮むくのがめんどくさくて食べない太っている方。

消費税減税よりもデブ減税だ!と思う太っている方。

体育の成績は21だった太っている方。

健康食品を多めに摂って逆に太ってしまう太っている方。

子供の産まれた友人宅で「トトロの真似をして!」といわれ、赤ちゃんをおなかの上に置かれた太っている方。

何か口に入れていないと嫌な太っている方。

家から歩いて3分の場所に行くにもおっくうに感じる太っている方。

太っている方だけの会社に入りたい太っている方。

いつまでも「夢見るフトメ」でいたい太っている方。

太っていることで「のど自慢」に出場された太っている方。そして、司会者に「大きいね~」と言われた太っている方。

電車に乗って席に座ると2人分は確保してしまう太っている方。

旅館などの浴衣のサイズが全く小さい、そして浴衣を着用したことがない太っている方。

ベビーパウダー(シッカロール)は太っている人専用のにおいだと思う太っている方。

飛行機のエコノミークラスはもう無理だと自負している太っている方。

学校でのマラソン大会はずる休みをした太っている方。

暑い場所が無性に嫌いな太っている方。

肉が大好きな太っている方。

ここ最近自分用の棺桶がないかもしれないと心配している太っている方。

久しぶりに会う人に「また太った?」といつも聞かれる太っている方。

1日に1回は自分の好物を食べないと、無性に腹が立ってくる太っている方。

洋服を買うのにサイズを「一番おおきいもの」で注文してしまう太っている方。

給食で隣の人のごはんも食べていた()太っている方。

食べ放題で元を取ることに執念を燃やす太っている方。

太っていないと自分じゃないように感じる太っている方。

ここ最近ケツの穴まで拭けなくなった太っている方。

普通の体型の人が「やせなくっちゃ」とか言ってると私に対する挑戦か?と考える太っている方。

小学校では保健室から「肥満児注意」の紙が届いた太っている方。

自分のアバターがある掲示板やネットゲームのキャラなどに、どうも「太っているキャラクター」を使用してしまう太っている方。

洋服を特殊店でしか購入できない太っている方。

太っていることを仕事に生かした太っている方。

いすからおけつとももがはみ出す太っている方。

太っていることで病気をしたけど、それでも太っていたい方。

ボディースーツを着ても、肉がはみ出る太っている方。

旅行の第1の目的は、「食べること」を考えている太っている方。

ちょっと体の線が崩れそうになってる方がエロイっていう人もいるらしいので、あたしのことだなと思った太っている方。

痩せている人を見ると、自分の脂肪をあげたくなる太っている方。

チャーシューを見ると、食欲と同情心が同時に生まれる太っている方。

ベッドを購入するときにメーカーの担当者に「耐荷重何キロですか」とまじめに質問した太っている方。

職場の椅子を破壊して、周囲に思いっきり納得された太っている方。

つきあった人が自分よりも体重が軽い太っている方。

手の甲に赤ん坊みたいにえくぼができる太っている方。

太っている人が好きな太っている方。

「潰されると嫌だから」と真剣に言われフラれたことがある太っている方。

健康診断で結果がいいと「体型のわりに健康なんだ」と周囲から落胆の声が漏れる太っている方。

男なのに「妊娠20ヶ月?」といつも言われる太っている方。

ベッドから起き上がった際、めまいがして座り込んだらベッドが壊れた太っている方。

太りすぎで入院し見事に痩せながらもすぐに元に戻ってしまった…を二回も繰り返してしまった太っている方。

自分の手が「赤ちゃんみたいな手でかわいいね」と言われた太っている方。

飲み会などで、結構歩いたりすることがあると腹が立つ太っている方。

弱冷房車』があるなら『強冷房車』も作ってくれぃ!と思ってる太っている方。

太っている=おたく、と勘違いされる太っている方。

友人と食べ放題に行くと、食べるのと取りに行くのが忙しくて会話が弾まない太っている方。

さらにその友人が食が細いと不機嫌になる太っている方。

便座が降りてないのに気付かずそのまま座って用を足してから、便座が上がったままだったのに気付いたことある太っている方。

ご飯を食べている時の顔がホントにうまそうで、幸せに見えると言われた太っている方。

背中に手が届かなくなっても太っている方。

ビジネスホテルの小さい風呂には「こりゃ体入らないだろう」と嫌がる太っている方。

「太っています」より「肥っています」の方が、表現にリアリティーがあると思う太っている方。

暑いときは全くなにもしたくない太っている方。

軽自動車はもう乗れないと確信している太っている方。

太っていることでテレビに出た太っている方。

空調服を買った太っている方。

整形をしても肉のためにきれいに見えない太っている方。

太っていることで膝など関節の痛みが出た太っている方。

床に落ちた鉛筆を拾うことは重労働だと思う太っている方。

昔からデブだった太っている方。

歳を取ってからやせた人を見るとかわいそうに思う太っている方。

車の運転で40キロ太った太っている方。

明治維新で肉食の伝来がなければ今の私はないと思う太っている方。

自分の脂肪を胸に集めれば叶姉妹に勝てると自負する太っている方。

車に乗ると運転席が下がる(「キー」と音がする)太っている方。

自分の「芸能人に似ているタイプ」がデブキャラの太っている方。

年賀状に「おもちを食べ過ぎないでね」と友人から書かれる太っている方。

知らない人からでも胸を揉まれる太っている方。

エコノミーシートの一番前の席だと腹がつかえてテーブルがだせない太っている方。

献脂をしてもいい太っている方。

座ってマンガを読む時に、腹肉を「しおり」代わりにするのがクセな太っている方。

駅の改札で横向きじゃないと通らない太っている方。

シングルベッドが半グルベッドに感じる太っている方。

青竹踏みを割ったことのある太っている方。(森久美子の実話)

