記録 2016.12.22.変な天気。ぐるぐる。

*調子いいのか悪いのかよくわかんないな。
「もーやめ。ムリです。無理です。ミリ。�_」
で、結構試作を重ねていたもの製作もあきらめたり、また復活させてみたり。何巡めだよ。w
絶対今日はムリだな。辿り着けるわけがないな。と思っていたことが、
意外に「さっ」と出来ちゃったり。

*ダルイ。眠い。のに、2-3時間で目が覚めて、寒い部屋でもう一度暖房つけてごそ ごそ して 3時とか4時みたいな時間にまた寝たり。
朝の寝起きがまた悪い。すごい悪い。目が覚めてから1時間は布団の中でぐずぐずする。
酷いと5時半に目が覚めているのに布団から出るのが7時半過ぎだったりする。
何がそんなにイヤで出られないのか。
わけがわからないんだが、マジでグズすぎる。
で 結局ドすっぴんで仕事行ったり。
(まあ何冬か前は本当に一日布団から出られなかったりしたんだから、ドすっぴんだろうが遅刻しないで会社行けてるんだから、進歩と言えば進歩なんだけど・・・ ・・・)

*久しぶりにまた「違う世界」に引っ張り込まれてぐるぐる。だったよ昨夜。
身体は歩いているのに、電車に乗っているのに、過呼吸が来そうな、妙な吐き気、と、目の前のチカチカ。
左の脇腹がきゅーーっとする。
ちゃんと息出来てるんだろうか?
身体のあらゆる部分がバラバラになる感じ。
鋭い痛み、熱感、無理やり切断される、剥がされる、抉られる、むしり取られる、抜かれる、貫かれる、感じではなく、
くすぐったいような、気持ちの悪い違和感とともに、皮膚が浮き、身体中の毛が、歯、肉、管が、組織、パーツが、バラバラと崩れる、外れる、剥がれる・・・
「何だこれは」
「お前は誰だ!!」
乖離。解離。カイリってこういうことなのか?
名前を付けることに何の意味があるんだろう。
私に出来るのは「散らさずに」「さあ来なさい」と「限界まで」受け入れることだけ・・・
「誰のもの」?
いいえ「私」の一部として「もともと在った」もの。
この星に生きていた、誰かが感じていたもの。感じ切れずあふれたもの。
責めるな。呪うな。はじくな。
すべてひっくるめて「私」と「この世界」の一部。
昨夜は本当にひどい目にあったなあ・・・家に帰ってからも、
気持ち悪すぎて何も手につかなかった。
と いいながら新聞は読んでたかな休み休み。
布団から出たり入ったり。
で 今日は勢いよく生理が来てた。それもあるんだろ。
(-    -)

*糸魚川火事?月夜さんちの近くだ・・・けど、今東京デートなんだっけ??
なんか東京もなまぬるい暴風雨だし・・・お気をつけて。
ま ラブラーブだと火事も嵐もピンクなのかな・・・いいなあ。

【参考/Wiki先生から。】解離性障害(かいりせいしょうがい、英: Dissociative Disorders; DD)とは、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』 (DSM-IV-TR)における精神疾患の分類のひとつである。 自分が自分であるという感覚が失われている状態、まるでカプセルの中にいるような感覚で現実感がなかったり、ある時期の記憶が全く無かったり、いつの間にか自分の知らない場所にいるなどが日常的に起こり、生活面での様々な支障をきたしている状態をさす。 その中でもっとも重いものが解離性同一性障害である。 DSMと並ぶ国際的診断基準、世界保健機関 (WHO) のICD-10において、解離性障害に該当するものは「解離性(転換性)障害」であるが、名称にも現れているように、その範囲は異なる。

「解離」には誰にでもある正常な範囲から、治療が必要な障害とみなされる段階までがある。 不幸に見舞われた人が目眩を起こし気を失ったりするが[1]これは正常な範囲での「解離」である。 更に大きな精神的苦痛で、かつ子供のように心の耐性が低いとき、限界を超える苦痛や感情を体外離脱体験や記憶喪失という形で切り離し、自分の心を守ろうとするが、それも人間の防衛本能であり日常的ではないが障害ではない。
障害となるのは次のような段階である。状況が慢性的であるが故にその状態が恒常化し、子供の内か、思春期か、あるいは成人してから、何かのきっかけで自己統制権を失い、別の形の苦痛を生じたり、社会生活上の支障まできたす。これが解離性障害である。解離性同一性障害(以下DIDと略)はその中でもっとも重いものであり、切り離した自分の感情や記憶が裏で成長し、あたかもそれ自身がひとつの人格のようになって、一時的、あるいは長期間にわたって表に現れる状態である。

