記録 2019.06.29.むしむし。

*ちょっと前に書いていたもの。
一週間長かったな。いろいろな事情で。どうも、最終週にすべての業務が来てしまっている。3+6+4=13件の最も重要な局面の日が全てこの5日間だった。
もうちょっと、第1,2,3週に分散できれば楽なのだが。1,2,3週は逆に恐ろしいほどの(自分だけは)「し〜〜〜〜〜〜〜〜ん」(やれることがねェ!!「まだ待ち!!」)だったけどw 周りはぎゅうぎゅうでばったばただけど。「もう帰ります」の頃「これからブラジルと電話会議で」(時差12時間、まだ午前6時!!会議開始まであと3時間か)とかさ。同じ人間なのか。すげえ。
女性の営業さんはかわいらしい感じの人なんだけど、
:>いつもこんな笑顔。甘いアニメ声。みんなを下の名前呼びまたはニックネーム呼び。サロンでネイルチェンジがお約束らしくいつもきれいなアートの爪。ゴンチャとスタバの大きなカップを毎日。(リッチ!!)あれで世界中を飛び回って年数十億を稼いでいるんだよなあ。かっけえ。

*ここ数日、
「うるせえよ」
「黙れよ」
「しつけえんだよ」

ふと、そういう極めて汚い強い言葉が「ぱっ」と口をついてでて、「!?」と思うことが(家で一人で居る時)多々。
「?!」と一瞬思って、「・・・ああそうか」
頭の中で「わいわい」言っている大人たちに、言い返しているんだな、と。
言い返せるようになってきたんだな。
まともに相手していちいち受け止めていたら、ホント、そう言いたくなるのが当然のようなことを、
ずーっと言われ続けていたんだものな。
「もと」の経験は何より子どもの頃のものだけど。
だからこそ、まともに相手している人は(私以外)皆無で、
だからこそ、ますます、会話の端々に強意が多く、身振り手振りが大きく。強調したいらしい言葉の繰り返しが多く。
また、放送禁止用語、PC指定語(Politically Correct)のようなびっくりするほど汚い激しい言葉が多く。
本当に祖母にそっくり。(それで祖母をあの人と呼び、「反面教師にしてきた」と言うのだから、祖母はもっと甚だしかったのかもしれない)ぞっ
そして私も油断するとそっくりになる。自己嫌悪になる。w
「ねえ」
「ねっ!」
「な わ け が な い」
「まあ聞きなさい」
「ねえ聞いて、私はね」
「だから!お母さんは、思ったのよ」
「私、それを聞いて、涙が止まらなくてぇ〜」
「そりゃそうよ〜○○なんだから!うん〜」
「お母さんは○○することにしているの」
「まあ!相変わらずよ!あのうちは!○○なのに汚らしくしてね、閉め切っちゃって〜」
「あーもう、それやめて。頭おかしくなるから」
「まったく、何がいいのよ?そんなミーちゃんハーちゃん」
「あのハゲちょろびん」
「ちんちくりんなんだ〜〜〜〜」
「太ってるんだ〜〜〜」
(久し振りに会って)「ああ!よかった!!太ってなかった!!あなたが太ってたらどうしようって思ってね。○○さんはもうすっかり・・・」
「お母さんに、も し も の こ と が あ っ た ら よ?」
本当にまともに受け止めたくない。とりあいたくない。それこそこっちが「おかしくなりそうな」。

普通の人はそれが出来た。
「うるせえ」と吐き捨てることだって出来た。
関係を断つことだって出来た。
しかし、娘の私は。しかも運悪く、感受性が高く生まれついていた私は。

もっともっとイライラしてもいいんじゃないの?
もっと口汚く、言い返してもいいんじゃないの?
みたいなことを、うっすら、ぼんやり。
(なんかこれも↓同様「ぶちっ」って感じだけどそれも含めて記録として)

11:38 2019/06/23
*不思議だ。感覚が「解放」されているのに、(いつものガチガチ・ゴリゴリw)読み物がずいぶん捗った。(対自分比)
(ネガティブな方に)「過敏」になっていると、苦しくて、または鬱っぽくて、(いろいろとたまってしまっていて、イライラするのに)1時間と縦にはなっていられないのに、
こんなにも音楽が頭の中に鳴りやまなくても、
あの詩集の世界の鮮やかなかけらがふいに降ってきても、
あらゆるにおいや温度湿度の変化にいつもより敏感になっていても、
暗くなく、つらくなく、悲しくないと、
「感じながら」読み物や片づけものの方も割と「さくさく」進むのだった。(驚)

