記録 2019.09.07.

***蒸し暑いなあ。これから↑↓繰り返しながら、暗く涼しく乾燥した季節になっていくんだなあ。

激鬱を覚悟。もう少し、「あ~いやだいやだ」感が少ないと尚更いいと思うんだが・・・・ぶつぶつ。

 

***今日もまた、だ~らだ~らと書きっ散らかしていたものを貼って

またちょっと少し寝ます。

 

 

**ほほー。野良猫でも家猫でもなく地域猫なんだ。

かわいがってくれているらしい人たちもあるのなら、

「おや、知らないうちに首輪が。ちょっとまるくなって毛のつやも増したような?いい人のおうちの家族になれたんだね、よかったね」と思ってもらえるかな。

そういうババアがいると自治体に「捕獲して処分してくれ」なんて「通報」されそうで、ちょっと心配していたのだ。

ある時気づいたらあの赤ちゃん猫を最近見ていない・一匹も居なくなってるなんて悪夢ではないですか。

心無いものに攫われていったりして虐待される心配とかね。

動物愛護系のサイト※ではよく言及されているね、

※犬猫の殺処分NO!・炎上虐待動画主に極刑を(わりとどちらも検索注意語だと思う。とっくに姫様は検索済みか・・・)等。

ペット大好き板と大嫌い板の千年戦争。(10年以上前の2chの話だw)

 

家猫という雰囲気ではないね、精悍な感じで、やっぱりどの子もサバイバーなんでしょうね。

(人間や与えられるもの、食べられそうなものを)自分をどう思っているものか、自分にとって危険なものかそうでないかを感じ取る能力にも長けた。

そうでない子はきっと逃げきれず・生き残れなかったんだろう。

書きながら、なんとなく、猫ちゃんと姫様は境遇が似ているかもしんないなどと思えてきましたよ。

みんなから愛されている陽キャのようでいて実は過酷な世界で生き抜いてきた野生のサバイバーなのである。という。(かっこいいぞ)

手と傘と靴しか写っていないけど王子様(部分)も見えて眼福♪←?

バカッポープリクラ風写も見てみたいかも。

それがブログトップでは(おやおやいつのまにかタイトルがbutterではなくbitter)まったく主旨・タイトルとちがったものに思われそう。w

 

*(与えられる)「もの」「便利」「快適」

(努力で得られた)「他人からの称賛」「他人と比較しての優越感」由来ではない「幸福感」・・・

40年、あまり重要視していなかったこと、を、今更のように注目してみる。

◇自分が楽しい、「快」であると感じることを誰かも同じ感じをもつのだ、と感じられること

◇自分が伝えたいと思って伝えたことが、伝わった!と感じられること

◇誰かが誰かの話を一生懸命、理解しようとして聞いている、姿

◇そういう人たちの間に居る時の安心感

考えるほど、思い起こすほど、私が育った家にはそれが無くて

本当は必要だった、欲しかったのに無くて、

でもそれでも過剰に「もの」が与えらえているなら

それらが、周囲の子と較べて質・量ともに「上」なら

「幸せ」「恵まれている」のだと教え込まれて、

自分の感じに反してそれを飲み込み続けた・・・苦しさのことが今更のように自覚される。

(書きながらくどいなぁw)

◇がないなら、どんなに「もの」(衣食住)が良くとも、いや、よければ良いほど、逆に悲しくて孤独で「恥ずかしい」。

逆に◇に恵まれているなら、衣食住が必要最低限も満たされていなくとも、真の勝ち組なのではないか?

という感じを思い出す。

 

私の通っていた小学校は、とても「貧しい」地域(A)の子の多く通う学校だったと思う。

私が子供の頃住んでいた地域(B)は、いわゆるその地域よりも30年ほど遅れて開発された新興住宅地(B)

児童数的に言うと、同学年内に、(A):(B)=8:2くらいかな?