自分より太っている人を見るとホッとする太っている方。

痩せてサイズが変わると服を買い直さなければならないため、ダイエットを躊躇している太っている方。

そもそも自分が太っているなんて思っていない太っている方。

BMIが標準なのに自分は太いと言う人が気に入らない太っている方。

20代以下で生活習慣病になった太っている方。

狭いところを通るとき目が他の大きな道を探ってる太ってる方。

靴下がおなかがじゃまではけない太っている方。

手をグーにすると、「クリームパン」とか「ドラえもん」と言われたことのある太っている方。

しゃがもうとすると腹の肉が邪魔で後ろに転んだことのある太っている方。

「ダイエットは明日から」という言葉が好き&得意な太っている方。

寒いときに風避け()にされたことのある太っている方。

腹部を切る手術で、脂肪が厚いために人より大きく切られた太っている方。

ダイエットのためにした運動で体を痛め、治るまで動けず、その間にさらに太ってしまった太っている方。

三十路を越えてもシワが出る前に皮が伸びるほど太っている(太ってイク)方。

「もうちょっと痩せたほうがイイ」と子供に諭される太っている方。

優先席を譲られてしまう、太っている方。

肉で膀胱が圧迫されてトイレが近い、太っている方。

胸とお腹が同じ高さの、太っている方。

ブラの肩紐が肉で裏返ってしまう、太っている方。

知らない間にカーディガンなど上着の前ボタンがあいてしまう、太っている方。

夕方半額の時間帯にタップリ買い込み、家路に着く途中で戦利品をほうばってしまう太っている方。

子供の食べ残しをもったいないからと、仕方なさそうな顔してムシャムシャ前向きに食べる太っている方。

子供の食べ残し目当てに小さい子供用食器に山盛り盛る太っている方。

お正月「鏡餅」と称して自分の二段腹を見て過ごした太っている方。

寒いとき、自分の肉と肉の間に手を入れて暖をとる太っている方。

冬でも汗かいちゃうので半袖で通す太っている方。

「あんた丸くなったねー!」と、同じく丸い親戚の人に言われる太っている方。

ここの説明文がやたら長いので、自分のコミュの説明文もながーくした太っている方。

結構ものを破壊する太っている方。

説明文がはじめはバカ受けするんだけど、途中から痛く感じる太っている方。

この説明文が実際本当のことなのか疑問に感じる太っている方。(ほぼリアルネタですけど何か?)

管理人を男だと思った太っている方。

人生の全てを「~~ですが何か?」にしてしまおうと思っている太っている方。

街頭で太っている人を見ると、ここへの招待状を送りたくなる、太っている方。

ここ最近このコミュに入ってから本気で痩せようかなと思い出した太っている方。

平和なコミュニティに入りたい太っている方。

あまり仲良くない友人の結婚式に誘われ、何かと思ったら2次会で太っている人用のゲームをやらされ、結構切れた太っている方。そしてその友人の働く銀行には、絶対に貯金はしまいと思う太っている方。

ここ最近ここのコミュニティの内容が、別に「太っている」ことでもないような気もする太っている方。そしてそれでも面白いのでいいや~って思う太っている方。

ここ最近mixiで一番太っているのはここの管理人なんじゃないのかと考える太っている方。

ここの説明をすべて読んでいるのは自分しかいないだろう?と思う太っている方。

太っていることが世界の問題解決の手段になるのではないかと考える太っている方。

何かあったときは「太っていますけど何か?」と言ってしまえばいいや~と思う太っている方。

脂肪燃焼が地球の唯一のエネルギー資源になるのではないかと本気で思っており、その資源として自分の培ってきた脂肪を貢献させても良いと、そのために脂肪を貯蓄している太っている方。

それでも太っていますけど何か?と思う太っている方。

 

是非どうぞ☆

記録 2019.08.24.

**(記録なので最初くらいは記録らしく以降を書いた後につけたしで)

心身の状態は、急に「もったり」が直った感じ。

家に帰ってから

*ちょっと家の中のことして、

*お風呂に入って洗濯が出来て、

*髪が乾いてから寝る。

が「また」出来るようになったよ。(だから。普通じゃね?っつう。)

この1か月半くらいの、蒸し暑くなり始めた頃からの、

*家に帰ったら、もう一歩も動かれぬ。

*横断歩道の青が□□■■■■■■■■■■になっていても走ることもできない。

*歩いていても「右・左・右・左」

ってなんだったんだろう。

漸く心と体が暑さに慣れて来たということか?

慣れてきたところ悪いがもう終わりで

次また急に涼しく暗く乾燥する季節になるんで。よろしくね(by季節)

・・・よろしくぅ(-__________-)ノ・・・

日本人の感性って絶対この気候の変化の激しさに影響を受けてるよね。

(なぜか少しうらみ節風にw)

 

【※またgdgdと】

*「あなたのお母さんは、ちょっとおかしいの。だから、あんまりまともに受け止めちゃだめ。いろんな大人の話を聞いて、大きくなっていってね」

「おかしいところ(神経症的な症状)はありませんか?特に上の子。○○さん、正直私は○○(←)ちゃんの方が特に心配です」

私の子育てのどこがおかしいんですかっ?何も知らない癖に偉そうに!!

私がこの子を病気にする?どういうこと?そんなことするわけないじゃないの。こんなにかわいいのに。こんなに大切なのに。こんなに愛情いっぱいの、お母さんが居る娘が?かわいそう?意味が分からない。

見てなさいよ!一度だってそんな間違った「忠告」したこと、後悔させてやるんだから。

あそこの家の子より、「立派に」育ててみせるんだから!!

みんなわかってないよ。

みんなおかしいよ。

 

いつも何かに焦っているような、よその家の子と較べてばかりの、お母さんだったと思う。

日に何度もある、自分で設定した制限時間が厳しく、私達をいつも急かして、少しでも過ぎると大騒ぎしていた。

「わああ大変もう〇時!!○○する時間!!

「子供は、●歳までに決まる」という早期教育会社の広告みたいなことを連呼しては、

●部分は、3-4-5-という感じに年々スライドしていくのねw

「○○までに○○は出来ていてくれなきゃ、困る。大変だ」という感じがすごかった。

「●歳なんだから」「これができなくっちゃ」「区別できないと」「意味がわからないと」

「なんであそこの家の子は出来るのにあなたは出来ないの?

未だに「被る式の上着(着るより脱ぐ、が難しかったと記憶している)」「靴下」の着脱の練習をしていた頃の服の模様まで思い出せる。

 

左と右の区別も鬼の形相で叩き込まれた。

「怒っているんじゃないの!!教えてあげてるの!!左はどっち!?お母さんから見て右はどっち?!

間違えるとめちゃくちゃ怒ってるし、もう大混乱だった。

お箸持つ方だ、ピアノのト音記号の方を弾く手と何かで読んで(誰かから聞いて?)「これでいいんじゃん(なんであんなに怒るんだ・・・)

(小学校あがる以前の話)w

 

同時期に同じ習い事を始めた、よその子のほうが「うまくなってしまった」りすると、「誘うんじゃなかったわー失敗した!!

 

学校にあがり

学校で鉄棒が苦手、と聞きつければ庭に鉄棒が出現するし、

跳び箱がダメ、といわれれば家庭で跳び箱を購入。

(却って危険だと思うが・・・その後何年も、ぬいぐるみでままごとするときの「家」になってましたよ これはこれで気に入っていたw)

「そんなに出来ないこと、苦手なこと、分からないことがあることは、まして人にそれを指摘されることは、(うち的には)ダメなことなのか」

得意なこと、好きなことを伸ばすよりも、苦手をつぶすことの方が重要、という生き方の淵源ここにあり。w

よく考えなくても、身体が何個あっても、人生何回生きても足らないよ!!

