今欲しいもの

話を聞いてくれる人。聴かせてくれる人。かなあ。
センターに居たころは、後者は死ぬほどあったっけ・・・
もう、それだけでセンターに居たようなものだった。

絶対に否定をしないで聴くこと。は、難しかったけど、
はっきりいって何年もかかったけど、
慣れると、聞かせてもらえる、ということが、実は、ものすごく愛されるってことなんだ、と思うようになった。
そして、否定ばっかりして来る人には、
本当は、自分ばっかりが話したい人には、
話せなくなっていくものなんだ、と思うようになった。
センターは、センターが「正しい」としていることを、
どこまでも「押し付け」て、うまく従ってくれるのを「うまくいく」と言っているから・・・
どんな子も、話せなくなっていくのは当然だ、と思っていた。
「何でもしますから、どうか助けてください」と言ってくれるように、仕立てあげるのが目標かのように。
怖い。
この怖さを、過食症になる感受性を持った人たちが、気づかないとでも思っているとしたら、
摂食障害人の感受性は、随分なめられているものだ、と呆れた。

そして、そうなった子を、どこまでも助けるのかといったら、そうでもない・・・
ジェーンちゃん。
「酷い。私はお詫びさんなの?」
この子にこんなことを言わせて恥ずかしくないのか。
あの時のアートちゃんは最後まで、「それでもセンターを捨ててはいけないよ」と送り続けたけど。

私の感じること、思うことを、絶対に否定しないで聴いてくれる人、も欲しい。
利害関係がなく、私を「操作」する必要もない人。
これまでの私(病歴、センターとの関わり、現在の状況)を、ある程度知っている人。
Lavlaというものを、心に増やすことが、病気を回復させていくということだ、という「基本」を、知っている人。
お互いがお互いに(ある程度の理解をもって)そうである、というネット(網)が、
この病気、摂食障害の人には、
それから回復しようとする人には、どうしても必要だと思う。
勿論、「過食(嘔吐)をしてしまうような、心、を何とかして普通にしたい」という意志があることが大前提だけど。

日本でそれが他に見つからないのなら、外国でも。

こういうことを考えると、働いてることが、
こんな普通の暮らしを守っていることが、なんだか、卑怯な気もする。
具体的に何を、か、うまく言葉にはならないけれど、
もっと・・・「捨てられる」覚悟が、私には、足らない、とも思う。