記録 2016.11.17.言葉多きは品少なし

*毎日、ちょこちょこ書いてはいるんだけど、
読むものが終わるのが12時過ぎが常態化していて、貼れずに寝る!な日々。
最近ずっと1時過ぎ就寝になってるよ。ダメな傾向だ。
もっと速く読めるようになりますように。鋭意努力、臥薪嘗胆。(は?)

(木曜日。)
*睡眠不足気味なのに加えてまたもInput過剰となり、日照時間減少のせいもあってか鬱っぽい。
ルーティンを、可能な限り忠実に、丁寧に。は、心がけたいところ。
手洗いうがい、まあ言葉にしてしまうとキリがないくらいあるんだけどさ。あーする、こーする。gdgd

(火曜日。)
【ちょっと前の。今日はあったかかったみたいだね】
*「寒い」ってどうしてこんなにイヤなのか。
寒いっていうだけで、イライラして涙目になってくる。
もう、本当にカンベンして。という感じ。
ということが、一冬に数回はあるような気がして。
急に気温が下がった、と感じられる時に特にそうなると思う。
今まであまり気にしてなかったんだけど。
この「感じ」の向こう側にあるのは、決まって、雪。固く凍った雪。に、にじむ血。ふぶく雪。
あたりに散らばる、凍った糞尿。人のものか?獣のものか?
鼻の奥が、つんっとするような寒さ。
ひどいあかぎれの手、足、裸足。
私の記憶ではない。
「お前は誰だ?」
風や、凍る大気の感じまで妙に生々しくて、更にゾクゾク。
何もかもが麻痺する、いやな寒さが、「今の私」の身体の中にまで入り込んでくる。この感じ。

今から120年前。1896年の世界。
私のおばあちゃんがふたりとも大正2年(1914年)生まれだから、
おばあちゃんのお父さんとお母さんはもう生まれていた頃だと思う。
8人の、私の出生に関わる人たちが確かに、居た世界。
日清戦争の戦勝に浮かれ、富国強兵、領土拡大、と50年をかけて破滅へ、
「そういう」道へ踏み込み始めた頃の日本。
欧米にさかんに学んでいた頃の日本人。
もう30年遡れば16人。(江戸時代だ)
たくさんの人の、会ったこともない人の、
「感じ」が私の中に伝わって来ていて、「なぜか」こうして甦る。
会ったことはなくても、私の両親を通して私に伝わったもの。
両親、そのまた両親には、知覚されなかったが、私が、彼らの言葉、表情、しぐさ、の端々に感じ取って覚えたもの。
もしタイムマシンがあったとして、私がその時代に行ったとしても、
「ええ、8年後の夏に生まれて来る女の子が私のおばあちゃんです☆」
言葉も衣食住の習慣も随分異なるその人達と、
一緒に暮らせるとも思えないのに、「感じ」ばかりはこんなにも鮮やかで生々しい。
例えば炊事、洗濯、入浴ひとつでも水を井戸、水源まで汲みに行き、火をおこすところから始めなければならないという暮らしが何の苦もないわけがないし、
また100年以上前の人が、満員電車での移動や、1分に30件入ってくるようなメール処理、歩きながらでも電話をとり話す、現代人の仕事ができるとも思えない。
身体が違う。習慣が違う。「前提」が違いすぎる。
それでも、「感覚」「感情」ばかりは、殆ど変わらぬまま何百、何千年も共有されて来た。
そうでなければ、芸術(音楽、美術、文学・・・)が時代を超えて伝わるわけがない。
如何に言葉が変わり生活が変わっても、感覚、感情はそのまま世代を超える。
直線の時間、円環の時間どころか、ほぼ、「点」のような。
点でありながら莫大の広がりを持っているような。
まるで星や宇宙の縮図のような。
繰り返し、というよりも、時間も場所もない、身体も関係ないようなところで、「共有」されているもの。
これは、呪わしいもの?愛しいもの?
「なぜ、私の中ではこうして?」謎だ。

ただただ、自分の心で感じること。頭で考えること。を、どこまでも大切にしていきたい。
誰かの頭の中に染まるのは楽だ。
麻痺して、思考停止して、操られ踊らされる方が、楽なんだ。
宗教、癒し、支配、思想に染まりたい、そしてその外の者をあわれみ、同類にならんと「勧誘」するか、そうならない者は、とことん裁いて攻撃して生きていきたい。心。に打ち勝つ。
人類全体のミッションでもあると思う。(書きながら、ずいぶんデカい話になった。いや、そうでもないか?とも)w

