記録 2019.01.06.

*21:08 2019/01/06
凄まじく寝正月だったと思う。
怖い。
悲しい。
いやだいやだいやだ。
で 真っ暗だった。
子供のころからの感じ方。であり、「認め難かった」「『ない』ものとして扱ってきた」「が、確かにあった、あり続けてきた」代物ばかりではあるんだけど、やはりどうしょうもなくしんどい。
縦になっていられなくてね、1‐2時間もすると「・・・」となって布団にもぐりこむの繰り返し。
泣き叫んだり、常に頭を抱えて呻吟、ではないのだけど、どうにもならない。

縦になっている時間は ま ごそごそ
片づけたり、掃除したり、
いろいろ読んで、書き写して、気が狂った「まとめ」作ったり
そこは普通っぽいんだけど、(それでも「すごい」レベルではあるんだと思う・・・「生きてるよコイツ(驚)」みたいな)
「こんな感じ方なのに、私、どうやって生きてきてたんだっけなあ・・・」と常にどこかでぼんやり思ってる。

*1月4日(金)は仕事してきたよ、うーんってなりながらも会社に着いてしまえば楽なんだよな。
*(土)は珍しく少し「がっ」で3時間ほど出歩いて用事済ませたり、買い物したり。

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私は記事やコメント書き、何かのお問合せで長い文章を書きたいときは
ブラウザ上の枠内には打ち込まないで、
メモ帳(書式は右端で折り返す、フォントはMeiryo UIの11 ポイント文字)に書いて貼り付けるでやっているので
(よく「書いていたものが消えた!」というのを見ますけど 
 そういうことがあって、こんな感じに変えるのかな皆、と 今は若者でスマホの方が速いのでスマホで書いてPCに貼る、なんて人もいるのかもしれない)
最初にF5を押す習慣があって、(現在日時が入力できる)
なので時々「ちょっと前に書いていたもので、●月●日」と書くことがあるんだけど。

10:39 2019/01/03
*ほぼ無人島のこのブログ、時々思い出したように
自分の感じ方を悉く否定され親の感じ方考え方を押し付けられ続けた(と受け取っていた)幼少期を過ごした者がどんな人生になるか?
という話をグダグダと書いているわけなんだけど、
でも、それを書いている者の中では、「死なない」親が常に(書いていない時でも)
「親に向かって」
「親を何だと」
「親は」
と(興奮しながら)攻撃し
「そんな子はもう知りません、他の家の子になりなさい」
「捨ててきますよ」
「(夕食時に食事を与えられず)あの子はいいの」
と脅迫しているという状態なので
「もう早くぶち殺してくれ」状態ですね はいw
且つ、本人は自分を聖母のように思って少し酔っているような感じまでありました。
やべえ。私は、こう受け取っているのにだ、「親の愛というのは・・・本当に無償よねえ・・・」
やべえ。マジで誰も「おいちょっと待て」と言わなかったのかよ。という。
それどころか賛同者しかいなかったぞ。
「○○ちゃんは本当にいいお母さんがいて幸せね」
「お母さんを困らせたらだめよ」
「ええ、この子たちは本当に幸せ者です」
普通のやり取りのように思ってたけどかなり「あまり聞かない」やり取りじゃねえか・・・?
それほど、周囲に確認して回って、同意を得なければならないほど不安だったってことか。
ほぼ自業自得とは言え配偶者はあんなだし
自分だって同じような少女時代で同じような心理状態で
かわいそうじゃないの。同意を求められた人だって、同情心で仕方なく頷くよ。
だから。だから。「もういいじゃないの」
私は、親にならなくてよかったな。とは、ここ数年は、すごく思う。
苦悩の再生産をしないで「済んだ」のだ。
渡してしまうのではないか?という不安にかられ、同じような愚行、「同意を求めて回る」言動に出たと思うし、
渡らなかった(私も十分に注意し、受け取り方の「よい」子であった)としても、その次、次の世代で「発現」するかもしれない。
逆に言えば、私の今感じていることは、何世代も前の「感じ」だって含んでいる。
徹底して見ていけば、1000年前の家族のことだって分かる気がする。(やらないけど)
おぞましいんだ。
こうして続いてきた人の世。
マジで何がめでたいのか。
自分の受け取り方が悪い。はいすみません・・・・訓練しても、訓練しても、どうしようもない部分を吐き出してるだけなので・・・許してください。と世間様に土下座。
はひ〜〜〜参りました。

