記録 2017.11.17.ちょっと古い。寝ます。

*この一週間は本当に心の状態が悪くてね。
「お前のような者は死んでしまえ」
「そうだよ、お前さえ生まれて来なければ」
「何でこんなのが生まれて来ちゃったんだろ。でもさあ、戻すわけにも、いかないじゃない?(笑)」
彼女は、その時その時に思ったことをそのまま言っているだけだ。
悪気はない。悪気はない。
「あんたの受け取り方がおかしい」
その通り。その通り。
「やっだーそれじゃ私がオニババアみたいじゃなーい?♪」
うん、ごめんね、こんなこと思って・・・
気持ちの悪い記憶が止まらない。あの頃の(つぶしていた)感覚がぞわっと甦って皮膚の下から破裂して「何か」出て来そう。
仕事して、考えなければならないことがあった時間は、紛れてて、助かった。
また言葉になればいつか書くかもです。
(-    -)マジでヤバイ。今もスゲエ気持ち悪い。(寝てろよ・・・ww)

*日曜日の午後は、本当に楽しかったよ。
「話したいことがいっぱい」なんて嬉しかったな。
ちゃんとした文章を書くのに、実に、ほわっとしたかわいらしい話し方なんだよねえ。
いや、でもきっと議論調、演説調の母親譲りの話し方も出来るんだと思う。(ただの憶測)
「そんな感じ方もありますか」
「もっと、言葉は、表現は、自由でいいのかもしれない」
(1)家族のご飯を作り、掃除洗濯をし、育児する。少し趣味。って、それでもとても立派に「仕事」してると思いますよ。ひと段落したらお昼寝。なんて、「人の眼があり、働き続けねばならぬ」よりも自由裁量でかっこいいじゃないですか。どんな職種でも、最高峰は「フリーランス」ですわ。
(2)満員電車に揺られて決まった時刻に「出勤」し、たくさんの人と「仕事」するけど。何かやったような気になって、何か変えたような気になってるけど、そんなに大したことでもない。ひとりになれば本当にひとり。誰とも話さない。関わりたくもない。趣味?何それ。
(1)(2)は同時には成立せずとも「生きている方がフシギだよ」なんですから。どちらかで「生きられているだけ」でも奇跡ではないですか。
「続き」で本当のこと、全部知っている者がもし居たら、「おお、まだ生きていたのか」ってマジに言われそう。
「ええ、なぜか。世界は、皆様は、生かしてくださいまして。殺してくれない、というのが精確ですか」
生きられてしまう ことだけが「幸運」で「善」とは、もう思えませんね。
・・・(-    -)
うまくまとまらないなあ・・・ごめんね。
また書くと思います。

◆先週くらいに書いていた少し古い「記録」◆
*いつも薬局で買う米の袋のイラストが超かわいい。
米つぶの妖精?が炊きあがったごはんをかきまぜてたり。
「においに注意」でマスクしてたり。
「水濡れ注意」で傘さしてたり。
でも、かわいいもの、きれいなもの、新しいもの、清潔なもの、って、どこか「悲しい」ので少し苦手。
(はっ?!w な この受け取り方・・・ ・・・(-    -))

買い物は苦手。
物が捨てられない。捨て時がわからない。
衣類は、基本的に、穴があくまで。毛玉の出来るものは、毛玉とりを何べんも実行し、結果的に「向こうが透けるほど」薄くなるまで。毛玉の出来ないものは、裾や袖がぺらんぺらんになるまで。ゴムの入れ替えの出来るものはゴムがバカになったら何回でも入れなおし、破けるまで穿く。さすがに家パンツや靴下に接ぎまではしないけど。ほつれ程度なら根気よく補修。
家パンツや部屋着の類さえ一度新品を買ったりもらったりすると5~6年は着続けることになる。
更に漸く満を持して穴があいたものは、掃除用に15cm角 20cm前後角、靴磨き用に5cm x 20-30cmの帯状のものにカットして保存。
お店やカタログを見ていると、何処にそんなに買う必要がある人があるんだろうと思う。
私的には、買う必要があるものが、そんなに、ない。(食品は別ね ・・・)
供給過剰なのでは?感。
一方で、ごみ収集日にゴミ捨て場に捨ててあるものを見て、「本当に寿命だったんかなあ」みたいな感じ。さすがに拾ってきたりはしないけど。
「みっともないからいい加減に捨てろ」と言う人がないので何でもかんでも本当の限界まで使い倒してしまう。
子どもの頃は、「まだ使えるから捨てないで」とよく言っていたと思う。
「もう新しいの買ってあげる、捨てなさい」と言われても「いい!まだ、使えるから!」
なくしもの おとしもの とかの探し方も 異常だった と思う。
「何?何?そんなに大切なものなの?」と周りが心配するんだけど、全然「大したことないもの」だったり。新しいわけでもない髪のゴムとかさ。かなり使った消しゴムとか。そんなに入っていたわけでもない小銭入れとか。
母は母で「買ってあげるから」って言ってるのにw 大迷惑。本当にみっともない。何なんだよ。