*自分の外のもの、現象には「まあいいでしょう」
自分のコントロール内、身口意の行いには、厳しく。「本当に、そう?」
で、ありたい。
だいたい常の人、これが逆だからおかしいことになるんだよなあ。
自分には激甘で、かつ、人、世間にはひくくらい厳しいっていう、ニートのテンプレ。を見るにつけ、
どこまでも、外を向いて、人の目、世界の目、自分の位置。に敏感でないといけないな、と思わされる。
「自分が見ている世界」ばかりを見て、その中での整合性だけでは、普通は、生きられない。
けれど彼のすごい所は、本当に自分が外界をどう見るか、だけで生きてしまっているところ。
それに「合う」情報と「合わせてくれる」人間だけを選んで「生きている」ところ。
そしてそれを続けるつもりでいるところ。
確かに人間ではないですねw
今日も、いろいろなところで、怒りをかっているでしょうね。
そして、普通に生きる人間たちにまた苛立ち、「失望」し、嫉妬し、一度は授けた「免罪符」を剥奪もし。
「旅の始まり」がこれでは、他の星の方々も、暗澹とした気分で眺めているでしょうに。

*新発売 マニア向け芳香剤
ガソリンスタンドの香り
歯医者の待合室の香り
新しい畳の香り
折り紙の香り
コーヒーショップの香り
炊き立てご飯の香り
プールの更衣室の香り
焼き芋の香り

*久しぶりに本当に「記録」
最近1クール所要時間が長いんだ。短くて2時間半。長くて4時間強。
もうだいぶ消化してんじゃないの。
量はそんなに変化していないと思う。微増かな。
結構休み休み食べて(?)いるからかもしれない。
「がっ」と行けなくなってきたってことかな。衰えて来ましたなあ。(・・・)
底(野菜100~200g、味噌汁、豆腐400g)
ヨーグルト850g 砂糖40g
食パン8枚切り2斤16枚 マーガリン200g バター50g
パスタ 乾麺250g分で パスタソース150g マーガリン50g
自作のかりんとう(小麦粉250g 砂糖80g 揚げ油 大量)
米2合 ◎生卵4つ 醤油25�t かつおぶし、塩昆布、ふりかけ
◎アイスクリーム 3つ(600ml)
◎TV板チョコクッキー20枚
◎ポテトチップス 200g

◎らへんは、よく変わるけど、基本はだいたいこのくらい。
これに経口水分(・・・)が約2000mlプラスで7kgくらいか。
(-    -)
いや、減った方なんだよ。これ。頻度もそうだけど、1クールの量。
水分以外だけで平気で10kg超え、米は3合で物足りない(・・・)頃は一升炊き炊飯器購入を真剣に考えてたりしたし。小麦粉は1回で700g使って、鶏卵も1回1パック10個。砂糖1kgは3日でなくなる。揚げ油は1斗缶で購入だったしな。(・・・)

◆久しぶりに新聞のコラムから2つ。↑の『直線の時間と円環の時間』は、こちらから。
日常の世界で時間が直線的に続いていくことに我々は疑いを持たない。過去から未来への直線的な変化が進展する。これは市場参加者や経済学者が想定する「直線」としての時間のイメージだ。科学に慣れた理系の思考が典型で、現代人の頭は「時間は直線」という前提でできている。
一方、政治学の世界では必ずしも時間は直線的に進むわけではない。古代ギリシャの歴史家ポリュビオスは「政体循環論」を唱え、国家の政体は、王政、貴族政、民主政を循環的に繰り返すとした。
王政は腐敗して僭主(せんしゅ)政となり、貴族政にとってかわられる。貴族政も時間とともに寡頭政に変質し、民衆に打倒される。民主政は時間が経てば衆愚政に劣化し、人々は王の出現を待望する。こうして政体の変化は一巡し、再び次の循環が始まる。政治の世界の時間は「円環」を描くのである。
円環の時間の世界観は、直線の時間という現代の常識とは異なる。だが「世代を超えて社会や国家の制度を維持することは困難である」という歴史の事実が導き出す自然な結論でもある。今でも政治学者の感覚にはしっくりくるらしい。
諸行無常や輪廻(りんね)転生のような東洋思想とも似る。近代の歴史はたかだか200年程度。直線より円環の方が人間社会における時間の本質を突いているのかもしれない。
我々が直面する政策課題の多くは十年単位の時間軸の問題なので、「直線の時間」の枠内に収まる。しかし数百年を超える時間軸の課題は「円環の時間」で考えるべきではないか。
ひとつの例は、原子力発電の使用済み核燃料廃棄物の処分だ。核廃棄物は10万年の間、人間世界の環境から隔離して管理しなければならない。なので現代の国家システムが永久に続くかのような「直線の時間」の前提は、議論の土台にふさわしくない。
今の民主政もいずれ崩壊し、別の政体に変わるかもしれないという「円環の時間」の中で、世代を超えて課題を引き継げるのか考える必要がある。現代の技術は、政治学が想定しないほど超長期の政策課題を作り出す。それに対処するには200年前から変わらない近代の政治システムを作り替えるイノベーションが必要ではないか。