 

小学校2年生の夏休みに通信簿に書かれたことで

母に泣き叫びながら怒られたことは今でも忘れられない。

学業より生活の欄に書かれたこと。

「自分の世界に入りがちで、周りが見えてないこと」

「テストが早くに出来てしまうとあいたところや裏に絵を描いてしまうこと」

「忘れ物やなくしものが多いこと」

など指摘されていた記憶。

あの夏の母は本当に怖かった。

私のもの(衣服、カバン)だけ投げるように扱っていたり、

とにかく私に対してすごく怒っている態度で。

その夏、母は、ドピンクにトラ柄みたいなドレスをいつも着ていたんだけど、

その柄を思い出すだけで今でも「痛い」

「なんでこんなことを通信簿に書かれるんだッ」

「あとでお父さんにも言ってもらいます」

あれほど(当時も)家にいない・接点のあまりない父まで持ち出してくるということは(うちでは)大変な事態だった。

(母は父の利用の仕方がなかなか卑怯なんですねw また別記するかもしれない)

 

それ以来10年ほど、その「痛い」記憶から、

あんな思いは二度としたくない、と頑張ったんだけど、

何をおいても努力したけれど、なかなか

「自分の世界に入り込まず、周りをよく見て行動できる子」

「絵や勉強よりも運動や集団行動が得意な子」

「忘れ物や落し物、『うっかり』のない子」

にはなれなくて、フラストレーションだったね。

小学校5年になってもみんなの前でロッカーを全公開されて「だらしがない悪い例」としてつるされたりさw

ちょっと油断するとすぐ忘れ物をしてしまう。

普通に歩いていて電柱に激突したり池に落ちたりするw

 

中学1年、2年になってもやっぱり運動が苦手であったり、集団行動で「珍」な動きをしてしまったり。

そのたびにひとりで自主練。

ひとなみになるためには、隠れて人一倍、稽古。

情報収集して、研究。

 

やっと「何とか人なみになれてきたかな?

↑みたいなことを人に指摘されたり怒られたりしなくなったなあ、というのが二十歳直前。

誰からも「しっかりしてるね」と言われ

運動部のリーダーをやったり

軍隊みたいな合宿に参加したり。(1年のうちに何回もいろんな場所へ移動して集団生活して、布団を並べて寝起きして、風呂は(ひとりor1チームw)15分制で、みたいな。ちょっと思い出しても正気じゃないwフツーじゃないw)

(発病前)

母のこういう私の有様に対する感想が「あんたは本当に苦労を拾って歩いているって感じよね!!なんでそんなにしないといけないの?

またそれを聞いた(↑10数年を一応話した)他人の方がブチキレて「ねえちょっと平気なのそれ?

本当に思ったことを思った通りにそのまんま言う人だと今は思うけどw未だに怒りがわかない異常なワタクシw

「怒りをもたないように『調教』されておりましたw

 

絵を描くのは本当にどこに行っても(外国でも筆談に絵!!)

やめられないのに、そういう自分をなんとなく恥ずかしく思っている。

「うまいね!こういう道に進もうってなんで思わなかったの?

称賛されているんだろうが、

もうそう言われることが苦痛で恥ずかしくて、そっと隠す。

随分弱まったけどまだあるねこの感じ。

非常に苦しい回り道をして10代をつぶしたと思っている。

別に後悔しているというわけでもないが、

無理・無駄・ムラが実に多かったね、まさに「名前の付けられない病気」まみれ。という感じ。

 

無理な(普通はしない・できない・またその必要もない)努力

無駄な怒り・いらだち

ムラのある(自分の意志や欲求でなく他人の評価に依存するので非常に不安定で持続しないという点で)

成果、結果、実績しか出せない。

世の中そんなに甘くないぞ と思うんだが、

苦しすぎて いっぱいいっぱいすぎて 周りを見るとか、自分の実相・将来について静かに考えるどころじゃなかったね。

 

別に摂食障害や鬱や自傷不登校ではなかったけど、

だからこそ「異常」が発見されず

病気を大きくし続けるしかなかった。

逆に考えると少女の時代に何らかの症状を「発症」する人は「早期発見」ができたと思っていいのかもしれない。

 

ま 私も(謎の、何日も寝たきりになる、ていうか寝返りも打てないほどの)脚の痛みや

(机の椅子の周りが真っ黒になる)抜毛症とか

いろいろ「出た」けどね。

見事に!スルーされ続け~で

(母:私が間違っているわけはないのに・・・おかしいわね、何がいけないのかしら?)

身体もあきらめたんだね。

方針変更!!なんとか生きていくしかない。みたいな。

(-__________-)

 

トラウマといえば 

●人間なのに人間の言葉が通じない

●誰の話も聞いていない

●自分の要求を通すことしか考えていない

人が常にそばにいること

その人がいないと物理的に生きていけない自分の非力さ

ですかね。

小さなころの私は本当に124時間365日、恐ろしい思いをしていたのだと一応頭で理解の巻。

 

 

記録 2019.08.17.

*病児保育してくれるところは見つかったのかね。運ぶのも一苦労だろうしなあ。

お父さんは不規則出勤だし、実家は近所なのに頼れないし、

運ぶだけならやるから朝●時に駅に持ってきてくれ。とも手を挙げられんしな。

役に立たずすまぬ。

お母さんの心の健康が一番ですよ。

 

*少し古い話になるけど、ちょっと驚いたのが、お兄ちゃんのことだった。

実家を出て?!地方で?!働いてる?!

20何年も殆どひきこもりでポスティングのバイトしかできなかった人だよね?!

そうなってもしょうがないよな、という生育歴家族歴な人だったよね!?

立派すぎるパパのスパルタ教育、妹は妹でこんな完璧な病人に仕立てあがる病み病みゲバゲバママ。

22歳まで一見普通に育っただけでも奇跡に近いだろみたいな。

もう父ちゃんは中年ニートの息子の社会復帰は諦め、責任をとって自分の死後人並みに暮らせるだけの財産を残してやろうくらいに思ってるんだろうと。

何があったん。

と 思ったけど、頑張って回復したんだよね。

上からの感じがしたなら申し訳がない。

妹も、家族外のたくさんの普通の人に接して、助けられて、回復していったから、それを見て、自分も自立しないと。と10-20年に亘って思い続けていたのだろう。

お兄ちゃんはものを書くような人ではないのか(どうしても私より年が少ないと思い込んできたのでそういうもの言いになってしまう)、でももし何か書いているんだったら読んでみたいような気がする。

フランス語の詩とかだったらムリだがw

で そしたら父親の方がおかしくなってカウンセリング通いをしている で 悪いと思いながらも笑ってしまった。

ざまあみろ。

最初父親がカウンセリングに通ってる話を読んだときは、兄妹の病気に関係して家族療法的なもののひとつなのかな、とか思ってたんだけど

自分のかい。

なるほど。

病気になった子供たちが回復して自立し始めると、今度はその病毒の元の親の方が調子を崩す。

 

*思い出すのは、母と、母方の祖母のこと。

 

母と祖母の話しているところは、記憶にある限り、いろいろとキツめで激しい言葉多い祖母の話を、否定せず、静かに(いや、緊張して固まったように)聴いている母という画ばかりなんだけど、

「だからね、ええ!私、言ってやったのよ」

「○○さん家。なに、あれ??ねえ?どうしょうもないよ、あそこんちは。何考えてんだろ。ねえっ?!

「私は○○さんの葬式には絶対に出ないからね。あ!?冗談じゃないよ。え!?