その(B)住宅地に戸建てでローンなしの持ち家(父方の祖母に建ててもらったもの)なんて更に「恵まれていた」だろうと思う。

昭和30年代に建てられた(昭和末期で築3-40年の)、集合住宅の2DKに家族5-7人で住んでいるような子がザラだった。

概して早婚で、両親が(3-40代でも)中高生や働いている兄姉の居る子も。

でもまだ「きょうだいが増えたよ!」という子もいた。何度も苗字の変わる子とかさ。

今にして思うと(うちの両親のような)30代で初婚第1子という家は少数派だったんじゃないかな。

 

遊びに行ったり、登下校で通るそのエリアは、

その当時でもくみ取り式が多く、下水はいわゆる「どぶ」で、

改修は進んでいたけれども、季節によっては(建てられてから長く時間の経った)家々からの独特におい以外に、下水臭・カビ臭のするエリアも。

日あたりの悪い場所の地面や壁はコケやカビでますます暗い色で。

それでもすごくきれいに住んでいる家も多かったが。

 

私の持っている(親から与えられている)「いいもの」が、

いつも妙に恥ずかしくて褒められたり注目されるのが苦痛だった。

その大人はさらっと言ったつもりなんだろうが

私の衣服や学用品を指し「宝の持ち腐れだね!」と言われたことが妙に刺さって、今でも時々痛む。

 

「私の出すおやつが目当てでうちに遊びに来ているんじゃないの?(あんたと遊びたいんじゃなくて)

「どうしたらあんたのお友達みたいなしっかり者に育つのかなあ」

(共働きで、赤ちゃんの頃から保育園で、年の多い兄姉がいて、または小さな弟妹が居て、

 当然のように集団生活に慣れていて、身体が丈夫で運動が得意で、言いたいことをはっきり言える子が多かった。私とは正反対で)

(その子が帰った後で)あの子汚らしい子ね、毎日着替えているのかしら?お風呂に入れてもらえているのかしら?

「あなたは、この家の子でよかったわね!

「本当に、子どもは親を選べないって、あの子たちを見ていて思うの、あなたは幸せね」

 

お母さんは、あの子たちをどこか「下」にみて、「かわいそう」って思っているようだったけど、

私はずっとお母さんに「しっかりしてる」「どう育てたらあんな風になるの?」と(どこか)くやしそうに褒められるあの子たちが羨ましかったなあ。

集団行動が得意で、運動が得意で、誰かの動きをまねるのがうまくて、忘れ物や落し物はしなくて、自分の言いたいことはみんなの前ではっきり言える。

私みたいにどんなにいやなことを言われてもされても黙って我慢していない。

(代わりに母親が腹を立て、「やっつけにいく」のであった・・・())

目立ちたくなくてこそこそしてない。

そのくせ「空気が読めない」と指摘されたりしない。

「しっかりした良い」子になれるんだろう。

別に誰かと較べていいものを持っていたり着ていなくても。

ちょっとくらい人より物覚えがよかったり絵がうまかったりするよりも。

「どう育てたらあんな風になるのよ?」ってお母さんが羨ましそうにくやしそうに見るような。

一桁代~10代終わりまで、私の努力の方向はそればっかりだったなあ。

結局いいところを全部つぶして、悪いところを「人なみより少し上」に出来たくらいの「中途半端」で、且つ「病気」になるんだけどね。

 

今更母にちょっと描いた絵を見られることがあって

「いやー、うまいね!!これ仕事に出来るよ、もったいないよ」と言われるたびにやっぱり恥ずかしくなってそっと隠したくなる。

高校1年時に「美大、美術の専門学校!!」を少し進路の希望として言ってみた時に

「もっとつぶしがきくように生きてもらいたいもんだわ」

とあっさりつぶしたことはすっかり忘れて、やはり、その時に思ったことをそのまま言う。

「だよね~」

「いやあプロじゃなくてもうまい人はいっぱいいるからね~勝負にもならんよ」

(当時も今も)へらっとしている私も私だが。

絵はどうしても描いてしまう。

授業もしっかり受けてるけど内職の絵もすごいことになっているのはもうずっと。

(授業用の本や副教材やノートに書き込むんではなくて、別に紙やノートがあるのであった。熱中してくると色鉛筆やパステルまで登場。もう釣りバカの浜ちゃん(釣り道具のメンテをより目でやっていて、引き絵で背景が会社になって(スタッフの笑い声))状態だよ・・・)