父親が、よく、「どうしてそんな扱いするの?!」って思うような、ものの扱いをする人だったと思う。
まだ使えるかなり長い鉛筆を何本もごみ箱に放り込んだり。
ごみの捨て方がいちいち乱暴だったり。
(ごみの捨て方ひとつ見ても、その人となりが窺えるというもの、とは今も日々思う)
母は本当に料理上手で研究熱心だったけど、おいしそうにものを食べているところを見たことが、ない。
味の感想を言っているところも、まず記憶に無い。無理やり母に促される以外で「おいしい」なんて言ったこともないと思う。想像が出来ない。嫌いなもの、食べたくないものはは、黙って残す。
悲しくて悲しくて、「もうっ。何で?」でも、彼は自分自身に対しても「そんな」で、それが一番「かわいそう」でイヤだったかな。
言われなければ何日も入浴どころか洗顔もせず、同じ服を着る。
掃除、整理整頓、何かの手入れなんかやったこともない。
相当齲歯や歯周病が進んでいるのに歯科にかからない。
どう考えても身体に悪い・不衛生・不経済な習慣を改めない(だらしがない、とも言うが)・・・
スペックが高いのに、高いから?努力をしない。
それを指摘されても「だから何?(冷笑)」「だってXXXじゃん?(笑)」
そうだ、私はあの笑いがイヤだった。投げやり。自暴自棄。どうでもいいじゃんよ?自分にも他人にも、ものにも、世界にも、全てに対して。
この人、うれしいとか、楽しいとか、ありがとうって思ったことあるのかな?みたいな。
かっこつけてる、っていうのとも違う。妙に、さめてる。(冷/覚/醒)
「なんで?」みたいな苛立ち、「怖い」ような違和感。
彼の母にも、時折同じような「怖い」を感じることはあった。
大正生まれで女学校出、(今で言うと一流企業に勤めて数年で留学してMBA取得、みたいな感じかな?同年代の100-200人に一人、みたいな)
やさしいし、おもしろいし、何でもよく知っていて出来た人だけど。
ぽろっと出て来る言葉とか、一瞬の表情とか、しぐさとか、に、私は、「あれ?」「え?」と、よく思っていた。
彼女の亡くなった後、長男(父の兄、私から見ると伯父、故人)の嫁(つまり、彼女と4-50年一緒に暮らして来た)が裁判沙汰になるような行動に出たり。もしかして、「私の知らないおばあちゃん」が居たのかも・・・と密かに思っていたりする。
本当は、誰かに対しては、ものすごく意地悪で、陰湿で・・・?想像も出来ないけど、そんな?
今はお互い「和解」して何事もなかったかのように極稀に会うけれど、誰にも言わないし訊けないけど、そしてそろそろ「それ」について知る人も、憶測でなく語れる人も、全滅の時期だけど。

何事もなかったかのように。「いい家族」「幸せな一族」の顔をして、○○のあいさつ。季節ごとに。節目ごとに。
「ねェ。おかしいでしょう?!」をのみこんで、職場以上にハードな仮面を被る。
ぞっとする。なんて禍々しいんだろう。
思い出しただけでも窒息しそうだ。
楽しくもないのに笑う。嬉しくもないのに笑う。「はあ?」と思いながらもとりあえず同意する。黙っていれば、分からない。黙っていれば、肯定されていると思って一方的に話す。
本当にバカだな。
でも、無自覚に、自分の感覚や考えまで「それ」に合わせちゃって来た輪をかけたバカが私だ。

晴れた休日の河川敷で、家族連れとすれちがいながら、「何の問題もなさそうにふるまっているけど、あの人たちだって本当は、家に帰れば・・・なんて、想像しちゃったりして・・・普通は、健康に育った人は、そんなこと、考えないんだろうねえ」