記録 2019.05.27.

*↓週末にちょこちょこ書いてたもの。
何ていうか、五体満足に生まれても、こんなに苦しい人生もあるんだなあ みたいに妙に客観的。
後悔なんてあろうはずがないし
あっという間だったなんて口が裂けても言えない。
誰にも共感されないし、関係者は気の毒がられて、
ただただ全部、私一人が悪いんだってことにしてしまう。
だからこういう生き方しかできないんだけど。
自分を持たず、自分を持てず、感覚すら放棄して徹底して他人に合わせる。
好き嫌いなんてない。苦手なものなんかない。

こんなに苦しい人生もあるんだなあ。
(-__________-)
はやく寝ます。

8:46 2019/05/25
*梅雨の直前の「からり」は気持ちがいいね。気温30度の湿度30%。
これが気温26度の湿度70%になってくるとしんどいぞ。
日常生活は、そんなに忙しくなくてマイルドなんだけど、
心の中は相変わらず24時間、大人達がうるさい。

「あ〜怖い。怖いわ〜この子。ねえ、なんでこんな子に育っちゃったんだろうねえ。ねえ?」
(母を睨む母方の祖母。祖母を睨み返すのではなく私をすごい形相で見る母。)
「おばあちゃんは、そんな子、嫌い。嫌いだよ。もう知らないよ。あ〜怖い。いやだねー本当にいやな子だよ」
「やだやだ!そんなこと言わないで、いい子になるから、直すから、待って待って」
私はいつも許しを請いながら半泣きで大人達の背中を追いかける幼児だ。(心の中で)

怒りも孤独も感じず、感じられず、誇りも恥も外聞もかなぐり捨てて生存するために大人達の機嫌をとる。
「生存」を勝ち取れ、一人で立てても、身体は大人になっても、心の中は、生き方は、感じ方は容易に変わらない。
「みんなそうして育ち、生きている」くらいに思ってる。
「そもそも」が。「大前提」の世界の、人間の見方が。
「間違っていた」「そのことにすら、気が付かないで来た」

(睡眠中の)夢の中でまで「もはや人間なのか」「死んだ方がよくない?」「ヒくわ〜」と「みんな」に批判され非難され嘲笑され、
「そうだね、本当にそうだね」と「ぺっちゃんこ」になっている。

*そうなんだよね。と思いながら、
日々読んでいるものをごりごりとノートへ書き写し、カラフルに色分けして、
(日本語、英語、中国語♪)
「ふんふん♪」なのだが、一方の子どもの心は(心の中で)うるさく泣きわめいて、どうしようもない。
そんなに長い時間、縦にはなっていられない。
視界がぐるぐるして気持ちが悪くなって、ふとんにもぐりこむ。
そして、短い夢でも、いちいち、↑。
シーツを洗濯は週末は無理だね。(2組用意すれば?)

*まあ・・・
↑が感じられているだけ、意識できているだけ、あともう少しで、もう一段階「普通」に近い生活が、心が、手に入る予兆なのかな?
(少しの抵抗のような「前向き」)

*現実の人がやさしいと、何かが「きれい」だと、涙が出そうになる。
本当に、本当は、みんな大好きって心から、思いたい。
ただただ、この世界はいいところだと思いたい。
それなのに、みんな「悪気100%なく」傷つけ汚していく、怖いヤバイ、と、私のこの感受性は受け取ってしまう。
同じような感じ方の者がだ〜れも居ない。
「受け取り方が本当に悪くて。ごめんなさい」

*芸術だけが、苦しみや悲しみに意味を与えてくれる。
*愛を学ぶために孤独があるのなら 意味のないことなど起こりはしない