記録 2017.07.17.

◆時系列もバラバラなんだけど。貼っただけ。
*受け取り方、感じ方は人それぞれ。
頭ではわかるんだけど、私は、他人に、それを許していないと思う。
なぜなら、私自身が、自分に受け取り方、感じ方の自由を許していないから。
ということに気づいてしまったら、やっぱり苦しくなって来てしまった。
同じようなことが、たくさんのことについてあてはまって、
どれくらい「普通」と違っているんだ・・・と途方に暮れてしまう。
今更だけど、もはや人間なのか、っていうレベルじゃね?っていう。
もっと人は自由で「みんな違ってそれでいい」の筈で・・・でも、私はそんな生き方は知らない。そんな風に生きて来ていない。

*超しんどい。でも過食してわけわかんなくなりたい、とはならない。まいった。
真っ暗にして布団にもぐりこんでも20分が限界だ。
「ぜいぜい」肩で息をするみたいにまたスマホをつっついたり起きだしてごそごそしてしまう。
なんなんだ。うぐぅ

*何もしないで寝っ転がっていると知らず知らずのうちに歯を食いしばってしまっている。
みたいなのが何日かあって・・・ちょっと楽になったようだ。
頭も少しスッキリした感じ。

*もっと自然に、力を抜いて。悲しいって、苦しいって、つらいって「そのまま」感じられればいいのに。
表現できる、伝えられるところなどどこにもなくても。
普通は生まれた時からちゃんと出来ることが、私には難しい。
いつでも誰かのまねをしているだけだ。誰かの思い通りになれれば「安全」なのだとたたきこまれてきただけだ。
表現できる・誰かと共有できる。
共感を求めて、反応が期待できる。
そんな「苦しさ」「怒り」なんてなまやさしいもんだ。

*逆に考えたら、何て、「守られてる」「守られて来た」んだろうって思うよ。
こんなのが、どうしてちょっと見は、「普通」の人のように長い時間を生きて来られたんだろう?
20まで生きるのも「ぜいぜい」肩で息をするようだった(でも、みんなそうなんだと思っていた。「こんな」世界で、30年も40年も50年も生きている人を、本当にすごいと思っていた)。のに、不思議と、「生きろ」と言われるみたいに、何者かに、護られて来たから今がある。
縋っては・・・剥がされ。
縋っては・・・縋り切れずに。
そのたびに「もう生きられない」と「追いつめられて」も、不思議に、つなげられ続けて、今がある。
「もう、何に縋らなくても、大丈夫そうだよ?」と、漸く、言えそうな。
漸く、何に縋らなくとも生きられる、健康な心の。
「普通の人」のスタートラインに立てたような。

*いやいや、まだいろんな問題は残してるよ。
「向いている」ことなんて分からない。「好き嫌い」「向き不向き」なんて注文つけられる身分じゃないだろ。みたいな「ヤバい先入観」もまだ残る。
明らかに「向いてないだろう」「合わないだろう」みたいなところばっかりにぶつかっていって、ますます「特技は我慢」に磨きをかけw
(さすがに能力的にそんなに優れてはいないと思い知って来たのに)苦手なことを【少し】克服しては【したような気になって】偉そうな気分に浸っているわけだが・・・
やっぱり、年若いうちに、自分に向いていることがわかって、自分の好きなこと・人がわかって、それに向かって最小限の我慢で、自分に可能な速度で、歩いたり走ったり出来るのが一番いいと思うのよ。
中学高校の頃、進路の紙なんて、書けるわけがなかったし、適正テストやエゴグラム的なもののテストでもわけのわからない結果が出てるのも、どうしょうもないことだったと思う。
だって【感じる】ことからして拒否してるんだよ。もう人間ですらないよ。
私はどうして不登校にならなかったんだろうなあ。
よくあんなところに何年も居られたよなあ。
居切ったんだよなあ。すげー根性だ。
家、家族もぐちゃぐちゃ(私目線)だったから、毎日、朝が来て。
他に行くところもなかったっていうのもあったけど。
一見普通の。勉強も運動も出来ます、やらせればなんでもやります・・・やれるように努力します。
けど、内実、
自分の感覚なんて、無くなってしまえば「便利」なのに。
人の求めて来ることだけが分かればそれでいい。
の、基礎を、朝も昼も晩も、春も夏も秋も冬も。
せっせと作ってた。20まで生きられる気がしなかった。
不登校とか非行とか問題行動の方がまだ「健康的」だよな。まだ大人に、社会に、SOSを出しているぶん救いがある。
助けてくれる、共感してくれる人間、社会に出会えるチャンスがある。
「こんなところでどーやって生きていけと?」ストレートに。
そして、そういうメッセージを、大人は「統制」暗に非難しているような空気が、私の周りにはあったように思う。
それすら出せないで「無問題」のまま大人になった者の中に、精神を病むものや犯罪にはしるものがあるような気がする。
で 子は親となる子は親となる・・・
まあ ちょっとだけだけどね、そういう年若い子を見つけたら
「無理なものは無理。と表現できることは、恥ずかしいことではないよ。それどころか大切なことだよ」
「感じる心を失ったら人間ではなくなってしまいますよ」とは、伝えたい。
伝えたところで解る者には解るし解らない者にも何種もあり、相当の回り道をして身をもって知る者、「それでも」一生解らないままの者に分かれると思うけど。
少なくとも私の周りにいた大人たちは「一生解らない」「そもそも解る必要がない」種類のある意味幸せな人ばかりだったと思う。
・・・
いや別に恨み節ってわけでもないのよ。うん。
私が「異常」なだけで。困った子でありました、っていうだけで。

*書きながら思ったんだけど、『銀魂』が愛される理由がちょっと分かるような。
ま あと30年くらい経つと『銀魂』学みたいな考察本も出て来そう(手塚や藤子やディズニーワールドみたいに。銀魂をパロった漫画etc.もたくさんありそう。いや、待てよ。とも思うけど。基本発禁すれすれ(映画レビューに「上映中止になる前に観に行こう」が結構あって草 高杉評判いいね!なんちゅう美脚(絶句)でしたよ原作・アニメ高杉ファンが(歓喜で)咆えてるコメもちらほら。ミツバ編もすり切れるほど観てるワタクシ。土ミツ!!沖ミツ!!dTV限定なのが惜しい・・・私ドコモじゃないんだけど・・・はよDVD!!冬くらいかなあ(-    -))で下品でgdgdで「もーいーからそういうの!!」の割合の方が多いんだよね)。そういう振り幅も含めて愛されてる、理由。

*久しぶりにどばっとOutput。
疲れる・・・(-    -)こんなに疲れるもんだったか・・・
InputもOutputも日々、大量に。という人って本当にすごいよなあ。
日々、年々の積み重ねと、あたりまえのレベル、っていうことなんだろうけど。