記録 2017.12.11.も。ね・・・もういいよ(-    -)

*疲れた。本当に疲れた。
否定することに疲れた。・・・って思うよりも先に母の声が頭の中でする。
「もう、ほんっとうにお母さん疲れたわあ〜●●ちゃん、ねえ、本当に!疲れた〜って思ったのよ」
お母さんは、何で私に会うとあんなに嬉しそうに、話すんだろ。
私は平日以外に外出するのは本当に大変だから、いっつも低テンションなんだけど、
母はいっつも超元気。恥ずかしくなるほどハイテンションで、うきうき、楽しそう。
ま いいことの筈なんだけど。
その理由にも、辿り着いて「しまった」。
お母さんは、いつも一緒にいるお父さん、人達の反応では、「つまらない」んだ。
「何つまんなそーーに!!」よく口をとがらせて言ってたから。
まあお父さんは、お母さんが「難しくてよく分からない話」をわーっとするし、
自分が何かに集中している時は「テレビ観てるんだから黙っててよ!」とか叫ぶしな。
ああ、そっか、お母さんの前でそういうのはダメなんだな。と学習してきた私。
決して否定しない。遮らない。釘付けになって聴いてくれる。自分の意見を持たないで、100%の同意をくれる。その通りに行動する。
こんなに肯定してくれる人、きっと初めてだったんだろう。
そして、きっと他に現れたことがない。今も居ないんだろう。

親を否定することは自分を否定すること。
仲が悪い両親を目にすることは自分を否定すること。
仲が悪いどころか、話が通じてないもん。男と女どころか、人間対人間ですらない。
「やだ、あなたお父さんそっくり!!」
「○○の血だわ〜いやーね」と言われ。
思春期中、どうして私は半分はお父さんなんだろう と悩み。
で、10年ほどして、母はプロになって名刺を初めて作って、一方の父の方は失職、再就職。
もはや母の方が収入よいし先の有る職業なのでは。やっと「自立」出来る女になりましたね。
熟年離婚いよいよ来ますか?と思っていたが、父の不満、グチグチ言いつつ別れないんだな。
「そんなにいやならもう別れればいいじゃん。妹はどうだか知らないけど、私は、反対しませんよ」
「別れられるわけがないでしょう?私の人生を否定する気?!」
「・・・」だからさ。この人が何を一番大切にしているのか。私は本当に思考停止だったと思う。
あの時点(10年ほど前)でも、あそこまで論理破綻を聞かされても、気がつかなかった。
私は、考えられない人間ではないと思う。控えめに言っても中の上くらいには、考える能力も習慣もあると思う。
この私が。ここまで憑りつかれる、って。・・・・(戦慄)

とりあえず親を否定し自分を否定し、に、疲れました。
常に頭が痛い。身体が重い。耳鳴りがやまない。笑おうとすると涙が出そうになる。
なんで生きてんだろ。
・・・やり過ごしてはいけないんだと。
これは、やり過ごして来てしまった38年分。
やり過ごさなかったら、もう少しまともな生き様を取り戻せるはず。
でももう何か限界だなぁ。「その先」なんかイラネーよ、みたいな。
GDGD
せめて、早く寝ることにします(-    -)

◆うまく言葉になっていないけど◆
◆ちょっと前に書いていたもの◆
*恥ずかしいんだよなあ。自分が「なんてうまいことを言ったんだろう」って嬉しそうに、何度も何度も同じことを繰り返して言うの。
恥ずかしいなあ って 黙っていると、誰かが「もういいよ」って窘め気味に強く言うまで言ってる。
「なんて利発な子なんだろうって思って。あなたがうるさくしてたから、あの子、あなたの手をひいて、違うことして遊ぼうって連れて行ったでしょ。あの子はお利巧さんね」
「あんなに頭が悪そうなのに文明の利器だけは使いこなすのね。文明の利器。文明の利器」
「だから、その集まりは、あなたの精神安定剤なんでしょう?精神安定剤
「それが、あの人は、おもしろくないのよ。おもしろくないの」
母の母。おばあちゃんそっくりなの。
黙っていると、強調したいことを繰り返し言うところ。
「はあ〜!(鼻息多めにw)大したもんだわ」
「ねえ〜!私は絶対●●しないからね!」(ねえ〜と伸ばすところで、眉をひそめながら、首を傾ける)
「だから!私!言ってやったの、●●さんに!」(机とか、膝をたたくしぐさをしながら)

寒いと。寒いって自分で感じる前に、頭の中で、お母さんの声がする。
「寒いわー今朝は。本当に。見て、ほらあんなに霜がびっしり。ねえ!」
きれいなものを見た時にも、
「ほら、見て!すっごくきれい!ほら。ねえ、きれいね!」
お母さんがいっぱい、たたみかけてくるから、私は「うん」って言うだけだ。
「うん」って答えるまで、「ね!」「ほら!」「ねえ!」って言うから。
普通の人は、自分がそう感じなければ、思わなければ、「そうかな」「いや私はそうは思わないけど」と答えるだけだ。
それでは彼女は不満なのだ、ということを早くから感じ取っていたのだと思う。