文字にすると「あ?」「え?」「ねえ?」「ん?」という感じにしかならないんだけど、

「あ」とか「え」とか「ん」には濁点をつけたいし、普通の人だったら「はあああ~~~?」なんて言う時にしか使わないくらいエネルギーがこもってるし、

激しくて恐ろしい感じのする叫び声みたいな感じだよ。そりゃ相手はびびッて黙って聞くしかないよ。みたいなw

普通の会話なのにドスが効きすぎなんだよ。どうしてこうなった。

で 同じ「音」を母も今でもよく使うけど本当にそっくり。私も気を付けないと。と思っている。自分が喋ったものは録音して振り返る習慣をつけたい(別に語学学習のためでなくても、もう)

空き瓶(ジャムとか佃煮とかの)を携帯灰皿にして、強い紙煙草(あの水色のハイライトかセブンスターだったと思う)をすぱすぱやり、もくもくと紫煙。男か女かわからん。みたいな。

(似ている有名人は北島三郎。本当にそっくりw 色黒でぎょろめで出っ歯でしわくちゃで髪型はパンチ)

(「たばこやめろって言ってた医者はみーんな先に死んじゃったねえ~~~~」みたいな)

ちょっと見るとかっこいい・・・かっこいいかな、よくわからんけど、

まあ 仕草も口調も外見も話の内容も男か女かよくわからんと 今書きながら思い出しても思うんだけどw

 

ある時から、急に、母の方が、

「それは、違うよ?お母さん?

「そういう話、やめてくれる?

「でもね」

「私はね」と強い口調で言い咎め、黙る祖母。という画が増えたという感じがしている。

車の後部座席で、祖母、妹、私で祖母の話を聞いていると、母が突然振り返り顔をしかめながら、

「子どもたちの前でそういう話やめてちょうだいっ」と祖母に向かって叫んだりする。

 

ある時点から、急に増えた、祖母にきつく言い返している母の画。

「子どもが出来て、私は強くなれた気がするの」

「女は本当に、母になると強くなるね」

誰かに向かって言っているのを聞いたこともある。

それと同じくらいの時期だと思う。

子どもを使って、自分の言いたいことを言う練習が出来たって言うことだと思う。

何でも否定せずに聴いてくれる子どものおかげで、自己肯定感が増えた、ということだと思う。

子どもを病気にしながら、自分の中の幼児を癒し、言いたいことが言えずに黙るしかなかった自分の親にも言いたいことが言えるように「強く」なる。

 

そして親は、体力精神力ともに衰え始め、エネルギーを使って相手を支配するような喋り方が出来なくなる。

祖母は、記憶にある限り、私が中学生になる頃から急に、世の中に、誰も彼もに、怯えたような感じの老人になっていったと思う。

そして、ますます「もうちょっと、困るんだけど!!」「やめてくれる、それ」と強く出るようになった娘にも、逆らえない。

かといって孫の私が、「ちょっとお母さん言い過ぎ」「おばあちゃんかわいそうでしょ」とか庇えるかといったら、それも出来ない。

だっておばあちゃん怖い人だったからね。

「おばあちゃんは、そういう子は嫌いだからね」と突き放すときの口調。

「お母さんは、おばあちゃんのことが好きじゃないけど、逆らえないんだな」という感じ。

認知症になって何もかもを怖がり幼児のように泣き叫んでいるのを、みんなで笑っていた、というのは、話に聞いただけだけど、まあ、そうだろうね。自然な流れだよね。誰も庇わないよね。可笑しくて笑っちゃうよねwと思った。

 

子どもが壮年となり病を癒し強くなる頃、今度は老いたかつての支配者である親は弱り。

もう何百年もこれ、繰り返してたんじゃね?と考える。

祖母の母のことは誰の話にも聞いたこともないが

祖母とその母との関係は私たち(祖母と母、母と私)以上に歪んでいて恐ろしいものだったのではないか?

訊けば、母の記憶には残っているのかもしれないが・・・

 

6人の子(一番上のお姉さんはすでにお嫁に行っていたかもしれないが)を抱えて

家業・家事・育児に忙しい祖母のもとに時々あらわれ(まだ、電話はそんなに一般的ではなかったかもしれない)

おそろしい口調で愚痴(愚痴というよりも何か誰かに対する罵倒に近いかもしれない)を吐いて帰っていく。

1960年代初頭の、オリンピックに向けて挙国一致の大事業に湧いた東京の、特に栄えた工業地帯での話だ。

 

嵐のように祖母の母の帰った後、祖母は・・・

「あの人は、私の反面教師なの。また孫(母とその兄弟)にはいろいろ買い与えて」

「ちゃんとお礼は言ったの、私があの人から言われるんだからね、大人に対する口の利き方がなってないとか」

「お母さんはね、はっきり言って、あの人のことは嫌い。来てほしくないの。会いたくない。でも、来たら追い返せない」

と話が分かるようになった母にこんこんと言い聞かす祖母。

 

すでに「支配者」の母に反抗的になりつつあった兄2人はあまり家に寄り付かない。

(12-3歳の頃、彼らは18歳~就職するかしないかくらい?1960)

時々、祖母と言い争って飛び出していき、その後祖母は母をつかまえて

「あんな風になったら終わりだよっ。何だ親に向かってあの言い様は。どこかで乞食になってろ。あんたがあんな風になったらもう家に入れないからね」

祖母の毒トークを浴びるほど聞かされる妹。

を、心配していた良心が、当時の母の家族にあったとするなら、

母の父(当時60代だろうか、私は会ったことがない)と一番上の兄(生涯未婚で、祖母が認知症を発症して母が(私から見て)実家に引き取るまで、ずっと一緒に暮らしていた。2010年頃に病没)だと思う。

 

母の父や一番上の兄は、末の妹の心の健康を心配して

(心の健康なんて概念が当時の日本の社会にあったのかも疑問だが・・・大戦後15年、Philopon発売中止から10年前後、社会全体の戦争の心的外傷だってまだ癒えていない頃だったと思う。傷痍軍人の人、戦争孤児、戦争未亡人みたいな人も、東京では、たくさん見られたと思う)

母が不在の時は、毒の中和でもするように、一緒に過ごすようにしていたのではないか?

「母ちゃんは相変わらずキツイな、姉ちゃんが嫁に行ったから聞き役にさせられて○○子は大変だよな。はい小遣い、うまい菓子や好きな漫画買いな、内緒だぞ、またうるさいからな」

その嫁に行った一番上の姉ちゃんもすさまじく喘息だったなあ。

1回だけ会ったことがある。私10歳、母40歳、母の姉55歳くらいの時?

