記録 2019.03.31.

まあ飽きもせず毎回同じようなこと書くよなwとは思うんだけど。
それも含めて記録として。

痛いなあ。おなかの「ずーん」が取れない。過食をしている時だけ、忘れることが出来る。
かといって忘れるためにもう何としてでも過食、というわけでもない。
だからまあ、何か普通っぽい暮らしも出来ているんだけど、基本的に24時間、じっと耐える。

お母さんだったら、私に言えたんだろうなあと思って「いいなあ」と思う。
「お母さんここがずーんって感じに痛いのよ」
「お母さん鼻が悪いでしょ、ここにたまっているものが、こっちに出てこない。喉の奥の方に落ちて行っちゃうのよ」
「お母さんの生命線はほら、この辺で切れてて短いでしょ、60歳くらいまで生きられればいいかなあ」
今だったら、「そんなこと普通娘っていうか他人に言うのかなあ・・・普通・・・普通・・・」と思うようなことを、
「ねえ○○ちゃん、お母さん○○なの。ねえ」と言い聞かせる。
結構深刻な内容を申告しているんだが、嬉しそうである。
聞いてくれる者が傍にいることが。
全身耳にして聞いてくれ、否定せず、反論せず、「大丈夫だよ!お母さん、私が頑張ってお母さんを幸せにしてあげるから」って顔をしてくれる。
というかそういう風に「調教」したんだけどね、意識してなのかせずになのかわからんけど。
(多分無意識に、なのが恐ろしんだよ実にw)
「あなたは私が居ないと1時間・1日だって生きられないのよ。さあどうするの?」
そして一方で「娘で本当によかったと思うわ〜息子だったら、ねえ?」ともママ友などには言っていた。

もしこんな感じ方の娘や息子が居たら、必ず私が今度は同じことをした。
良かった。「あなた」は救われたのだ。と最近は本当に思う。
何代も何代も繰り返されてきたことを、この痛みを、感じながら。
他方で「本当に良かった、私で終わりで」と思う。

歩いていても基本上を向けない、気が付くと俯いてしまっているような心の状態で、
そして、今私が見ている、聴いている、感じているものではないものが、ノイズのように勝手に入ってくる。
言葉にうまくならない、「チカチカ」する感覚。
「うるさいっ!!」と叫びたくなる。
今年に入ってからは、父親のだ、と思う。
彼の分は、私に言い聞かせた言葉・一緒に過ごした長い時間ではない代わりに、
雰囲気、態度、表情、しぐさ、家や所持品やにおいやあらゆる感触に残されたものの方に、膨大な情報が入っていたと思う。
それは母方のものよりもさらに重く厄介で・感じ切って整理がつくまでに「労力」が要るのではないか。と最近は思う。

いいの。調べつくしたうえで私が41年前に選んだこと。
ヒカリさんに止められても選んだこと。
そして、「感じ方が悪くてすみません」と全力でみんなに、土下座。
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