ポカポのみつけかた♪

私が一番、いっちばん、はじめにした「訓練」。
6年前の冬か?2005年末〜年始頃の話。
初期停止31日終わり、
初期軽減1-2ヶ月終わり、
症状が「本来」出るべきほど出るようになった頃。
(平日3-4回、3-4時間、金曜日はほぼ徹夜、休日、一日中、10時間超・・・)
仕事もしていて。(でも随分休みがちになっていた)
Inner childのことも、
私に「感情」があるということも、
Lavlaもポカポも何も分からないまま、
ただ、酷くなるだけの過食衝動。
何も、分からないまま。

ただ、始めた訓練。
毎日死にたい消えたい私を見ないで、
晴天で、周りの誰もが笑っていてでも、
「何が、可笑しいの」
「生まれてきちゃいけなかった」
「これから私どうなるの?」
ばかり、真っ暗闇・・・の中、

一瞬の、ひとかけらの、
あったかいもの
幸せなもの
やさしいもの

希望
愛・・・

ひねりだして・搾り出してでも
「見つける」「感じる」訓練・・・
何か掲示板に書いては消されてた頃で。
理由も自分ではよくわからなかったっけ。
それくらいポジティブなこと書こうとしても
ネガティヴにしかなってなかったみたいw
「いつかは生まれてきてよかったと思いたい」とか?
書いては消され 書いては消されの毎日で。

吐かないで食べる量もすごくなっていて、1日8食くらい食べてた?
気持ち悪いのに、アメとかも手放せなかった。
1ヶ月で20キロぐらい増えた。
大好きなブーツが、その冬は、全部履けなくなった。
普通に靴もきつくなってた。
腰ばきするスカートやパンツを、全部ウエストのところで穿くことになったw
ぜったいに買わない!身に着けない!って決めてた
エストゴムのボトムスを泣く泣く購入することになった。
(今はぜんぜんそんなこだわりもなし)
そんなに痩せた身体にたいする執着は(一般的な摂食障害人ほどは)強くないはずでも、
これはつらかった。
毎日体重計にのっては死にたくなった。
身体を切り刻みたくなるって、ちょっと分かる気がした。
「太った?」なんて同僚(健常人)に言われて頭、まっしろになったり。
(怒り、だろうなあ、当時は感じられていなかったけど)

怒りとか
苛々とか
焦燥とか
止まった人?痩せた人?に対する、醜すぎる嫉妬、そして
限りなく自己嫌悪・・・
の合間には
あれ食べたいこれ食べたい
体型が。。。これから、どうなっちゃうの?
の中、どうやってそんなの見つけろって・・・?
途方に暮れながらもやるしかなかった「訓練」・・・

「きれい!」
「うれしい・・・」
「ちょっと、よかったかも・・・」
もう、一々書き留めていなければ、
それが一瞬「かすった」ことすら、忘れてしまうくらい
今にも消えそうな、吹き飛びそうなものばかり。
その直後には爆発しそうな怒りや悔しさや苦しさ・不安・絶望で涙がこぼれる、
繰り返しだったけど。
歯を食いしばるように集め続けた・・・
まるで、極寒の猛吹雪の中、ともる蝋燭の灯をかばうかのよう・・・だった。


よく言われていたのは
過食症の人が、何もかもをネガティヴにしか感じられない、
受け止められないのは当たり前。
そういう受け取り方が病気を起こして来たのだから。
でも、マイナス感情だらけの中ででも、
症状、過食衝動に悩まされ通しの中であってでも、
努力をすれば、プラスのものも受け取れるようになる。
人間は、受け取り方の世界に住んでいる。
「こんな」病気でも、受け取り方次第で、いくらでも幸せになれる。

病気じゃないお前が言うな!と内心つかみかかりそうになってたけど。w




書きながら、
「そんなこともあったね」
今は、ネガティヴなものを見つけることのほうが大変だよw
幸せ。
病気なんだけど。
みんなが普通に出来る「食べる」が、少し、まだ、うまく「普通」には出来ないけど、
でも、それだけ。
眼が見える、光を感じられる、
美しい音が聴こえて、
普通にお仕事が出来て、
大変な仕事だけど、お給料安いけど。
・・・
本当に「ほしいもの」を挙げることのほうが難しい。
カレシだってほしいよ。
結婚も1度くらい、してみたいよ。
子供も生んで育ててみたいよ?
自分のこと、以前より大好きになったから。
世代間連鎖?
それは、怖いね。
治るまで子供を作らないのが病者の責務だ?
(何て恐ろしいことを言うの)
何度この言葉を聴いては思っただろう?
世代間連鎖してでも、私が今ここに在るのは、
そんな「もの」(病気、病気を起こさなくとも、そのタネとなるもの)を抱えてでも、
生き、命をつないでくだされた人たちの生きた証。
100年前1000年前の人のあらゆる感じを、
私の中に感じるよ。感じられたことが嬉しくてしょうがないよ。
どんな悲しみも苦しみもうらみも呪いも痛みも。
愛も幸せも感謝もあらゆる快も。
ここにこの心と身体を持っているから、受け止められたもの。
それを敢えて「病気だから」と断とうとは思わない。

それはあなたは助かる人間のつもりだから。
そんなこと、あんな笑顔で「ご指導」出来るなんて、
恐ろしいね?
気持ち悪いね?
私は、知らなくて「そう」してしまった人たちのことを、
そんな言葉で責めるなんて出来ない。
・・・この病気はね、心・身体の高い高いポテンシャルの逆証でもあるのよ?


毎日毎日、一瞬一瞬、
足すものも引くものもないくらい、幸せで満たされてるな、と感じる。
今ここ、が、嬉しくて楽しくて美しいものにあふれてる。
以前・・相談前、例えば5年前の私を知っている人が聞いたなら
「何か悪いものでも食べたのか」
とか、思われそう。w
病気になるほど、
感受性が高く生まれついたってね、
本当はとっても恵まれていることなんだって。。。今は思える。
症状が無くなるよりも先に、センターに出会ったこと、は、私をこんなに幸せにしてしまった。
生きる限り、症状に苦しむ、自らの生まれつきを嘆く、同じ病の人が在る限り、
伝えたいのは、ただ、この一つの繰り返し・・・