日本海側の、真っ青な空と海、見渡す限り山と田んぼしかない、民家や車もまばらな

もんのすごく空気のきれいなところに住んでいるのに、普通に話せない、酸素マスクが必要なくらいのひどいぜんそくだったことにびっくりしたことはよく憶えている。

どう考えたって私に病気を起こした毒と同じ毒にあてられた心因性だよなあと今は思うが。

戦前、1940?年生まれの、初めての女の子。まだ(祖母は後妻、祖母とあまり年齢の変わらない前妻の娘が居たという)前妻の娘とも同居していたんだろうと想像する。

姉ちゃんは、末妹の母が話が分かるほど成長するまでに(推測だが母の姉と母は15歳は離れていると思う。母は祖母36歳の時の子)どんな話を聞かされ続けたんだろうか。怖。

 

この母の姉と兄についてはまだまだいろいろ考えたことがあるのだがまた書くと思う。

 

**話が随分遠くまで来てしまったが(10何時間もかけて休み休み書いてますいくらなんでもさしもの私もw)

病気の子どもの世代が良くなると

上の世代は、急に弱りだす。下の世代が発症しだす。

何百年も、病気をもつ家系の方々で繰り返されてきたことだと思う。

記録にも、画像にも、残っていないし、「私」のこの記述だって100年後には痕跡も残らないだろうが、

遺伝子とは別のデータとして私に乗っかって発現しているということ。

そういう、言葉にも形にも何にも残らないのに、

「こんなに苦しい」ものとして生きた人間の中に残り、

その無数の重なりの上にふわりとのっかったような小さなかけらが私の今日で。

 

そんなことを考えていたら苦しくて苦しくて久し振りに(本当に久しぶりに)泣いてしまった。

生まれてきちゃいけない。

生き続けてはいけない。

本当に久しぶりにそう思った。

悟りきった聖人の如く「それでもそれらすべてが愛しいではないですか」と言えるような時もあるにはあるけど、

自分で自分に「けっ」ですよいくらなんでもw

 

ちょっと思うんだけど歴史に残るような凶悪犯罪者は死刑になんかしちゃいけないんだよ。

賛否あることを承知で、件の青葉容疑者を取り調べ出来るまで回復させるという努力は正しいと思う。

肉体を死ねなくして徹底的に動機の原因を究明、加療・更生・矯正して次世代の病気の芽を監視、教育する立場に就かせるべき。

肉体や生殖細胞を冷凍保存してでも思考回路。成育歴。など吐き出させ切る技術の開発されるのを待たせ、

似たような痕跡をもつ家系追跡も可能になる時代まで温存しておくべき。

数百年後には、死刑、というのが極刑だったというのも古い話になりそうですね。

まあそういうネガティブを消しきった世界が人間の世界なのか?という問題も残るけど。

 

 

**今日も散らかった話になったなあ。

マジで最後まで読む人がいるのか、と自分で思うがw

それも含めて非常に不安定な心理状態の記録として貼る。

 

そろそろいつもの読み物もまたたまってきたのでこの辺で。

記録 2019.08.15.

**子どもは病気をしながら大きくなる。けど、そのたびに伝染させられてたら大変だよね。

あと1-2週間とはいえ、健常人にとっても特に過酷な時季だしね。台風まで来てるし。

体調が悪くならない方がおかしいんじゃないか、みたいな。

弱くなったっていうか寧ろ正常な反応なんじゃないかね?

これで半年後にはまた最高気温一桁、湿度20%の世界になるんだから

ついていくのが大変だよね(-__________-)

ま 年中20度、湿度50%の土地に住んでそれで楽しいかといったらそうでもないかもしんない。

鳥生子ちゃんも3040年経っても「それでもやっぱり慣れないなあ、日本の気候は」とか言ってそう。

2人ともお大事にしてくだせえ。

 

*私も「休日だけど、ちょっと頑張って出かける」をするたび、翌日「ぐったり。何にも出来ん」だなあ。

いろいろ、いい加減、手をつけてしまいたいこと。はあるんだが。

くちゃくちゃ。だらだら。

 

*でも別に「がっ」でも何でも、何が何でも。やる。は、しなくなったな。

頭でやらねば、やるべき と決め込んだことをやり切って、

偉そうな気分になれても、なんか、恥ずかしくね?ってだけだよな。と今は思う。

 

**数日だらだらと書いていたもの。ある長さに達すると突然自分でイヤになるな。w

「ぶちっ」って感じだがそのままUPする。

 

*ごはんがおいしくなくても

家が周りと較べて裕福でなくても

服を手作りなどしてくれなくとも

習い事をさせてもらえなくても

お父さんとお母さんの話が通じていること

お父さんとお母さんがお互いを大好きで結婚して私が居るんだなと思えること

「どうして私の思い通りになってくれないの?!

「お願いだから私の言うとおりにしてよ!!」と怒ってもいいから、その逆も。

私の感じ方を分かってくれること

何で私がこうなのか、こう言うのか、分かろうとしてくれること

親の思い通りにしなくても、私はこう思うんだから、これでいいと認めてくれること

私の喜怒哀楽を大切にしてくれること

「親がが恥をかくから」○○しなさい、○○するな。ではなく、

「私が将来困るから、陰で笑われるから」○○しなさい、○○するな。と叱ってほしかった。

ものに。衣食住に。自分の子どもの頃より、周りの子より、恵まれているから幸せなのではない。

どうしてこんなことが分からない人だったんだろう。

 

小さな私に、身近な大人一人、

「お母さんは、ちょっとおかしいの。だから、あんまり真に受けていったら、ダメよ?例えば、昨日言ってたことと、今日言ってることが違うとか、あるでしょ?可笑しくないのに、笑うところじゃないのに、怒るところじゃないのに、変だなって思ったら、お母さんには直接は、怒られるから言えなくても、その感じ方はおかしくないからね。安心してね。変だなーって思ったら、ちっちゃいことでもいいから、内緒で私に言ってね、聞くからね?

親がああでも、自分の感覚が尊重され、思春期までに、たくさん良書を与えて、もっとたくさんの大人、社会に触れさせて、きちんと「教育」がされれば、手遅れにはならない。

そう考えた、心ある大人も、居たんじゃないか?

「変なこと、娘に、吹き込まないでください?

彼女は、必死にそういう者たちから娘を守ったに違いない。

娘を守ったのではない。自分を守ったのだと思う。

やっと私にも、自分の思い通りになる人形が、出来たの!!

私が母(母方の祖母)に思い通りにされて来たように、漸く思い通りに「支配」出来る立場になれたの。

だからこそ配偶者だって「自分の思い通りにさせてくれそうな人」を選んだ。

それをぶち壊しにするの?この子の将来のため?私がやっと手に入れた人形を奪うの?許せない。

 

もし仮に(私は(くどいが)この種のたとえ話が嫌いだが)私が余命3か月と告げられたとする。

そして内心喜々とする自分の異常さにうんざりしながら、時間の逆算と後始末をしてくれる人々を意識し、まるで仕事の継承かのように準備をしている。

どこからかそれを聞きつけた母が血相を変えて職場または病院に怒鳴り込んでくる。

ひっそりと引っ越しをしたりして、隠れていても、待ち伏せてでも眼を血走らせて追ってくるだろう。

未だに、そのような夢にうなされること多しw怖ぇw

「なんで言わないのっ?!」叫ぶように言う。

だから。私の本当につらいこと苦しいことは、一番、言えない・言いたくない・知られたくないのがあなたなんですよってば。

小さなころからずっと。

きっと私は今でも言えない。最後まで面と向かっては言えないだろう。

 

最後まで「娘のことを一番に思う私」「娘のことをこんなに愛している私」「よき母であるのに、娘に想いが通じていない、かわいそうな母の私」を貫くんだろう。

それも、私に向かってではなく、私の周りに居る人間に向かって。

そして、それを「仕方なく」でも認めてくれる人しか傍には置かない。

「どうして私はこんなに・・・なのに、あなたはわかってくれないの?!

