記録 2016.07.31.

*一日ずっとTHE BOOMの『島唄』聴いてた。
いろんなアレンジ・カバーがあるみたいだね。全部聴いてみたいな。
すべての人間が。70数億のこの星に生まれた人間が、これから背負っていく悲しみ。に、通じるものを感じて。
「どうしてこうなった?」を知りながら観ていく、わずかな者として。
文字の生まれた頃、世界はある者に造られたものと説く、旧宗教の示唆していたこと。
「こういう者」が世界に降りて来る時代が来る。から、その時は。
うー。消耗している時に話題に出すことじゃないな。ぐるぐる。

*消耗するってほどそんなに何にもやってないっちゃやってないけど。・・・
(-    -)

◆それで、今更だけれど、『島唄』について
宮沢和史さん(THE BOOMのボーカリスト):
島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。

「1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された」
「でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた」(1945/06/23)
島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい」
島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい」

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ
ウージの下で 八千代に別れ
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ 命よ
このまま永遠に夕凪を
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を

■解説■
・でいごの花:春から初夏にかけて赤い花が咲く。見事に咲いた年は天災に見舞われるという言い伝えがある。
・洞窟:沖縄は石灰岩の土壌で畑の下には多くの洞窟や鍾乳洞(ガマ)がある。米軍の攻撃や、自決などでガマの中で多数の民間人が犠牲になった。Googleで”okinawa cave”で検索すると、当時の写真が多数出てくる。米軍の攻撃により民間人が洞窟から出てくる写真がこれ。第二次世界大戦の記録をしているアメリ海兵隊のウェブサイトにある、沖縄戦のページに掲載されている。
ニライカナイ:沖縄の民間伝承で東の海のかなたにあると考えられている異界。豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。
・千代、八千代:国歌、君が代の歌詞に合わせて韻を踏んでいる。

◆城間晃(シロマスポーツクラブ理事長)さん:
私が日頃から一番よく言うのは「人に聞け」ということですね。体操は自分で点数をつけるんじゃない。
人が見て点数をつける。
人が感動するような演技をするためには、人に聞けばいいんです。
八百屋のおじさんでも誰でもいいから、いろんな人に聞け。とりあえず千人の人に聞け。そうしたらおまえは頂点に立てるよ、と。
そして「聞いて教えてもらえる人間になれ」と。
そのためには挨拶もそうですし、礼儀もわきまえていなければいけません。

もう一つは「宝くじは買わないと当たらない」ということです。オリンピックも「行こう!」と思わないと行けない。
宝くじを買いもせず、じっと待っていても当たるわけがないのと同じように、強くなろうと努力もしていない、
そう思ってもいないのに、強くなれるはずがない。本当にそう思ったら、ちゃんと行動に移すはずです。

「人の話を聞く」という事柄にしても、結局大切なのは基本ですよね。
木でも、根っこがなければ幹や枝の部分が伸びた時に倒れてしまいます。基本というのは根っこのことなんです。
高度な技術ばかりいくら磨いて試合に勝ったとしても、必ずスランプに陥る時がくる。
その時に、選手はもう一度基本に戻らないといけないんです。でも基本ができていなければ、戻れるところがない。
だから私は、ちゃんと根っこを張ってから上を伸ばしていけと、選手や指導者らに言うんです。
最初が肝心、最初に目いっぱい時間をかけるべきですね。基本を確実に百%やる。そこから進めなければ、一流選手にはなれません。

◆岸良裕司(ゴールドラットコンサルティング日本代表)さん:
現在様々な赤字企業や問題を抱えた組織の経営コンサルティングをさせてもらっている。
相談の中身はそれぞれに異なるが、何か問題があって、ずっと解決しない時には必ず一つの共通した症状がある。
それは“人のせいにする”ということだ。
「あそこの会社は力があるから」
「うちには人材がいないから」
といったように「○○のせいだ」という言葉が必ずどこかに出ている。
いつも僕は同じ質問をする。
「人のせいにして問題は解決しますか」
世界中の誰に尋ねても「しない」と口を揃えて答える。
にもかかわらず、我われは人のせいにしがちで、その結果、問題を放置してしまう。
見方を変えれば、その症状があったとしたら、そこに改善のチャンスがあるということだ。
稲盛さんは講話の中で
「宇宙は常に進化発展している。そこに心を委ねるならば、京セラも未来永劫発展する」と我われに語られた。
僕も曲がりなりに50年以上の人生を生きてきて、確かにそうではないかと思う。
世の中はよき方向へ向かっている。
それなのに、その妨げになるものがあるとすれば、それは我われの持つ、最も非生産的で問題が解決しない考え方「人のせいにする」ということではないだろうか。

◆Unknow Origin but laughed so much when I found in my memo:
エジソンは、常識だけでなく、時間という概念に縛られることもたいへん嫌っていました。
普通、我々は「1日24時間」という時間の中で生活しています。しかしエジソンに言わせれば、1日が24時間であるというのは、人間が人工的につくったもの。
自分が時間の主人公になれば、1日を36時間でも48時間でも、自分の好きなように使えるはずだ、というのです。
エジソンの工場の壁には、長針も短針もない大きな時計が掛けられていました。ある日、友人の自動車王フォードが
「針がなければ、時計の意味がないのでは」と訊ねると、
「そうじゃない。時間というものは、自分でコントロールすべきもの。時計のような出来合いのバロメーターに左右されているようでは何もできない。疲れたと思えば、その場で休めばいい。仕事が完成するまでが昼間だ。自分の体にあったリズム、これを自分でコントロールすることが大切だ」と答えたといいます。

◆新聞のコラムから。
消費が盛り上がらない背景には、少子高齢化財政再建の道筋が見えず、国民が今後の低成長や増税に備えている面がある。期待を動かす経済政策には国民が納得する将来展望が必要だ。信頼できる明確な期待形成に劇的な効果があるのは、異次元緩和当初の実績が証明している。しかしその後は、サプライズ続きで国民が将来予想を持ちにくく、消費も抑制的になる。
財政支出の増加分を貨幣発行でまかなえば、市中の流通貨幣量は確実に増えて財政政策の効果は劇的に高まる。2%のインフレが安定的に続けば、国債の実質価値は長期的に低下して財政再建の道も見えてくる。緩やかなインフレを起こし、インフレ税と呼ばれる方法で広く薄くまた時間をかけて負担を求め、財政再建を目指す方針こそが現実的で説得的な将来像だ。そのための目標値が2%のインフレ目標に他ならない。
インフレ目標導入時も超インフレを懸念する声があった。ヘリコプターマネーもインフレ目標の下で緩慢に進めるルールを設定すれば、超インフレにはならないし、それこそがインフレ目標の意義でもある。
デフレ脱却や危機時には独立性よりも金融政策と財政政策の緊密な連携が不可欠だ。未経験の事態への対処には未経験の政策をタブー視せず、理論的に正しい政策を正直に丁寧に説明して、国民の信頼を得る必要がある。


何がおみくじだ。