記録 2019.02.20.This world is...

*まあそれでも勝手に「これが出来ていれば善し」と思っていること
(おそらく、自分の感覚などは全く度外視で、思わされるに至っただけの)は日々やりこなして
「一応普通の人間です」を装い一応安心はしているわけだが・・・

本当は、生きていられるわけなかったもの。
なんで生きているんだろう、
長い長い時間を、どうやって生きて来たんだろう という「スカスカ」の感じ、
心に、胸に、穴が開くなんてもんじゃない、
足もとが、立っていた場所が、歩いてきた道が、急に軟化し崩れ去り吹き飛ばされたような
強烈な、空虚?虚無?孤独?離人?うまく言葉にならない「感じ」が、時々、予期せず、来て・・・「困る」。

もう、近くが視えない・・・いや、遠くと近くの区別がつかない。
物理的な遠近感ではなくて、
他人と、自分との区別、
時間的な「遠近」の区別、
狭い範囲(自分と今の一瞬)と広い範囲(周囲、地域、国、世界、宇宙、今日一日、数日、月、年、10年、100年)の境目がよくわからなくなる。
気味の悪い私。
人間の形はしているけど、人間ではない私。
人を欺いて自分を欺いて生き延びてきた。
それでもまだ世界は「生きろ」って言う。

*自分が「善し」としていることが 他人にとっては「そんなことどうだっていいんだよ、それより」であること
自分が「やだな」と感じることが 他人にとっては「は?つっかかるね〜私は気にならないけど?」であること
自分が「おー☆」と思ったことが 他人にとっては「別にいいじゃん」「何が面白いのかわかんない」であること
が、いやなんだ。
そういう反応に触れることが。
構わず言い続ければ、「うるさい」「しつこい」
だから、自分の感じたこと思ったこと考えたことは表現しない。
常に、相手の感じ、考えを推測し、「そうなのそうなの」「そうそう」と反応してくれそうなことしか言わない。

私にはすごく意地悪なクラスメートを「やさしそうな子ね」と言われても黙っていた
私にはすごく意地悪な先生を「いい先生ね」と言われても「ホントはね」なんて言えなかった
私はちっとも「いい」とは思えない服や髪でも「似合うわね」と言われれば黙ってうなずいた
「くさい」「汚い」「いやだ」と思う場所でも母が気にしていないようであれば言わなかった。
母は鼻が効かない人らしく、食器棚、引き出し、たんす、それらから取り出したものも全部、実家は本当にくさい・・・
18年住んでも「なれっこ」にはならなかったなあ。
今なら言葉に出来るんだけど、子供の頃はどう言っていいのかわからなかった。
(小学生くらいからは自分で調べたりして対策を練るようになるのだが・・・)

「相性」とか「自分に向いている、向いていない」という言葉が嫌い。
そうして片づける考えや人が嫌だ。
というより理解できない。
「うまくいかない」「できない」「どうしてもそう感じる」ことを、「相性」「向き不向き」で片づけることが今でもできない。
相性なんかない。向き・不向きなんて有り得ない。
努力が足らないだけだ。と切り捨てる。
怖い人。
だから人間の形をしていても「危険物」なんだよ。社会に出しちゃいけないんだよ。w

何でも好きになれる。
どんな状況にも適応できる。
合わせていくことが出来る。
出来ないことは努力して出来るようにする。
ひと・もの・ことの好き嫌いがない。
人と衝突しない。
自分からは辞めない。
ことが自分のいいところだと思ってる。
そういう(職業的な)経歴であることが「よい」と思ってる。

本当にそうか?
本当は人の100倍は感受性が高い。
本当は人一倍多分好き嫌いが激しい。(まだ確信できないけど、たぶんこちらが真実 たぶん?何年自分やってんだよw)
いつも求職活動の度に思う。
こんな者は本来、働く、普通のように生きるなどどだい無理な話なのだろうと。
今15歳時点(1993年)に戻れたとしても、やはり何も決められないのだろう。
何がしたいのか
何が好きなのか
自分はどう思うのか
を何も持たない。持ってはならないと思っている。
本当にね、こんな者は、過激組織の捨て駒になるしかないんだよ。
DV男・何らかの依存症の病人と共依存になるしかないんだよ。
そして子は親となる子は親となる。

*書いてて「大丈夫か」とも思うよ、
大丈夫じゃないよ、全然大丈夫じゃない自分の「記録」だよ。
と思いつつ今日も書きっ散らかしてgdgdのでっかいカタマリを置いて去る。まさに●。

***Changing the pace sometimes, feeling sorry at any rate. w.***
*Author-approved short version also available.
批判ばかりされた子どもは、非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは、力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは、ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは、鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは、自信をおぼえる
寛容にであった子どもは、忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは、評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは、公正をおぼえる
友情を知る子どもは、親切をおぼえる
安心を経験した子どもは、信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じとることをおぼえる
If children live with criticism,
They learn to condemn.
If children live with hostility,
They learn to fight.
If children live with ridicule,
They learn to be shy.
If children live with shame,
They learn to feel guilty.
If children live with encouragement,
They learn confidence.
If children live with tolerance,
They learn to be patient.
If children live with praise,
They learn to appreciate.
If children live with acceptance,
They learn to love.
If children live with approval,
They learn to like themselves.
If children live with honesty,
They learn truthfulness.
If children live with security,
They learn to have faith in themselves and others.
If children live with friendliness,
They learn the world is a nice place in which to live.
1972/1975 by Dorothy Law Nolte