「わかってくれないんだったら、あんたなんか、居ないのと一緒よ!

 

まったく、40年の間に何も変わってませんね。

自分のことがかわいくてかわいそうで仕方ないところ。

それが醜いと思われていることが分からないところ。

そういう自分でも「仕方なく」でも受け入れてくれる人しか認められないところ。

誰の人生がつぶれようが、お構いなし。自分が一番。

私にとっては、猛毒でした。

このことを、一緒になって「酷い娘だわ」と攻撃し、

「あなたは悪くないのよ」

「あなたは、よく、やった」

と許してくれる人としか、言葉も交わされない。顔も合わせられない。

 

人間には、限界がありますね。

私もそれを認めないといけません。

40年、私は彼女の「成長」を待ったのかもしれません。

もしかしたら、もしかしたら、彼女だって「親」になってくれるかも。

「親らしく」してくれるかも。娘として接してくれるのかも。

いや別に普通の親子ごっこが今更できなくてもいい、少しはまともに人の話を聞く人になってくれるかも?

でもあまりにも裏切られ続けすぎましたね。

いい加減にあきらめろ。頭では本当にもういい加減にしなきゃ、と思いながら、

あきらめられずに忠犬ハチ公かってくらい待って。

私は、そう受け取っているのに。

自分可愛さ強すぎて、とても、そんなこと、聞き入れられない。

「私の話を聞きなさいっ!!

 

最後の最後まで、娘は、「自分がどんなにいい母親か」を世界に示すための道具。

どんなに拒否しても私が*ぬまで通い、関係者に頭を下げ話しかけ、

自分が「どんなにいい母親であったか」を宣伝し、「娘の早世を心から嘆き悲しむ」母を演じてそれで満足なんだろう。

お願いだからそんな醜態を見せないでくれ。頼む。残された時間は、穏やかに過ごさせてほしい。

ということを代わりに伝える者があろうものならそれこそ刃物をもって暴れたりガソリン放火でもなんでもするんじゃなかろうか。

 

今はどうして母が父と熟年離婚に至らなかったのか、はっきり分かる。

「おばあちゃんのために、別れない」としていた祖母が亡くなってでも。

祖母が亡くなり、父は、事実上、勤めていた会社を「追放」されても。

ATMだったから別れないでいたのに、プーになっても、そのプーのために会社を相手に裁判もしたとか。

そして母の方は、反対に、十分に社会的に自立が出来る職業に就いても。

娘が離れていったから、次の「自分が居なければ生きていかれない」者が必要だった。

これに尽きると思う。

 

もし私か妹が実家に居たまま病気になりひきこもりになれば、父は捨てられたのではないか。

そうか、「何にもしない」「ひとりで出来ない」「私が知るわけないじゃない」

グチグチ不満を言いつつも父を「自立」などさせるわけにはいかなかったんだな。

娘の次の、自分の思い通りになる人形にするために。

私が、この数年急に、父を気持ちが悪いと感じるようになったのは、このことだったんだ、と思う。

意外とあっさりしてたな、父の過去、父のさらに上の世代のことまで掘ってたけど、まあそれもあるんだろうけど、もっと「近」かった。

今の父と母に、昔の私と母を見るからだ。

 

母にとっての父は、

病気のご主人の面倒をよくみているいい奥さん。と見てもらうための依り代であって、人間ではない。

2-30年前までの母と私のように。

子どものために一生懸命ないいお母さん。と認めてもらうための道具であって、人間ではない。

 

相変わらず、互いに何を考え、思い、感じるのかはどうでもいいようだ。

同意をしてもらえれば、それで満足。「でしょ!ねっ!やっぱり!

同意をされなければ「は?なんで?おかしいんじゃない?」と不満顔。

一つ違うのは、娘であった私は、母に不満顔は絶対にさせてはならない、というのがあったところ。

父は私よりかは少しは健常だから、母がどんな顔をしようが放置。(顔なんか、反応なんか、見てない、関心もないかもしれない)

(それも今でも、子どもの心からしてみると「なんで平気なんだ?」となるのだが・・・)

記録 2019.08.11.

*買い物中に聞こえて来た歌、歌詞をちょっと聞き取って検索するだけで

曲名、フル歌詞、背景、動画まで一つの機械で出先で完結。いい時代になりましたね。

もものかんづめだったかで、紹介されていた作者の経験談

レコード屋の店員にうろ覚えに歌ってみせたり、

歌詞の内容を話したり、(なんか、レモンだかオレンジだかを輪切りにしてアイスティーに浮かべる、みたいな?)w

使われてるテレビCMを身振り手振りで伝えてみたりしても

店員さんも「???」となり

「正解」にたどり着かず

恥をかいただけw・・・と思ったらその曲がかかって、「これこれっ この曲!!!」みたいなw

昭和40年代とは隔世の感がありますね。

私も中学生の時(1990年代)は歌詞カードは聞き取り(カチっキュルキュルを小1時間w)で作成しておりましたw

英語の勉強にはよかったかもしれんw

後日、コピーのコピーみたいな歌詞カードを入手して、赤面とかw

 

*菅田将暉さんの「まちがいさがし」でした。

漫画「パーフェクトワールド」のドラマ化の主題歌だったようです。(割と新しい話だ)

ウェブ広告の試し読みでちらっと読んだ程度なんだけど、

初恋の人に社会人になってから再会したら車いすの人になっていた、という冒頭だったと思う。

**まちがいさがしの正解の方じゃ出会えなかったと思う

**正しくありたい あれない 寂しさが何を育んだでしょう

(好き嫌いが分かれると思うけど私は好きです)米津節全開ですね

Rentさんを思い出したり。

 

*相変わらず姫様がやさしくて・やさしくて・やさしくて・・・うれしい。

病気の痛みで大変なのに、

薬の副作用が文章を読んでいるだけでもエグイし、

痛いというだけでイライラしてしょうがないだろうに、

なんでこんなに遠~く(遠すぎて見えねぇ!!てか会ったことねぇ!!)の人にまでやさしいのか。

リアルじゃもっともっとがんばりやさんでやさしい人なんだろうなあ。

愛らしさが伝わってくる猫ちゃんの記述とか。

あれあれ、姫様**はしてないんだよね?とか。

小さな子どもや動物が寄ってくる女の人は**してる、という俗信は各地にあるそうで。

男じゃなくても惚れちゃうぜーっ

(書き足している間にもどんどん更新されるのでつけたしていくのだが何日放置してるんだw)

ポケモンか、ちょっと下調べして観てみるかなあ。

 

*私は本当は、難しそうな言葉の多い文章は、嫌い。大嫌い。

(いや、なんか、キツイなあ。ごめんなさい。と思いながら、「私が遣うこと」「振り回すこと」はね、と補う)

あまり日常会話では聞かないような、政治経済用語、医療用語、業界専門用語、横文字、数字、単位・・・(それで!?なのだが・・・w)

母が、攻撃的に、叫ぶように、「そういう言葉」を連呼する人だったから。

相手が「?!」と一瞬、考えを止める、驚く、黙る「感じ」、場を支配しているかのような征服感がやみつきだったんだろうと思う。

「それは、○○よ」

「それは、○○って言うのよ」

「○○って読むの。知ってた?

