過食嘔吐の回復報告 2012.08.26.ver.
相談前 過食嘔吐 一日中 一日1万円 16年目
相談後 過食嘔吐 220日完全ストップ 軽減 2404日 量・時間数は最大時(2000年、22歳の春)の1割以下
過食費 相談後1900万円節約 (月30万円 10年3650万)
週の2-3日は症状がない。というのが続いているけれど、
やっぱり心の状態はそんなに良くない。
過食できたら、楽なんだけどなー
と 思うけれど、面倒くさいし苦しいし、と、結局床に入る。
意味もなく悲しい。寂しい。
不安・・・ではないが、疲れている感じが酷く、
始めてしまえばすぐ終わるような、いろいろのことも、手がつかない。
考えるな。
かゆいところをかくな。(最近は左耳たぶのてっぺんがかゆい・・・)
髪や爪の先をいじるな。
ただ、ただ、感じる。
身体の感覚もするどくして、全てを、認めて。
それが、症状が出ないで、出来るようになって来たということだ。
それくらいに、弱まって減ってきたということだ。
もう、心と身体の状態が、症状(の異常さ)とはつりあわなくなってきた、ということだ。
原因もなにも、わけもわからずに「食べたい!」ばかりになっていた頃は、
「感じ取る」には、「圧」も「濃度」も高すぎて、「種類」も多すぎて、
身体が拒否していたレベルだったということだ。
でも、私は、ひたすら「フタをしちゃいけない」と、
アドバイスに反したことを続けて来た。
「ただ、感じる」ために。
どうしたら「それ」を覚え得るのだろう?
どんな風に生きるにしろ、病者、「普通」になりたい病者には、
これほど大切な「覚えること」はない、と思う。
きっと、それさえも、百人百色、千人千色で、各々が「発見」するしかないのだ。
しかし、「発見」できた者が、能う限り表現するなら、
未だそれの分からない者達の、必ず、糸口に、切欠に、道なき道の幽かなしるしに・・・
なりえると信じるもの。
やっぱりさ、言葉で表現するって大事だ、と思うこの頃。
朝から、窓全開にして風通しているけど、それが摂氏33度の熱風なんだ。
シャツの背中びしょびしょ。
座布団にタオルを敷いているんだけど、くっきり●●。
PCのキーがべったべたw
でもこれからまた動くぞ。
(あとで)
いや。
なんかネガティブだったなあ、と反省。
症状が、さらに半減、という時期に来て、
肉体的精神的余裕が生まれて、
洗ったクッションのカバーすらつけなおさずにほうってあったり、
読んでない新聞をためてしまったり、
鬱っぽいけど、
こうして、いろいろなことを表現出来るようになって、
ありがたい、幸せだ、の一言に尽きる。
丁度1年位前まで、私、「これからも生きる気」なんて、
全然なかった。
もう十分幸せになったんだから、
治す手だてのない病気と一緒にひとりぼっちで、
これからも生きる?冗談じゃないよ。
私は、もう、精一杯生きたの。
そんな感じで、そのさらに1年前(※)に書きまくっていた遺書を抱いて、
借金を終わらすためだけに働いていたものだった。
今は、これからも生きる。つもり。
結婚や出産も、出来るなら、したい。(ま、遅い!けどさ)
私の両親の最強遺伝子mixを継がせたい勇者は挙手願う!
もっと普通の人の人生に近づきたい。
症状、もっと減って欲しい。
それは、病者の希望になるはずだ。
今は、確かに、そう思っている。
※2010年の夏に何があったのか、
それからの私の状態について、また、詳しく書いてみたいと思う。
相談後 過食嘔吐 220日完全ストップ 軽減 2404日 量・時間数は最大時(2000年、22歳の春)の1割以下
過食費 相談後1900万円節約 (月30万円 10年3650万)
週の2-3日は症状がない。というのが続いているけれど、
やっぱり心の状態はそんなに良くない。
過食できたら、楽なんだけどなー
と 思うけれど、面倒くさいし苦しいし、と、結局床に入る。
意味もなく悲しい。寂しい。
不安・・・ではないが、疲れている感じが酷く、
始めてしまえばすぐ終わるような、いろいろのことも、手がつかない。
考えるな。
かゆいところをかくな。(最近は左耳たぶのてっぺんがかゆい・・・)
髪や爪の先をいじるな。
ただ、ただ、感じる。
身体の感覚もするどくして、全てを、認めて。
それが、症状が出ないで、出来るようになって来たということだ。
それくらいに、弱まって減ってきたということだ。
もう、心と身体の状態が、症状(の異常さ)とはつりあわなくなってきた、ということだ。
原因もなにも、わけもわからずに「食べたい!」ばかりになっていた頃は、
「感じ取る」には、「圧」も「濃度」も高すぎて、「種類」も多すぎて、
身体が拒否していたレベルだったということだ。
でも、私は、ひたすら「フタをしちゃいけない」と、
アドバイスに反したことを続けて来た。
「ただ、感じる」ために。
どうしたら「それ」を覚え得るのだろう?
どんな風に生きるにしろ、病者、「普通」になりたい病者には、
これほど大切な「覚えること」はない、と思う。
きっと、それさえも、百人百色、千人千色で、各々が「発見」するしかないのだ。
しかし、「発見」できた者が、能う限り表現するなら、
未だそれの分からない者達の、必ず、糸口に、切欠に、道なき道の幽かなしるしに・・・
なりえると信じるもの。
やっぱりさ、言葉で表現するって大事だ、と思うこの頃。
朝から、窓全開にして風通しているけど、それが摂氏33度の熱風なんだ。
シャツの背中びしょびしょ。
座布団にタオルを敷いているんだけど、くっきり●●。
PCのキーがべったべたw
でもこれからまた動くぞ。
(あとで)
いや。
なんかネガティブだったなあ、と反省。
症状が、さらに半減、という時期に来て、
肉体的精神的余裕が生まれて、
洗ったクッションのカバーすらつけなおさずにほうってあったり、
読んでない新聞をためてしまったり、
鬱っぽいけど、
こうして、いろいろなことを表現出来るようになって、
ありがたい、幸せだ、の一言に尽きる。
丁度1年位前まで、私、「これからも生きる気」なんて、
全然なかった。
もう十分幸せになったんだから、
治す手だてのない病気と一緒にひとりぼっちで、
これからも生きる?冗談じゃないよ。
私は、もう、精一杯生きたの。
そんな感じで、そのさらに1年前(※)に書きまくっていた遺書を抱いて、
借金を終わらすためだけに働いていたものだった。
今は、これからも生きる。つもり。
結婚や出産も、出来るなら、したい。(ま、遅い!けどさ)
私の両親の最強遺伝子mixを継がせたい勇者は挙手願う!
もっと普通の人の人生に近づきたい。
症状、もっと減って欲しい。
それは、病者の希望になるはずだ。
今は、確かに、そう思っている。
※2010年の夏に何があったのか、
それからの私の状態について、また、詳しく書いてみたいと思う。