◆ちょっとだけおすそわけ。
◆聖夜に本物 行きますぞ 日本で唯一の公認サンタ、病院や施設の子どもに贈り物 パラダイス山元さん(音楽家):
Ho ho ho---!! Merry Christmas!今年も一年で最も忙しい季節になった。というのも、日本で唯一の「公認サンタクロース」として活動しているから。北へ、南へ、家族と過ごすことができない子どもたちにプレゼントを届けている。
はじまりは1998年夏。知人に紹介したい人がいると呼び出された。現れた女性は会うなり「イメージにぴったり。お引き受けいただきありがとうございます!」と満面の笑み。話すうち事情がわかってきた。彼女はスカンジナビア政府観光局の職員で、「グリーンランド国際サンタクロース協会」の公認サンタ候補を探しているという。断れない雰囲気で、そのまま決まってしまった。
協会の本部はデンマークの首都コペンハーゲンにある。長老サンタ一人では世界中にプレゼントを配りきれなくなったということで、認定制度を設けたのが57年。公認サンタは現在、北欧・北米を中心に120人あまりいて、毎夏、世界サンタクロース会議に全員が集まる。98年の挑戦者は僕を含め9人。体重120キロ以上、結婚して子どもがいるのが条件だ。水をがぶ飲みして、体重はギリギリセーフ。続く体力測定は、50メートルを全力疾走したあと、煙突を登り、暖炉からはい出て、ジンジャークッキーを早食いし、再び煙突から帰る。制限時間は2分。上位2人が面接に進む。
長老サンタに英語かデンマーク語で自己紹介し、最後はみんなの前でサンタ語で古文書を読む。合格したのは僕ひとり。35歳、史上最年少だった。その後、アジアから合格者は出ていない。
サンタの仕事は、児童福祉施設や病院にいる子どもたちに、プレゼントを届けること。数年たつとすっかり有名になり、全国から依頼が殺到するようになった。9月から50カ所くらい回るが、全て自腹で、東京から北海道や沖縄への日帰りもざら。目の回るような忙しさだ。
「サンタさんに聞きたいことは?」。施設に着いたら、子どもたちに語りかける。「今までで一番高いプレゼントは?」との質問には、「ある国の王様の友達の息子に、ゾウをお願いされてね、あのときは困ったな〜」。笑顔になってもらうには、ユーモアが必要だ。
うれしかったことはたくさんある。「○○ちゃんがこんなに笑ったのは初めてよ」と施設の担当者に言われたこと。一緒に撮った写真を、2年後に訪問した時もベッドのそばに大切に貼ってくれていた子がいたこと。
でも、同じくらい戸惑うこともあった。忘れられないのは、ある県の児童福祉施設に足を運んだとき。何人かの子どもから、くしゃくしゃに丸めた小さな紙を渡された。あとで開いたら「助けて」の文字。びっくりして、不安になった。何かがおかしいと、県庁に訴えた。その後、施設に調査が入ったと聞く。
きっと子どもたちは、誰にも助けを求められなかったんだろう。サンタにしかできないことがある、と思うようになった。
もうひとつ、重要な役割がある。クリスマスの文化を伝えることだ。
クリスマスは、イエス・キリストの降誕を祝う日。サンタは約1500年前、布教活動をしていたセント・ニコラス司教がモデルといわれる。各地の伝統や文化と混ざりあって進化したため、サンタはキリスト教徒のためだけのものではない、というのが協会の見解。
じつは10年ほど前、サンタ会議で日本のクリスマスが問題になった。例えば単に「プレゼントをもらう日」だと考えられていること。本来であれば、サンタに手紙を書き、お母さんと一緒にクッキーを焼き、きちんと掃除し、良い子にしていなければ、もらえない。
「恋人と過ごす」というのも大きな間違い。クリスマスは、家族の絆を深める日だ。「ツリーのてっぺんの星のオーナメントはお父さんが飾る」「我が家のジンジャークッキーにはしょうがのスライスを入れる」など、家族ごとの決めごとや伝統があり、行事を通して家族の歴史を築き上げていくことに意義がある。
さて、イブまであと5日。新聞を読んでいるお父さん、お母さん、イブの夜は仕事をさっさと切り上げて、一目散に家に帰ってください。残業していいのは、サンタだけですから。

