記録 2019.08.03.New!

*ふむ。ヤプログさんも終わってしまうんですね。
ドリコムブログをやってて、2004年頃から更新しなくなって、病気で大変だったころ(2006-7年?)にドリコムブログサービス終了、
ライブドアに移行させることは出来たらしいんだけど移行作業ができなくってそのまま散逸させてしまった。
(ま「原稿」はメモ帳に保存しているから、「復活」させようと思えば手間を惜しまなければ出来るんだけど・・・)

*いろんなユーザーさんが騒いでいてびっくり。
愛されていたサービスだったんだなあ。かくありたいもの。(?)

*ブログサービスでブログをしている以上、そのサービスが止まってしまえば、自分がUPしてきたものもまるごと跡形もなく消えてしまう。

*このもしも話は、私が小さなころの、母の、(娘を思うようにコントロールするための)口癖のまねのようで抵抗があるけれど
「ねえ○○ちゃん、お母さんにもしものことがあったら」
「ねえ聞いて、お母さんにね、もしものことがあったらよ?」
いやでも身体を固くして全身耳にして緊張する娘だとわかっているので、楽しそうにすら、そう、もちかける、母がちらついて、「あいつのまねかよ」と思う。
いや、違う。私は別にこう言うことで誰かの特別の注目を浴びようとか、やさしくされようとか、思い通りの言動をさせようとか、驚かせようとは、意図していない。

もし私が重い病気であることを医師に告げられ
「どれくらい生きられますか?」と訊いた時
「もって3か月」と答えられたら、どうするか。どう感じるか。
いろいろ思い浮かんだんだけど、
もし、そんなことがあったら、心底「ほっ」とするんだろう。と思った。
「うわあ本当?!」みたいに思うんだと。
そしてまたこの異常さにうんざりとなった。

私の身の回りにある「もの」、まだ使えるだろう「もの」が、
持ち主を失って捨てられてしまうだろうことは心が痛むけど・・・
それは最小限にするべく、最大限手は尽くして。
喜んで使ってもらえる人の所へ行ってもらおう。
それは、なるべく自分の手で行いたい。
いろいろなものの解約。清算。どうしても誰かに頼まないといけない範囲が残るにしろ、その人が「?」と困ったり負担になったりしないように。きちんとした書置きを。

いろんなところでわりと短期に仕事の引継ぎ、引き継がれをしてきたので
慣れたような感覚だ。
その「期日」を目指して、↑のことをなるべく済ませようと段取りを開始するんだろう。
自分ではコントロールできずに、辞めたくもない仕事を辞めなくてはならなくなり、引き継がされることで、
こんな「感じ」にまで慣れてしまった。

本当に私は苦しいんだと思った。
生きているのに、生きた心地がしないんだ、平気なふりして普通ぶって生活しているけど、みんな嘘なんだ。
もう本当に、早くぶち殺してくれ。
ずっとずっと、本当にそう思ってるんだと、思った。
人を、ものを、仕事を、世界を、自分の感覚を、「あいつらよりは」大切に、まともに、真面目に向き合い、生きている。
壮絶に努力して、数々を乗り越えて、生きられるようになった、と思ってるけど、その実、
この感じ方で あの育ち方で この世界で 私で 生きるには 悲しすぎる。苦しすぎる。
一瞬だってその感じが消えることはない。癒えることはなかった。
「これで」こんなに長く生きてしまった。という感じ。

1日でも1か月でも1年でも長く生きて、何が見たい?誰と居たい?何処に居たい?
もう一度桜が咲くのを見たい?
誰かや何かが成長するのを、ある状態になるのを見届けたい?
長く生きれば、より面白いテレビ、漫画、映画、よりすばらしい音楽、芸術、考え方、アイディア、
「よい」ニュース、便利な機械、サービス、かわいいもの、おいしいもの、いい香り、場面、景色に出会うこともあるだろう。
だんだんと変化していく世界を見ていたく・・・とも、それだって100年も続けられない。
科学技術が進歩して、金に糸目をつけなければ200年、300年と生きることが可能となっても、
今よりもっと、以前より、病気や事故や老いを遠ざけ続けることが可能となっても、
そんなに生きることが、望みさえすれば生き続けられることが、幸せか?

今からたった100年前、20歳ちょっとで、
愛する人のこと、やりたかったこと、たくさん思い残しながら
病気や社会、生まれた時代を呪いながら
死んでいかなければならなかった人たちからしてみたら
今この瞬間この地球上で
少しでも長くこの自分でありたくて
やりたいことがあって
離れたくない人や場所があって
必死に置かれた状況で戦っている人戦った人からしてみたら
なんて気持ちが悪い「人間」だろう。

まだストレートに世を呪い
自分が勝手に「幸せそうに見える」と決めつけた市井の人々に
「死んじまえ」と殴りかかるような者の方が健康的な感じすらする。

無意味すぎて 空っぽすぎて あまりにも何もかも・・・生きるエネルギーとか、気力とか、自分が好きという気持ちとか、奪われすぎて
そしてそれに対する正当な怒りも 自然な悲しみも 麻痺しまくっている
「させなければ生きられなかった」
そのことにだって、無自覚で、こんなに長い間、来てしまった。
それが、この人生の、私。学び。
上の代の「負債」を一気に清算したかのような。いやまだ足りてない感じもするが。
マジで「もういいっしょ?」って思う。

(そしてもちろん、ちょっと離れたところで「wそんなに苦しむところか?大丈夫か?大丈夫じゃねえかw」みたいな者々も居るには居る。舞台の役者と観客、みたいな感じで)

どうしたものかね・・・
また新聞とかためてしまっているんだが、まったく手につかない。
会社で少し読む。(やる気なし)
身体は一見、日常生活が出来てはいても、どんどん「此岸」から離れて行っているような・・・
はひぃ。