*夢によくカレンダーが出てくるよ。
長いの。100年分のカレンダーが20−30冊とか。
グレゴリオ暦のカレンダーなんだろうけど。表紙にでっかく26(1901−2000)って書かれていて。それが01から。どうしろと。
思うのは、人間の一生、一代は短いねってこと。
100年で3代から4代。2600年前の時点で私ひとりの出生に関わった人は10万人超。
それくらい遡ると、もうこの島国に21世紀に生きている「日本人」全員と「親戚」だったんじゃないの。みたいな。
「たった」100年前、1918年、祖父母の両親が私くらいの年齢であったころ・・・の彼らのすぐそばで生きていた人々
(兄弟姉妹、叔父叔母、子供、友人、同僚、元カレ元カノ・・・)の子孫といま、街中ですれ違ってもそうとはわからないだろう。
祖父母の兄弟くらいなら、祖父母の住んでいた場所の近所の同姓の人は、もしかしたら100年前は家族だったかも?と思うくらい。
祖母の血縁など更にたどりにくい。祖母の旧姓、出身地だって私は知らないもの。

短い短いと思っているんだけど、虫や動物からしてみたら、人間の寿命はバカみたいに長い。
2−3日で1世代。3か月で1世代、長く生きても1−2年。3−5年で1世代。
20年も生きれば人間でいう200歳。Dog year, Mouse yearという言葉もある。
そんなに長く生きてなにやってんの状態。

また星からしてみるとそんなに一瞬しか生きられないで何か意味があるのか。
地球は鉄の星、そしてその鉄が磁力を帯びているために、
「有害」な電磁波を地表に届かないようにしていて、
それに適応してこの星の(地表に棲む)生物は進化したのだという。
その「鉄」は何処から来たのか。
話によれば、太陽よりも何倍も「重い」恒星は、核融合反応の終点が、鉄やケイ素なのだそうだ。
太陽は、今行われている水素→ヘリウムの反応を50億年後に終えても、最終的な「燃え残り」は酸素と炭素のかたまりにしかならないという。
(地球上の人間からしてみると、「燃焼」というと、
 酸化で「もの」が「分解」していく時に熱と光を副産する過程という感じ。
 宇宙的には高温高圧下で「くっつく」「重いものが生まれる」感じでまるで「逆」)
太陽よりも質量が大きな星は、水素→ヘリウム、ヘリウム→ネオン→酸素、炭素、ケイ素、・・・の反応を終えても、
星内の温度と圧力がもっと高くなっていくために、ケイ素→鉄という反応まで行われるという。
その中に、超新星爆発を起こすものがあって、バラバラになった欠片がガスとなり、
うずをなしてやがて太陽を中心に太陽系が出来、集まってできたものが地球で、それが約50億年前の話だという。
なんでそんなことが分かったんだろう・・・ともぼんやりと思う、
調べているとそういう話が書かれているので。

・・・時間が、長いとか短いとか。
目に見える形が、大きいとか小さいとか。
距離が近いとか遠いとか。
赤とか青とか黄色とか。
カラスの目は人間の感じる光の3原色のほかに、紫外線も視ることが出来るので、人間とはまったく違った風に「色」を見ているという。

人間の知覚は、あまりにも限られたものしか感じ取ることが出来ない。と思う。
何百万年かけて蓄積してきた、知や思考、技術、それで分かってきた人間なりの世界・宇宙の真実にしたって、その非常に限られた範囲での話。
宇宙人、地球外生命体が居たとして、地球人が彼らと交信できるのか、
そもそも彼らは人間の五感にかかる存在なのか、そうではない可能性の方が高いのではないか。と、よく想う。
漫画や物語、「とんでもニュース」では、人間や地球上で知られた動物に近い「大きさ」の身体を持ち、言葉を話し感情、感覚を共有しているけど。
私たちは彼らを感じることもできないが、まるで生まれる前の「人」や死んだ「人」がこの世界を見ているように、彼らは私たちを見ていて、ということを考える。

あまりにも限られたものしか感じ取れない身体で、
非常に短い「時間」に、小さな星で、限られたことだけを学び、
超長期的に見れば、何も残さず、残せず、一人去っていくもの。の、寄り集まり。
せかいはせまい。It's a small world.
極小の一点の中に無限の拡がり。
だから空しい。だから無意味。だからくっだらねぇ。という感じではない。「あったかい」に近い。
みんな本当は、「すぐそばにある」
時間が「長い短い」「前、後」
大きさが「大きい小さい」「重い軽い」ということがない場所から
もう忘れてしまったけど何かの目的をもって「一瞬」出てきているもの。

グダグダ書いたけど、この「感じ方」すらもきっと「一方向」であって
何も見えていない、理解できていないに等しいんだろうなあ と思う。
1000年前の人の多くは「まだ」、地球が丸いということすら知らなかったようなレベルに。

いろんな見え方。感じ方。理解 主義 主張 について触れるたびに「しんどい」と感じる。
「押し付けられた」と思うと更に苦しい。
それはあまりに私が「一方向に偏りすぎた見方をしている」ことの証左なんではないか?
と ちょっと思ったので。
感じ方は変わっていない。
また考えたことを書くかもしれない。数か月前に書いていたものに加筆して。