参院合区と「民主主義の形」 鳥取県知事 平井伸治さん:
国会は国の民主主義の心臓で、その国の意思決定過程に沿った選挙制度が不可欠だ。
米大統領選でトランプ氏がクリントン氏を破った。憲法により上院議員は人口にかかわらず各州2人で、各州は上下院議員数合計の大統領選挙人を選ぶ。全米での得票が少ないトランプ氏が州の多数で勝ち、当選を決めたのは、州単位で国政に国民が参画する「民主主義の形」の表れだ。
私は旧自治省時代に定数訴訟分析や政治改革などを担当した。各国は人口のみならず社会の実相を踏まえて選挙制度を定め、二院制なら両院異なる原理で多様な民意をまとめる選挙に腐心している。
戦後、我が国は国民主権となり、半数改選や地方代表など米国上院をモデルに民選参院選挙制度を制定した。当時の大村清一内相は「参議院の構成を衆議院と異なるものたらしめ」るよう「地域代表的性格を有する地方選出議員」と「全国選出議員」の選挙とすると国会に提案した。
1983年の参院定数訴訟最高裁判決は「都道府県が歴史的にも政治的、経済的、社会的にも独自の意義と実体を有し一つの政治的まとまりを有する単位としてとらえうることに照らし、これを構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとした」と指摘。投票価値の平等は衆院の「人口比例主義を基本とする選挙制度の場合と比較して一定の譲歩」は免れないとした。
しかし、参院全国区を比例代表に改め、衆院小選挙区比例代表並立制に変わると、両院とも「選挙区+比例代表」になり、参院本来の代表理念が見えにくくなった。
今夏の4県を合区した参院選では「合区反対」と記す無効票が頻発し、高知県投票率が全国最低になるなど制度不信が表面化した。
都道府県は、江戸時代の藩の伝統を淵源として、明治憲法と同時期に「府県制」が制定されて以来、議会が置かれ、地域の意思決定を行う民主主義の単位として機能してきた。各種団体が国政への意見をまとめる単位でもある。
最近の高裁判決では衆院同様に投票価値2倍以内にすべきだとの判断も少なくない。仮にこれに従うと全国の約半分が合区対象となり、都道府県が我が国民主主義の要である実相から遊離する。
憲法改正を論じるなら、不十分な地方自治の規定の拡充とともに、都道府県単位で国民が国政に参画する「民主主義の形」を議論すべきだ。

◆新聞のコラムから:ポピュリズムの経済学
経済学は、人々の日常の経済活動を対象としているため、ポピュリズム(大衆迎合主義)的な議論を生む場合がある。最近の例を踏まえ、ポピュリズム経済学の特徴を考えてみよう。
第1の特徴は、コストを無視してベネフィット(恩恵)だけを強調することだ。例えば、財政再建には増税か歳出削減かのどちらかが必要だ。社会保障を安定的な姿にするには、税・保険料を増やすか、給付を削減するかのどちらかが欠かせない。
しかし「政府支出を増やしても、成長率が高まり税収が増えるので心配ない」「政府保有の資産を取り崩せば負担なく財政支出を増やせる」との主張が出ている。経済学の大原則である「ただの昼飯などない」を忘れないようにしたい。
第2の特徴は、一般の人々の耳に抵抗なく入り込みやすいことだ。例えば、トランプ次期米大統領は「輸入を制限し、貿易赤字を減らせば米国の製造業の雇用が拡大する」と主張している。これは輸入品を大量に消費する米国民には分かりやすい理屈だ。同氏のホームページには、こうした主張を支える経済学者の見解も掲載されている。
しかし、この議論は「輸出は国内総生産(GDP)にプラス、輸入はマイナス」という極端に単純な仮定に基づいている。原材料・部品の輸入が減ればGDPは減るかもしれないし、米国が輸入を制限すれば他の国が米国からの輸出を制限するかもしれない。「分かりやすいこと」と「正しいこと」は違う。
第3は、起死回生の妙手であるかのような体裁を取ることだ。例えば、一部の経済学者は日銀が国債を直接引き受け、それを財源に政府が減税や歳出拡大を行う「ヘリコプターマネー」を提案する。企業の内部留保に課税し、投資を促すべきだとの議論もある。
こうした政策がこれまで実行されなかったのは、誰も気が付かなかったからではない。効果のない割に副作用が大きいと考えられているからなのだ。
ポピュリズム経済学を排するには、正統的な経済学者が政策の意思決定の過程に関与することが求められる。一般の人も、あまりにうますぎる政策、分かりやすい説明、起死回生の妙手的なプレゼンテーションを目にしたら、まずは疑ってかかるべきだ。