記録 2018.03.12.たまには。

*たまには記録。久しぶりに調子が悪いぞ。w
別に何が、っていうわけじゃないけど。何もかもどんより。・・・
ムリしないで早めに休みます。(これが出来る分、人間らしくなったものだ(感慨))
無理しない もできない。
早めに休む もできない。
いつもよりだるい。よりも、「やる」と決めていることをちゃんとやってから寝られる ことの方が大事。
今こう感じている ことよりも、人が私に求めていることをやり遂げられること が大事。
「感じ」を押し潰し我慢を重ね、やり遂げた ことに、偉そうな感じと安心感を覚え。それだけが支えのように「生きて」来た者に教育された約20年。
普通は、そうじゃない。ことを「知る」のに30年。
普通は、「感じ」が先。そこから、「やるべきこと」も「必要な物」も何もかもがたちあがる。
自分で、それ(「感じ」が先)が出来るようになるまでに更に10年。
ホント40年も生きて来たことの方が驚きだわ。
世界が、人間が、こんな者を許し40年も生かしてくれたこと。
誕生日を迎えるたびに妙な驚きのあるワタクシ。w
いえ、幸せなことですね。幸せな驚きですから。


***(ずいぶん前に書いていたもの。2月10日って日付が。古っ(-    -))
*たまには。記録。
「まだ」うわああああ は、来ないかな〜
ふんわり、ゆったり、高め安定。
読み物調べものが進みます。
偉そうな気分になりすぎないように気をつけます。

最近はまたエルサレムという都市や、ユダヤ人の歴史、中東戦争(1,2,3,4,5,最近)について今更のようにおさらい。
ま 別に何か意見を求められるとかじゃないんだけどね、新聞の本の紹介欄なんか読んでいても、一般教養がないとよくわからないことって多いです。
一般教養ってすごく「ほわっ」とした言葉だけど、それだって、私にとっては、日本で20年以上前までに受けた教育がベースになっているものであって、今の日本の子ども世代はまた微妙に違ったベースを持つのだろうし、同じ国でも10年でも変わるもの、国が、ことばが、文化が違えばどれくらい違うんだろう、と気が遠くなる。
同じ戦争や場所の名称だって、日本語、英語、アラビア語で呼び方が違うし、それぞれの主張していることも違う。
今年は平成30年、明治150年ではあるけれど、「私の知っている」明治以降の日本史って、明治直前の内乱状態を治めた「新政府」「勝者」から「教えられた」ものなんだよね。
更に言うと、戦後に「日本史」とされていたのは、1945年以降に連合国司令部の「指導」で編集されたものだ。
敗者・旧体制側から見たそれぞれの新時代ってどんなんだったんだろうか?
探せばその肉声を保存せんと奮闘した人や組織もありそう。
1900の00-10年代に、海外(米国、南米)へ集団で移植していった地域の住人は、
その1-2世代前に「そういうことがあった」ことが動機にもなってないだろうか?
もし、「満州国」がソ連に侵攻されず、その地でもう少しアメリカの力が強く及んでいて、中華人民共和国にもならず、「日本」であり続けていたら?
もし、三島由紀夫が存命で(あれば92歳)「私の履歴書」を書いたとしたら?
東京オリンピックオイルショック、バブル景気、冷戦終結地下鉄サリン事件、失われた20年、30年、911デジタルネイティブたちを、それぞれどう論じただろう。

日本は「Civil War」は少ないけど(いや、記録に残されていない/そう見做していないだけかも、と書きながら思った)「敗者」が大量に吐き出される時代も何十年に一度で周期的に現れていると思う。
別に日系3世というわけではないんだけど、父親の仕事の関係で、小学校高学年からブラジルで教育を受けて、大学から日本で学び教師になりました。という中学校時代の社会の先生は「ぼくは教科書は使いません」と第1日目に「堂々宣言」してたんだけど、「地理、歴史」が、「今の日本の国」が「こうです」と言う見方に偏ることを恐れての言い方だったのかもしれない。
今はどんな授業をしているんだろう。
これだけいつでもどこでもいろいろなソースを手軽にひっぱって来られる世の中で、彼の教え子には、どんなレポートが課されているんだろか。
丁度ベルリンの壁が崩れた頃(中1)で、フランス革命から200周年、今度は東欧で革命がぽつぽつ、という頃で、新聞記事や新書(その頃はまだ中公か岩波って感じだった)を読んで自分でも意味の取れないレポートをひいひい言って書いていた記憶が。
地理、歴史はそういう性質の教科だけど、一方で、
「数学は世界共通語です♪」という先生もいたな。「すべての実数xに対して」は英語ではこう書きます・・・「日本の高校で教えている数学は米国のそれよりもハイレベルなんです」と、米国の高校2年生(11年生かな?)の数学のテストを見せて呉れたり。
未だに時々思い出して、図形の定理の証明を英語で、を集めてごりごり。
中国語はまだやってない。