絵を描いてても勉強や運動で結果を出していれば何も言われないから

何も言われずに絵を描くために勉強して運動をしていた。

予習復習もしっかり。教卓の真ん前でも「作業」に熱中しながら授業を受けてもご指名にいつでも応。(やな生徒だな)

(逆に授業だけしか受けていないのになかなか内容が理解できない・的外れな回答をする人がよく分からない状態 やなヤツだ)

テストの点も「わりと」「意外と」程度に良ければ

自分が将来なりたいもの、将来どころか、今の自分の好き嫌いすらわからなくても、いろいろな「異常」を抱えていても、何も言われない。

 

その後ほどなくして、宗教に突貫したことも、何の不思議もないと思う。

本当は、本当なら、何度も何度も●●未遂して閉鎖病棟で薬漬けになっていてもおかしくなかったんだろうな。

しかし私は普通に生きてしまっていた。

誰にも「異常」を知られずに。

(いや感じ取っていた、何か私に向かって伝えようとしていた大人は居たのかもしれないが、

 どちらにしても、彼らの助言や思いなどを聞き入れられるような状態ではなかったと思う。

 両親との関係から、大人への嫌悪や不信が半端なかった「子ども」)

自分自身もそれを忘れてしまうくらいに。

限界を振り切っている状態だったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Bitter-flyに変更されていて、そもそもバタフライ効果って何だっけ?となり。

***バタフライこうか〔カウクワ〕【バタフライ効果-butterfly effect-ある系の変化が初期条件に極めて鋭敏に依存する場合に見られる、予測不可能な挙動のたとえ。 もとは、米国の気象学者ローレンツ1972年に行った「ブラジルでの蝶のはばたきがテキサスに竜巻を引き起こすか」という講演の演題に由来する。

***ポピュラーカルチャーの中でのバタフライ効果

ローレンツの研究、バタフライ効果という用語が与えられる以前からも、バタフライ効果が意味する初期鋭敏性、すなわち非常に小さな事象が因果関係の末に大きな結果につながるという考え方は、フィクション作品の中で多く見られる。グリックは著作の中で、そのような古い例として、童謡マザー・グースの『釘がないので』を挙げている

釘がないので 蹄鉄が打てない

蹄鉄が打てないので 馬が走れない

馬が走れないので 騎士が乗れない

騎士が乗れないので 戦いが出来ない

戦いが出来ないので 国が滅びた

すべては蹄鉄の 釘がなかったせい 

 

因果関係のへんてこな連鎖を歌った歌です。

子どもたちは、こういう話を聞かされて、すこしはお利口になったことでしょう。

For want of a nail--- Mother Goose Nursery Rhymes

For want of a nail the shoe was lost.

For want of a shoe the horse was lost.

For want of a horse the rider was lost.

For want of a rider the battle was lost.

For want of a battle the kingdom was lost.

And all for the want of a horseshoe nail.

 

ローレンツ自身も、講演以前の作品として、ジョージ・リッピー・スチュアート(George R. Stewart)による1941年の小説『嵐』などで、バタフライ効果を意味するようなセリフやストーリーがあることを例として挙げている。ジャーナリストのピーター・ディザイクス(Peter Dizikes)ボストン・グローブのコラムで、ポピュラーカルチャーの中ではバタフライ効果という用語が「歴史や運命を決定する一見些細な出来事や、因果関係の繰り返しの果てに人生の行き先や世界経済にまで影響を与える最初のきっかけが存在することの意味するメタファー」として愛されていると述べている。グリックも、バタフライ効果という言葉はポピュラーカルチャーでのクリシェ(常套句)になっていったと、2008年の後書きで振り返っている。

一方、ディザイクスは、前述のコラムとマサチューセッツ工科大学のニュースマガジンの中で、ポピュラーカルチャーでのバタフライ効果の引用のされ方を見ると、この言葉が示すところの一側面しか理解されていないおそれを指摘している。ボストン・グローブのコラムでは、仮に蝶のはばたきが連鎖の果てに嵐を起こすとしても、そのような小さな撹乱でも嵐が起きるような場合に何が嵐を起こしたのかをそもそも特定することができるのか?という、ローレンツの仕事が示した「原因と結果」というものを考えるときの新たな視点が伝わらない可能性について懸念を示している。

