記録 2019.03.05.今日も酷いよw

*またいろいろ読みすぎて目が回る。
まったく何を目指しているのかな〜ってくらいたくさん読んで、調べて、ごりごりと書き写して。
本当に、生きているだけでも奇跡じゃん状態のこの精神異常の病人の私が、これ以上何を上塗りして補おうというんだろうか。
感じない上に
好き嫌いもわからない上に
それほど自分が無い上に
何を上塗りしたところで恥ずかしいだけだよ。異常性を増すだけだ。
まだわからないのか。
諦めが悪いんだよ。
往生際が悪いんだよ。
「目標」の高すぎる私。しかもそれは誰も求めていないのであった。w
自己評価が低いから。求められていないことまで「何を目指しているのか」と自問するほど「ごりごり」深彫りしてしまう。
もう病気の症状の一種だと思ってもいいんじゃないかなw


余り調子が良くないと
ふっと何かの瞬間はいつも 何を見ても聞いても苦しくて悲しい。
もっと調子が悪いと地面や壁どころか、空気中にも気持ちの悪い模様が見えたり。
やたらと不愉快なもの(視覚的・聴覚的・嗅覚的・触覚的)がカンに触る状態であったり。
ひとりで居てもこのありさまなので、誰かと過ごすなんて、とても。
どういう月面宙返り
まあ それでも随分予期せぬ過食衝動は減ってきたと思う。(・・・)
季節の変わり目はだいたいキツイな。毎回のことながら。
家に居て、外の誰かのでっかいくしゃみですら「びくうっ」ってなって「ゼイハア。うぐっ(><)」だもんw
消えない痛みがずーっとある人みたいなんだよな。病気は違うけど。

*父親が気持ち悪い話。
別にそういう眼で見られて育ったとか、そういうことをされたとかじゃないんだけどね。
それよりもあまり接点はなかったし・・・
父親に経済的に依存しなければ生きられないのに、
軽蔑しまくっている母親の父に関する愚痴を聞かされて育ち
「そんなに嫌なら、もう別れればいいのに」と言えば
「あなたたちがいるから別れないでいるのよ。(あの人のお金がなければ私だって生活出来ないんだから離婚はしないわよ)」と言われ
今風に言えば「あいつはただのATM!!でもあんたたちのために別れないでやってるんだから感謝しろ」かw
結果、
「高校とか大学なんていいからさっさと働けるようになって家出たいな。てか女なんだから稼ぐ方法はあるよな」と思うようになる。
それが中学生時代なんだからなあ(- -)
(だから大人になっても「通えるから」と実家にずっといる人が信じられん・・・でもきっと家の居心地が普通ならそれが普通w)
高校時代、住み込みバイトをやっていた子がいて、「そういうのもありなんだ」とか。
それで貯めたお金で、アップル社のデジカメを米国単身旅行で入手してきていて素敵でしたね。
1994-5年かな?アップルのマッキントッシュが日本に上陸したかしないかくらいの黎明期からのMac-nerd
まだ「情報」の授業でMS-DOSワープロ機能を使うことを習っていた時代です。
インターネットという言葉もたぶんあまり知られていなかったかもという頃です。

本当に「異常」に気づいて外から何か言う大人はいなかったのか?
私とよく接することのあった教師たち。
本当、教師なんて自分のことしか考えてないのばっかりだ。
何も見えてない。気づけていない。「異常の芽」に対する洞察力はゼロね。
一世代経っても、虐待死を止められない、児童生徒の自殺を止められないのなんてあたりまえだと思う。
それどころか「異常」は見て見ぬふりしているようなところまであった。
母に丸めこまれているのも居たからしょうがないんだけど。
何にも知らない(知ろうともできない)くせに偉そうにするな!!

お手本になるべき生き方をしている人間しかその職業には就けない。
(で教師って身の回りみんな教師とか公務員。大人になってから気が付くけど、公務員の周りはだいたい公務員ばかりだし、自営業の周りは自営業ばかりだし、サラリーマンの周りは同クラスのサラリーマンが多いんだね。現代の士農工商でしょうかw)
それはとても結構なことでしょう、
でもそれから外れようとする、その中では生きていかれない者を「はじく」あの空気。
まあ 私の受け取り方なんだろうけど、「なんだこの大人は」という言動をする人も出会った「先生」の中には多くいたと思ってる。
そんなところまで考えてたら(そんな「外れた」「ついていかれない」者たちのことまでケアしていたら)身が持たないのかもしれないけど。
(私は教師は無理ね 距離感おかしすぎて 病気酷くなるwまた感受性高い子には感染しそうwひぃ〜)

性教育は、子供が小学校高学年になってから始まるのではない。
子供が物心ついてから日々家庭の中で行われている。
父親が母親に対する、母親が父親に対する、態度が子供に性教育をするのだ。
(松田道雄さん)

気持ち悪くなっても当然か。
子供の私は父親と楽しく過ごした記憶がなく、
一緒の時は精神年齢が恐ろしく低い彼がキレないように気を使って過ごし、
だいたい母は父に対して非常に不満そうなのでそれもまた私が補うべく気を使い。
なんであんなに小さいころから家族で過ごすのは、たったの一昼夜であっても、嫌だったのかと、
やっぱり私が異常だからか、と悶々としてきたものだけど、「あたりまえだろ」・・・と脱力感。

**受け取り方が悪くて。

*みあさんは勇敢で誇り高い戦士だったね。とまた一般的でない感想を持つ。
自分の子供の頃と比べて。
私だったら、怒りを押しつぶし気に入られるように少しでもやさしくしてもらえるように
必死に考え気を使い、意地も誇りも何もなく媚び諂い日々を過ごしただろう。
助けを求めるなんてことはしない。できない。
だって自分の努力が足らないからひどい目に遭うだけだもの。
私がもっとがんばれば、家族として認められるように頑張れば。
きっとやさしくしてもらえる。暴力をふるわない、お父さんになってくれる。
お母さんも私に味方してくれる。周りの大人も、変わってくれる。
そうして家族は歪んでいき、自分も怒りを抱えた子供を抱えたまま身体だけ大人になり、子は親となる子は親となる。

みあさんが周りの大人に対して抱えていた怒りはどれほどだったかと思う。
ちゃんと怒れる子が。助けを求められる子が。
「教師に売られた」恨み。
殺されてから慌てる偽善者ども。
でも命がけに匿おう、守ろうとする大人がもし居たら、その人の方が危険だったかもしれない。
なんて高難易度の人生を選んだ人だったんだろう。
まあもう他の高難易度人生に入っているんだろうけど・・・マスタースパルタだよな。

ニュースに出てくるような虐待親はもう明らかに先祖代々病気なんだから、刑務所よりも精神科・カウンセリング施設だよなあ。
あと2世代ほど後には、刑務所ではなく、次の世代の社会全体のことを考えるなら、「病人」は病院へ、となるのかもしれない。
今も刑務所の中にカウンセリング施設とかあるのかな?

**いつものごとく酷い書きっ散らかしで・・・すみません。(土下座)