わりと数学用語って英語で言えない。
電車の広告の日能研の問題を英訳せよ、っていうのも相当な難物だろう。
「正五角形を用いてCos36度を求めよ」(-    -)・・・
まあ別に日常それを英語で言わなければいけない場面も特にないけどさ。
・・・日本語で言うことすらないな。・・・

イスラエル ユダヤ教 ユダヤ人 についての本・出来事について
日本語で書かれた本、説明
英語で書かれた本、説明をいろいろ読んで、
アラビア語だと?ヘブライ語だと?どう書かれてるのかね〜?それぞれの国の学校ではどう教えるんだろうね〜?みたいに、ちょっと思ったから。

やっぱりねえ、学校では本当に「さわり」しか教わらない。
学校の勉強も出来なければ、それ以上は生きられないって感じはしますね。
好き嫌いがあるのは致し方がない、いやむしろ好き嫌いは感じられる方がよい、
でも、嫌いでも「やらなければいけないこと」としてやっぱり、子どもは、やらなきゃいけないことだろ。って思う。
「嫌い。いやだ」って感じながらやる。のが大事。
「嫌い。いやだ」って感じられるということは、その裏に、「好き」って感じられるものが確かにあるということだ。
大人になってもそういうことはいっぱいあるから。いや、大人になってからの方が多いかもね?
別に普通か。(-    -)
好き嫌いを覚えることすら知らずに(だが、「なぜか」生きられ)40近くなった者の偉そうに説教することじゃない。
好き嫌いも感じることが出来ないのに、学校行って勉強してたってのが不思議だわ。怖い。うう。

*新聞を3紙も定期購読してどれもかなり真剣に読み込む。っていうのがそもそも無理ありなんだよなあ。
追っかけている記事がだいたい1日分で10-15/5/3。
アラートで受け取ることにしているものはもっといっぱいある。
ブラウザで3面出してタブをばらばらっと30くらいつくって、コピ ペ したりググったりノートにごりごりと書いたりして。
未だにぽつぽつと単語帳を作る。カードも作る。(今時)
週5の9時18時の事務仕事で、家に帰って来てからそれをやる。
マジでどれか一つくらい週1くらいで休んでくんないかなーー
読むのも大変なものを毎日書く。発行する。すげえなあ。プロ。
1日でもやらない日があれば20-25くらいずつたまっていくからね。5日で100-125だよ。週末に数時間がかりだよ。カショオしてるばあいじゃないよ、レベルだよ。(いやヤるけどね う〜ん(-    -))
いや別に「必要なのそれ?」とも思うし明らかに「緊急ではない」ことなんだけど。
それより毛玉だらけになってる冬物をちゃんとしなさい。
たまっちゃってるレシートなんとかしなさい。
換気扇も洗った方がいいよな。とも思うんだけど。
緊急ではないが、重要。だと思うんだよね。
そう思う以上はしょうがないのかね。(-    -)
営業や管理職になったりすると、仕事に来てから新聞の山を読んで、ビジネス書を読んで、という時間が出来るのだろうか?みたいなことも思ったりしたけど、
いや、そういう人たちは「労働者」「業務」の人よりも更に忙しい中時間を作って驚くほど情報収集・吸収をして、専門外の本も読み、異業種・異業界の人とも交流し、研鑽を積んでいるものだろう。
しかも出来る人ってたいてい趣味を持っていてそれもレベルが高いのだ。芸術とかスポーツとか。・・・
「よく生きてる」レベルの病人が。なに憧れてんの。wとも このあたりで「ぽわーん」と思うけどさ。さすがに。身の程知らずな望みは不幸になりますよっと。恥ずかしいし。