上記のようにバタフライ効果を作品名としたり、1つの要素として取り入れている作品は多い。バタフライ効果を重要なプロットや設定として掲げている作品、そのように評される作品などに限って以下に示す。

『雷のような音』- 1952年のレイ・ブラッドベリによるSF短編小説。2005年には『サウンド・オブ・サンダー』として映画化された。タイムトラベルで過去に戻った主人公が1匹の蝶を殺してしまったことによって歴史が大きく変化するというプロットとなっており、バタフライ効果とよく結び付けられる。バタフライ効果という言葉が生まれる以前の作品だが、ローレンツが聞いたところによると、講演主催者のメリリースはこの小説は知らずに講演タイトルを設定したという。

ジュラシック・パーク - 1990年のマイケル・クライトンによるSF小説。登場人物の数学者がバタフライ効果について説明し、物語の行く末を予見する。1993年の映画版でも同様なシーンがあり、当時のカオス理論の流行的広がりを象徴する作品としてよく採り上げられる。

バタフライ・エフェクト - 2004年のエリック・ブレスとJ・マッキー・グルーバー監督のSF映画。過去に戻り、現在・未来を変えようとする主人公を描いた物語。バタフライ効果がタイトルの由来であり、さらには映画の全体的なモチーフとなっている。

ミスター・ノーバディ - 2009年のジャコ・ヴァン・ドルマル監督のSFファンタジー映画。超弦理論ビッグクランチエントロピーといった科学理論を映画の構成に取り込んでおり、バタフライ効果も作品の基調の1つで、ストーリー展開の基盤となっている。

『あのとき始まったことのすべて』- 2010年の中村航による恋愛小説。物語の最初のきっかけ、物語の広がり方をバタフライ効果に例えて評されている。

 

Butterfly effect in popular culture

The journalist Peter Dizikes, writing in The Boston Globe in 2008, notes that popular culture likes the idea of the butterfly effect, but gets it wrong. Whereas Lorenz suggested correctly with his butterfly metaphor that predictability "is inherently limited", popular culture supposes that each event can be explained by finding the small reasons that caused it. Dizikes explains: "It speaks to our larger expectation that the world should be comprehensible – that everything happens for a reason, and that we can pinpoint all those reasons, however small they may be. But nature itself defies this expectation."

 

The video game Until Dawn (2015) is based on a concept of the butterfly effect.

Tina Fey's Netflix Original Series Unbreakable Kimmy Schmidt dedicated the episode "Sliding Van Doors" (Season 4, Episode 9) to the Butterfly Effect. The entire episode investigates repeatedly how one decision can make a massive difference and even has one of those moments caused by flying butterflies inside a car (at ca. 14:44 min).

In the video game Life is Strange the butterfly effect is one of the central themes in the plot.

 

 The Gold-Bug

"The Gold-Bug" is a short story by Edgar Allan Poe published in 1843. The plot follows William Legrand, who was bitten by a gold-colored bug. His servant Jupiter fears that Legrand is going insane and goes to Legrand's friend, an unnamed narrator, who agrees to visit his old friend. Legrand pulls the other two into an adventure after deciphering a secret message that will lead to a buried treasure.

The story, set on Sullivan's Island, South Carolina, is often compared with Poe's "tales of ratiocination" as an early form of detective fiction. Poe became aware of the public's interest in secret writing in 1840 and asked readers to challenge his skills as a code-breaker. He took advantage of the popularity of cryptography as he was writing "The Gold-Bug", and the success of the story centers on one such cryptogram. Modern critics have judged the characterization of Legrand's servant Jupiter as racist, especially because of his comical dialect speech.

Poe submitted "The Gold-Bug" as an entry to a writing contest sponsored by the Philadelphia Dollar Newspaper. His story won the grand prize and was published in three installments, beginning in June 1843. The prize also included $100, probably the largest single sum that Poe received for any of his works. "The Gold-Bug" was an instant success and was the most popular and most widely read of Poe's works during his lifetime. It also helped popularize cryptograms and secret writing.