そして、嫌いなものはハッキリ言う。
小さな頃、ヒガンバナの咲いているところで、「きれい!!私この花好き」と言うと
「やめて!お母さんは大っ嫌いよ」
(しまった!)の思い出1w

いつだったか、実家で宇多田ヒカルだかB'zのアルバムをかけていたら、(なので本当に21世紀になった頃あたりか)
「ちょっと。やめて、その音楽やめて。まったく、頭が痛くなる!」
クラシック(テレビやラジオのN響等)はノリノリで聴いてるんだけど、
「う〜ん、いいわよね!!やっぱり!!チャイコフスキーの●●!!」
今時のミュージシャンは好きではないようで。

ニュースで行方不明の人の話が出ると
「もうとっくに殺されてるに決まってるじゃない」
「もう死んでるわよ」
「助かるわけないじゃない」
と叫ぶように言う。何度も言う。

食事中に帰って来て、「ねえ、さっき交通事故を見たんだけど、なんかね、水を流したあとがあるのよ。それで・・・」
「なんでものを食べてる時にそういう話をするの?」
その時、一緒に居た人が同じことを言ってくれて助かった。

中学の頃はまった小説家。まあクラスでみんなでたらいまわしにして読んではまって楽しかったような少女向け小説の話をすれば
「そんなミーチャンハーチャンの書いたものばっかり読んでないでもっとちゃんとした本を読みなさいよ」

小学生〜中学生?子供用の、ファッション誌を読み込むようになり、鏡に向かい、髪型を「練習」などしていると。
そういう雑誌が欲しいというと。
「あなたね、そんなことやってないで、本読んだり。勉強しなさい」
「そんな雑誌より、もっとちゃんとした知識のつく本。そんな雑誌何がいいの」
妹が友達の家で化粧をしたりマニキュアを塗って帰ってくると怒りながら落としていた記憶。
服に興味を持ったり、鏡を見ることは「いけないこと」のように感じ始めた。
その頃流行っていたように眉を細く整えたり、髪色を明るくしたり、ピアスをあけたりなんて、論外。

だから、未だに母が私や妹の服装や化粧を褒めたり、「自分もしたい」「貸して」と言うと違和感がある。
お母さんは、「そういうの」嫌いなんじゃないの?
女が、自分の外見に気を遣い、服や化粧や宝飾品に金や時間をかけるのは、ダメだと思ってるんじゃないの?
「母より女でいたい」感じの人を、たくさんたくさん、批判していたじゃない。

思うのは、祖母の母に対する言動の感じも、こんな感じだったんじゃないかな。
親側の主張をまず「認めさせる」こと。と、「子ども側の感覚、意見の否定」だけで出来た母娘の会話。
そして、自分のことは一切言わなくなった娘と、年々その傾向を増長させていく母親。
嬉しいのだ。否定されて来た自分の主張を、今度は受け入れてくれる者が「できた」ことが。
自分が今度は、自由に言っていい。発言していい「側」であることが、楽しくて仕方ない。
「ねえっ!」と言えば、「ほら見て」と指させば、同じ方を見て「うん」と受け入れてくれる者が、いつもそばにいる。
それが私と母の間でも繰り返されていただけだ。
で、これは推測だけれど、祖母とその母の間でも同じようなことがあったに違いない。更に言えば、その上の世代でも。
どんなに社会が変わっても、生活が便利になっても、全く変わらず同じことを繰り返して来たのだ。

「お母さん、おばあちゃんそっくりだね」
「やめてよ!私はあの人を反面教師にして来たんだから!まずあの人の許せないところは・・・(ry)」
母を一度見た、会った人達は決まって言ったものだった:
「君はお母さんに本当にそっくりだね、しぐさとか、話し方」
「えっ。嘘。なんで?どこが?私はお母さんにだけは似たくないってずっと思って来たのに」
きっとずーっと同じようなやりとりが繰り返されて、娘は母となる、娘は母となる。を何百年も繰り返していたに違いない。
こんな、言葉になるような、記憶に残っている数例なんて「最もあからさま」なほんの少し。
日々、一瞬一瞬、「こんな」ことが、想いが、感覚が、どれほど積もって私の(彼女たちみんなの)「病気」になったか?気が遠くなる。

*母娘カプセル?そんなかわいいもんじゃないだろ。
もっと、絶対に出られない、抜け出せない、しかも、内部で母と娘が逆転しているという。
ご本尊の肉体が消失しても残り続けるっていう。どういう怪談に出て来る匣よ?

※本当は、否定なんかしたくないんだよな、こんなにつらいのはさ。
寝ます!!

*アクアリウムいいな〜王子の良さを再確認、か、言ってみたいセリフだ。本当にいい女だな。