私がよく「がっ」と言った、
感覚が半麻痺となって(多分一般的な感受性の高さに「(病的に)抑えられる」)
頭や身体の方が「覚醒」すると、いろいろと捗る。
と今までは思っていた。
「のんびりできない病」
「努力がやめられない病」
の人の、
(ベースには、逆に、「評価されないと、必要とされ続けないと」惨めで孤独でいたたまれないという「病的な」受け取り方)
「常に動き回り、頭を働かせ続ける」状態を作り出せないと、
普通の人のようには「さくさく」動けないのだと思っていた。
(まあこれは母や祖母の生活法なんだけど、だからこそ身体が思うように動かなくなった時に、それまで「無視してきた」ネガティブを否応なく受け止めさせられ、「人ではないもの」の振る舞いをするようになったのだ・・・と私は理解している)

祖母が何をそんなに怖がっていたのか。

もし母がこのブログを見ることがあり、端々まで一応「読めた」なら(まあ期待もしていないし可能性もほぼゼロだが)、それがよく分かるのではないか。

成長して言葉が自由になり始めた頃(10代〜)から時折私が
私の家族に対しての感じ方を ぽろっと こぼすことがあると いつも母は
「やだー、それじゃ私がまるで鬼ばばあみたいじゃないの」
「やだー、何言ってるのよ、それじゃ我が家がつめた〜〜〜〜い家族みたいじゃない」
「そんなこと言わないで?あなたは根無し草じゃないんですからね、ちゃんと、お父さんお母さんがいて、帰る家がある」
「私たちはそんなばらばらなんかじゃない、離れていても、か ぞ く!!なんですからね?」
「何言ってるのよ!もう!!ちゃんと、愛しました!!」(涙目で怒り狂いながら。あの目・・・ ・・・)

言葉が自由になっても、結局大きなことから小さなことまで、何ひとつ認めてはもらえないし理解はしてもらえなかったのだ。
自分の認識と違うこと、意図していないことはすべて「無い」のと一緒。
それでも言い続けると怒りだしてキーキー言い出して面倒くさくてしょうがないので言えなくなった。言わなくなった。
かくして彼女の中での「私」と本当の「私」とは年々乖離を増す。
そして30年が経ち、彼女がもし、このブログを見つけてしまったとする。

まあ私の中では、彼女には、既にもう散々非難され攻撃されて心理的には「こてんぱん」
(これを書いているたった今も、恐ろしい「報復」攻撃はリアルタイムで続いている)
私の中の彼女は、その力があるが、現実の、体力精神力が衰え始めたご本体はどうだろうか。
と、時々思いを巡らす。
「怯える」しかないんじゃないかな。
自分がしてきたことの「結果」をまざまざと見せられる。
オブラートに包んで解釈をやさしく、楽観的にしてくれる「やさしい大人」は、もう、いない。
何も言わずにすべて受け入れてくれる「良い子」の娘はもういない。
当事者による「現実」がそのまま語られているからだ。
祖母が「紛らわす」力を奪われた身体と頭で見せられていたもの。
と似ているどころか殆ど同じなのではないのか。

「自分のことしか見ていない」
「自分の思い通りに自分を見てくれる人」しか受け入れない
ずっとそういう生き方をしてきた母は
私と同じ年の頃(30代-40代後半)、
密かに「ママ友」「近所の人たち」の間で、
「偉そうに演説してたわよ、また。話聞いているとなかなか電話を切ってくれないのよねえ」
「娘2人がかわいそうね、そりゃ物質的には・・・旦那は稼ぎもいいらしいし。30代であの土地に持ち家。みんなに羨ましがられているけど」
「私はとてもあんなに頑張れないしー。見た?あの衣装自分で作ったんですって。また嬉しそうに自慢げに自分で言ってた」
「上の子なんて、あんなに感受性が高いのに、あれでしょ?めったに笑わないじゃない、ねえ?」
「なんかね、すごい頑張ってるのはすごいんだけど。それは認める。方向が違うのよね」
「押しつけがましいのよね。誰もあれじゃ悪く言えないから面と向かっては言えないけど」
「上の子はよく病気をするってこぼしてたけど、さみしいのよ、きっと。やんわりと言ってみたんだけどね、(自分や娘の)習い事もいいけど、お父さんとの時間は作ってあげている?って」
一見、よくは知らないと、
明るくて社交的で
なんでもよくできて
子どものため、みんなのために、いろいろやってあげられて
旦那は多忙で育児には非協力的らしいけどひとりで何でも切り回して
働き者で、いいお母さん。

