おめでとう、ポッキーちゃん

もんのすごく久しぶりの更新になってしまった。
本当仕事持って毎日何か書けるってすごいわ。
必要なものすら読んだり書いたり出来ないよ。
メールボックスもカオスだわ。
連休前(というか、3月4月全体)、何が何だか分からなくなるほど、忙しかった。
今年は並びが悪いって、そういうことか、と思いながら、必死。
「山のように動かぬ心!」とか、心の中で繰り返すこと、日に数度。(訳が分からんw)

外せない用事があって、(土)、(日)と出かけなければいけない週が多かったのもあって、
何か書く(読む)どころじゃなかった。
「普通」を「もっと欲しい」と思い始め、
この6年ほどのことを「ちょっと後悔」して、
その感じは相変わらず強いけど。
かなり動けるようになったことだ、
1年前なんて、私、「これからも生きていく」ことすらあんまり考えられなかったぞ。
「もう、いいよ」80%超で生きていたよ。
普通、なんてどうでもいい、関係ない、
20代前半の頃とはまた違う感じに、
真面目に生きる気100%なし、だった。

うん、変わらず、ゆっくりではあるけれど、進んではいるのだ。大丈夫だ。
と、思っている。

もっと、感じたい。
もっと、愛したい。
もちろん、この病気の心を、
過食嘔吐を、これだけしなければ生きられないようなモノを抱えた心を、良くするためにね。
もっと、幸せになるためにね。
幸せを感じる心になるためにね。
それには、あまりにも今の私は、生きるだけで精一杯だなあ、余裕が持てないな、と日々思う。
「何もかも揃っている戦いは、戦いではない」という言葉がある。
うん、もっと、症状は症状で、仕方がないから、
工夫して頭を使って、いろいろなところから学んで、
時間的体力的精神的金銭的余裕を作り出して行こうと思う。
そうやって、私はずっと進んできたんだから。
何も、教えてもらえずに。
誰かの都合による恐ろしい批判に日々、さらされながら。

卒業おめでとうポッキーちゃん。
経済的に続かなくなった人の、「仮の卒業」。
それでもセンターで治りたいと「すがる」人へ与えられる「選択の余地」。
「救済措置」と耳にしたことすらある。
何人、目にしてきただろう・・・

怖いものを怖いと、間違っているものを間違っていると、感じ、表現することを、決して怖れないで?
誇り高い怒りを、忘れないで。
センターから「切り離された」アートちゃんが、今も進めるのは、この怒りを忘れていないから。
何度も、「修正」され、「説教」され、時に「脅迫」され、それはつぶされることと思う。

この病気-摂食障害過食症過食嘔吐-になる人は、
経済的な状況、美醜、その才能、症状の多寡、年齢、性差、人種、文化、言語を超えて、
みんな、感じやすく、やさしく、生まれた人。
からだの丈夫さとこころのやさしさに於いて、
普通の人より、もともと優れて生まれた人が多い、と感じる。

誰かの気にいるかいらないか、
利用できるかできないか、なんて、関係なく、
みんな、よくなれるしよくなりたい。
宿命との和解を果たして、幸せになりたい。
症状が軽くなったりなくなったりなんて、その副次的な現象に過ぎない。
私はそう信じる。
だから、回復させられる人、させられない人、を
「選別」して来た組織のあり方が、率直に「恐ろしい」と感じる。
私は、病者だから。
症状、摂食障害、の不便さを、残酷さを、自分の身体の上にも、たくさんの人たちの上にも、見てきたし、今も現にあるから。
忘れないでね、どんなことも、自分の心で感じること、自分の頭で思うこと。それを、表現できること。
どんなに、恐ろしくても。
もっと愛そう。
もっと感じよう。
どんなプラスもマイナスも。
すべては、異常な行為(過食・嘔吐)の最初から必要のない、
普通の人間の暮らしに近づくために。

いつか、アートちゃんは、誰のそれも妨げないHOMEが出来ることを願う...
また会おう!そこで。誰かによって「切り離された」みんな一人残らずと!
って願わなかった日は一日もないよ。

幸せになろうね。