「○○(書名。著者名)とかさ。読んだことある?ま あなたにはまだ早いわね」

「ほら、これ見て、こうすると、こうなる。知ってた?

「なんかなんか!!中心気圧○○ミリバールの台風!!

1ドル○○!!

普通は、連呼するような単語、フレーズじゃないんだろうになんだったんだろう・・・今書きながら改めて思う。

 

もうすこし年が多くなり(それでも10歳以前、一桁歳だったと思う)

本当はもう知っていたことでも、分かっていたことでも、

「知ってる!!」とか、更に自分の見た・聞いたこと、

覚えていること、本で読んだことなどを詳しく言ったりすると不機嫌になる

(後述する父を思わせたんだろう)から、ひっこめるようにもなった。

「あなたにはまだ早い」と言われた「難しい」本でも頑張って読んで、

「読んだよ~で、私はこう思ったんだけど・・・本には、○○さんはこう思ったって書かれてた。お母さんは?」と、

大人と会話がしたくて話しても、

なぜか、お母さんは別にそれに対して自分の意見や考えを持っているわけではなく、

「・・・なんか、いいな、って思ったのよ」「よく憶えてない」「私はそこまでは考えてない」とか

「極めて浅い」話しか聞かれない。

更にたたみかけると、「そういう話は学校の先生や友達にしなさい」「あんたの話は難しくてよく分からない」と「ぶちっ」と切られるようにすらなり、

中学にあがる頃には、ますます、母と話せる話題の範囲は狭まっていったのだった。

「自分の考えや感想を持ち、それを話すことは恥ずかしい」感じを持つようになる。

読書感想文なんて、正気の沙汰じゃないと、中学3年までは思ってたw ・・・

 

勉強は、すればするほど、本は、読めば読むほど、「母とは」会話が成立しなくなる。

と言って、「ものを知らない」妹

(私ほど本など好きではなく、記憶力も良くはない(でも普通だと思う。勉強すれば私立の中学にも行くし中堅レベルの大学にも受かる))

「そんなことも知らない!!

「こんな漢字も読めない!!

「もうっ。この子は本当にものを知らない。()ちゃんを見習いなさい」とよく母にキレられてたw

(と言って別に妹は私とは違って猛然と本を読んだり、いろいろ調べて「備える」ような子でもなかったんだなw)この違い・・・ ・・・

ジレンマだったと思う。

むちゃくちゃだな、ほんとうに10代の私は「苦労」したなあと思うw

冷静になって振り返り、書けば書くほど「電波」がすぎる・・・やべえょ

 

 

今思うと、よく知りもしないのに、

まるで覚えたての小学生が使ってみたがるみたいに「言ってみていた」だけかな、みたいに思うんだけど。

(居るよね?そういう人、大人でも。

覚えたての、何か、難しい言葉、

若者の間で使われている新しい言い回し、

新商品の名前とか、外国語の単語とか表現とか、

「使ってみたかっただけ」みたいに言う人。

母が重なって、「恥ずかしいからやめてよぉ」って心の中でいつも思ってしまうんだけど。

ていうか自分も(子どもの頃から、そして、未だに)そういうところがあって自分でも恥ずかしいんだけど・・・

ま すこしは病気がよくなるにつれて(この15-6年で)緩和はされてきたかなって思ってるんだけど、

このブログを読んでいる人にはそれでもまだまだそういう感じを受ける人もいるには居ると思う。

申し訳がない。←それで!?って思う人は思うだろうなあと頭では思いながら・・・w)

 

そんで、父が一緒に居る時は、

だいたいのことは更に詳しく正確に知っており、自分の意見も持っている父に、

論破されたり補足説明されたり間違いを訂正されたりして絶句→真っ赤になって怒り出す。

父も「あっそう」という感じに黙るしかない。

そういう場面も、もう本当に恥ずかしすぎていたたまれなかったと思う。

そういう点でも、一家が額を突き合わせているのは、私にとっては緊張の連続だった。

どう耐えて来たんだろう・・・未だに疑問だ。w

 

(*そろそろまとめたいwと思いながらつけたし↓)

*恥ずかしくて、悲しくて、苦しくて、(時間的に)短くて(物理的に)小さくてくだらない上に空虚。

この受け取り方。と、ちょっと離れたところではいつも「w(小さく草)」で。

まとめると「マジで早く死ねねえ?」というふざけきった者が、普通の人間の皮を被って、市井に交じって暮らしている。

ヒカリさん。世界は私が勝手に思っていたよりもずっと寛容だし

人々が勝手に騒いでいるほど「許せないほど不平等」ではないと思う。

 

*まあ何にせよ別に自分で*ななくとも遅かれ早かれ強制終了するもんなんだから

必要な学びが進められるように生きるべき。

恥ずかしいも 悲しいも 苦しいも 不愉快だ も

その感じの「裏」、更に向こう側にあるものは何だろう。と、私は、まだまだ「わくわく」できると思う。

 

*人間で居ると 昔 今 未来 があり

近い・遠い があり

大きい・小さい・「わたし」「誰か」の区別があり

殆ど移動できず、時間的にも空間的にも手元しか見えず、

生まれる「前」のことは殆ど憶えていない。

この「わたし」で「いつ」まで居るのかも最後まで、知れない。

知的生命体とか言っているけど何を知っているんだろう。とは個人的にいつも感じてしまう。

ただ、他の生物はやらない(と人間が勝手に思っている)ような工夫によって以前はわからなかったことが分かり、出来なかったことが出来るようになっていっただけ。

それもとても狭い範囲での話。

この宇宙やこの宇宙の更に「外」には、更に長い「寿命」・・・いや時間や空間がもともと・そもそも無いような世界(垂れ幕の文字には「行」がなく、画像には「時間・時点」がなく、この世界は時間の流れ方が一定で人間には通常スライドも不可能であるように)で、高次の学びをしている存在もあるに違いない。

 

また〇←地球 みたいに妙に大きな。宗教・スピリチュアル風味の話になってしまった(-__________-)

私、スピリチュアルは苦手です(またそれで!?なんだけど・・・レイキ・パワーストーン・「バシャールの著書によればオリオン座方面の惑星である・・・」・引き寄せの法則研修会とか「うわぁ」って感じ。気功も実際に見たり感じたりするまではアレルギーだったよなあ。この何もかもにアレルギー病。ま 感じ方なんだけどね。まあまあ。って自分で思えないとね(自己完結))

 

**まだまだ拾い物のきれっぱしなどが(メモ帳で書いています・・・)

複数残っているんだが、いい加減にしてちょっとUP

また別に仕切りなおして書き足す。

 

**姫様は長いです、スルー推奨。すみません とか

話題が散るなあ とか よく独りツッコミに挿入されているが

「そんなもんじゃない」と恥ずかしくてまた赤面w

 

 

 

***そのまたあとで***

メモ帳からブラウザのはてブに移すと「改行」が反映されずにベタ打ちの私の書いた文面では恐ろしい外観になるので、

一度WORDに貼って移すと

今度は字体までもがそのまま移るようで。(初期設定の美しい明朝体w私はMeiryoが好きです)

機能はヤプログよりもはるかに多彩のようだ。

コメも画像もぜ~んぶそのまんま移してこれたのはすごいと思ったがスマホだけで運用するのは

機能が多すぎるがゆえに困難そうですね。

 

姫様は家にはPCがないんだっけか。

今はPCは就職するまで触ったことがないとか、

家にはPCはないですねという若い人も多いですね。

Outlookって何ですか?