母はそのイメージに(娘からしてみるとかわいそうなほど)しがみついていた。
おそらく、陰で言われていることも「ちゃあんと知っていた」
だからこそ子育ての失敗が許されなかった。
「敵対する」ママ友や近所の人たちに「失敗」を晒すわけにはいかなかった。
「親が恥をかく」「私が○○さんから言われる」と逆上しながらの「報復」にも、説明がつく。
「どうやったらあんな子に育つのかなあ」
「どうしてうちの子はこうなのかなあ」
「私は、先々のことまで考えて、ぱっぱ ぱっぱとやっていくのにな。どうして出来ないの」
この人は、自分のことしか見ていない。
もの言わぬ娘の方に、どんなお母さんと思われていようが、自分を評価する大人たちから見て、「いいお母さん」であることが第一。

一見して「いいお母さん」は、実は、
自分のことしか見ていない
周りや相手を見ていない、見る気がない
自分の思い通りの評価をしてくれる人としかつきあわない、つきあえない。
彼女を否定するようなことを(実際感じたこと思ったこと)言うと、すぐ猛然と言い返され、「切られる」
母が「ママ友」「娘の先生」としてつきあい続けたのは
それをしない、それに特別気を遣う、「やさしい」人ばかりだったのだろう。
彼女の夜の長電話の相手、習い事などの立ち話の相手、プライベートでもつきあい続けた学校の担任。
成長していく私の周りにいた大人たち。

も、含めての、本当のところの、ごまかしのきかない、自分自身の「評価」
を、
「わあーわあー」
「あーあーあー」
と腕をふりまわしながら叫んでも(実際、彼女が嫌そうな話題になるとそういうことをよくやっていたと思う)(・・・)
耳をふさいでも
いやでも聞かされるとする。
聞かせてくる相手に囲まれたとする。
そして、自分には、それをやり返す力も、といって、黙って耐える力も残っていない。

そうすれば、もう、「わけがわからなくなってしまう」しかないですよね?ww
(wをつけるところがまた自分で書いててもぞっとするほど残酷だわ)
詐病を使ってでも、
もう、わたしは年いって弱ったかわいそうな人間なので、攻撃しないでください。
ひとりではなんにもできなくなってしまったので、助けてください。
とやりだすのだと思う。
祖母とまったく同じやり口。
若干10-20年前には、同じような祖母の介護をしながら、
「娘たちには、こんな思いはさせられない!!私たちは、しっかりと自分達の足で立っていないとね!!」と明るく爽やかに宣言していた。
聞かされている方が恥ずかしかった。

自分で宣言していたことを忘れましたか?
「しつこいな。わかったよ(またころっと変えるんだろうけどさ)」って顔をされながらでも繰り返していたこと。
そうなる前に、しっかりと**でくださいね?
まあ不運にも不本意に「そのように」永らえてしまったとしても・・・
お金くらいならいくらでも出します。今はお金を出せば第三者が助けてくれるサービスがいろいろとありますし。

私は逃げなかったのに?プロにまでなったのに?
それは、あなたが(この問題を放置し続けたために)逃げられなかっただけでしょう。
プロになったのは逆に、「仕事」としなければそれこそ自分の精神が侵され、(具体的には、心理的に、結婚するまでの母娘関係に戻らされ)虐待してしまいそうだったのではないですか。
「この恩知らず」「親不孝者」「親に向かって」「親を何だと」
という呪縛、恐怖とついに向き合えず、自由になれなかった「結果」でしょう。
だからこそあんな言葉が出る。
「私は、あなたたちには、こんな思いは、させられないわ!!」
繰り返していることに気がつかない。
繰り返すことになることに気づいていない。
母が特別暗愚であるというよりもそれすら病気なんだろう。何百年と続いてきた。
それも私の代で終わりです。
私は私の中に居るこの幼女の育てなおしをさせる子どもは、作らなかった。
いとこの子どもたち。(母の姉の娘の姉弟)甥姪もそろそろ子どもが(あれば)大きくなる頃で、気になりますが。