とか

BCCってなんですか?

と新人に訊かれて仰天、

スマホで入力した方が速いので、と、スマホで入力したものをPCに貼ってたりするとか。

今に2ちゃんってなんですかとか言われそう。

年をとった感じがしますww

記録 2019.08.03.New!

*ふむ。ヤプログさんも終わってしまうんですね。
ドリコムブログをやってて、2004年頃から更新しなくなって、病気で大変だったころ(2006-7年?)にドリコムブログサービス終了、
ライブドアに移行させることは出来たらしいんだけど移行作業ができなくってそのまま散逸させてしまった。
(ま「原稿」はメモ帳に保存しているから、「復活」させようと思えば手間を惜しまなければ出来るんだけど・・・)

*いろんなユーザーさんが騒いでいてびっくり。
愛されていたサービスだったんだなあ。かくありたいもの。(?)

*ブログサービスでブログをしている以上、そのサービスが止まってしまえば、自分がUPしてきたものもまるごと跡形もなく消えてしまう。

*このもしも話は、私が小さなころの、母の、(娘を思うようにコントロールするための)口癖のまねのようで抵抗があるけれど
「ねえ○○ちゃん、お母さんにもしものことがあったら」
「ねえ聞いて、お母さんにね、もしものことがあったらよ?」
いやでも身体を固くして全身耳にして緊張する娘だとわかっているので、楽しそうにすら、そう、もちかける、母がちらついて、「あいつのまねかよ」と思う。
いや、違う。私は別にこう言うことで誰かの特別の注目を浴びようとか、やさしくされようとか、思い通りの言動をさせようとか、驚かせようとは、意図していない。

もし私が重い病気であることを医師に告げられ
「どれくらい生きられますか?」と訊いた時
「もって3か月」と答えられたら、どうするか。どう感じるか。
いろいろ思い浮かんだんだけど、
もし、そんなことがあったら、心底「ほっ」とするんだろう。と思った。
「うわあ本当?!」みたいに思うんだと。
そしてまたこの異常さにうんざりとなった。

私の身の回りにある「もの」、まだ使えるだろう「もの」が、
持ち主を失って捨てられてしまうだろうことは心が痛むけど・・・
それは最小限にするべく、最大限手は尽くして。
喜んで使ってもらえる人の所へ行ってもらおう。
それは、なるべく自分の手で行いたい。
いろいろなものの解約。清算。どうしても誰かに頼まないといけない範囲が残るにしろ、その人が「?」と困ったり負担になったりしないように。きちんとした書置きを。

いろんなところでわりと短期に仕事の引継ぎ、引き継がれをしてきたので
慣れたような感覚だ。
その「期日」を目指して、↑のことをなるべく済ませようと段取りを開始するんだろう。
自分ではコントロールできずに、辞めたくもない仕事を辞めなくてはならなくなり、引き継がされることで、
こんな「感じ」にまで慣れてしまった。

本当に私は苦しいんだと思った。
生きているのに、生きた心地がしないんだ、平気なふりして普通ぶって生活しているけど、みんな嘘なんだ。
もう本当に、早くぶち殺してくれ。
ずっとずっと、本当にそう思ってるんだと、思った。
人を、ものを、仕事を、世界を、自分の感覚を、「あいつらよりは」大切に、まともに、真面目に向き合い、生きている。
壮絶に努力して、数々を乗り越えて、生きられるようになった、と思ってるけど、その実、
この感じ方で あの育ち方で この世界で 私で 生きるには 悲しすぎる。苦しすぎる。
一瞬だってその感じが消えることはない。癒えることはなかった。
「これで」こんなに長く生きてしまった。という感じ。

1日でも1か月でも1年でも長く生きて、何が見たい?誰と居たい?何処に居たい?
もう一度桜が咲くのを見たい?
誰かや何かが成長するのを、ある状態になるのを見届けたい?
長く生きれば、より面白いテレビ、漫画、映画、よりすばらしい音楽、芸術、考え方、アイディア、
「よい」ニュース、便利な機械、サービス、かわいいもの、おいしいもの、いい香り、場面、景色に出会うこともあるだろう。
だんだんと変化していく世界を見ていたく・・・とも、それだって100年も続けられない。
科学技術が進歩して、金に糸目をつけなければ200年、300年と生きることが可能となっても、
今よりもっと、以前より、病気や事故や老いを遠ざけ続けることが可能となっても、
そんなに生きることが、望みさえすれば生き続けられることが、幸せか?

今からたった100年前、20歳ちょっとで、
愛する人のこと、やりたかったこと、たくさん思い残しながら
病気や社会、生まれた時代を呪いながら
死んでいかなければならなかった人たちからしてみたら
今この瞬間この地球上で
少しでも長くこの自分でありたくて
やりたいことがあって
離れたくない人や場所があって
必死に置かれた状況で戦っている人戦った人からしてみたら
なんて気持ちが悪い「人間」だろう。

まだストレートに世を呪い
自分が勝手に「幸せそうに見える」と決めつけた市井の人々に
「死んじまえ」と殴りかかるような者の方が健康的な感じすらする。

無意味すぎて 空っぽすぎて あまりにも何もかも・・・生きるエネルギーとか、気力とか、自分が好きという気持ちとか、奪われすぎて
そしてそれに対する正当な怒りも 自然な悲しみも 麻痺しまくっている
「させなければ生きられなかった」
そのことにだって、無自覚で、こんなに長い間、来てしまった。
それが、この人生の、私。学び。
上の代の「負債」を一気に清算したかのような。いやまだ足りてない感じもするが。
マジで「もういいっしょ?」って思う。

(そしてもちろん、ちょっと離れたところで「wそんなに苦しむところか?大丈夫か?大丈夫じゃねえかw」みたいな者々も居るには居る。舞台の役者と観客、みたいな感じで)

どうしたものかね・・・
また新聞とかためてしまっているんだが、まったく手につかない。
会社で少し読む。(やる気なし)
身体は一見、日常生活が出来てはいても、どんどん「此岸」から離れて行っているような・・・
はひぃ。