京都大学准教授 柴山桂太氏:グローバリゼーションと反動(7)特権層への怒り、ポピュリズムに勢い
反グローバリゼーションの運動は、第1期グローバリゼーションの時代には保護主義と呼ばれました。現在の第2期では、ポピュリズムがそれにあたるようです。ただし、保護主義ポピュリズムは、必ずしも重なり合いません。
保護主義はグローバリゼーションに対して「社会の保護」を求める運動です。その批判は不安定な市場経済の現実に向けられます。それに対してポピュリズムは、反対概念がエリーティズム(エリート主義)であることからも分かるようにエリートの独善や腐敗を批判の対象としています。
政治がワシントンやウォール街、あるいはEU官僚が集まるブリュッセルによって独善的に牛耳られていると感じる人々が、怒りや不満を政治にぶつけています。つまりポピュリズムは政治が特権層の意見や利害によって動かされている民主主義の現状に対抗しようとする運動なのです。
ポピュリストの主張が反グローバリゼーションに傾くのは、グローバリゼーションの推進が一部の特権層だけで決められ、その利益も独占しているとみるからです。本当は、グローバリゼーションの恩恵は安価な消費財を享受する中間層にも及んでいます。しかし、そうした主張を繰り返しても、上位1%層だけが所得や富を増やしている現実が目の前にある限り、ポピュリズムの台頭を抑えることはできないでしょう。
ブランコ・ミラノヴィッチによると、1988年から2008年までの間に所得を増やしたのは、グローバルな1%と新興国の中間層で、先進国の中下層の所得は増えていません。これは技術革新の影響もありますが、グローバリゼーションの影響を無視できません。新興国の労働者に仕事を奪われ、国内のトップ1%に意思決定を独占されていると感じる中下層の不満が、特に格差の大きい英米ポピュリズムに勢いを与えています。
ポピュリズムの潮流は英米を皮切りに他の先進国を飲み込んでいく可能性もあります。危険な政治的混乱を避けるには、国内の所得移転を進めるだけでなく、グローバリゼーションのあり方自体の見直しが必要になるかもしれません。

★Note★
★Polybius (c. 200 – c. 118 BC) was a Greek historian of the Hellenistic period noted for his work, The Histories, which covered the period of 264–146 BC in detail. The work describes the rise of the Roman Republic to the status of dominance in the ancient Mediterranean world and included his eyewitness account of the Sack of Carthage in 146 BC. Polybius is important for his analysis of the mixed constitution or the separation of powers in government, which was influential on Montesquieu's The Spirit of the Laws and the framers of the United States Constitution.
★Anacyclosis
The political doctrine of anacyclosis (or anakyklosis from Greek) is a cyclical theory of political evolution. The theory of anacyclosis is based upon the Greek typology of constitutional forms of rule by the one, the few, and the many. Anacyclosis states that three basic forms of "benign" government (monarchy, aristocracy, and democracy) are inherently weak and unstable, tending to degenerate rapidly into the three basic forms of "malignant" government (tyranny, oligarchy, and ochlocracy). Note that "ochlocracy" refers to mob rule, not the concept of democracy created in the late 18th century.
According to the doctrine, "benign" governments have the interests of all at heart, whereas "malignant" governments have the interests of a select few at heart. However, all six are considered unworkable because the first three rapidly transform into the latter three due to political corruption.

★せいたいじゅんかんろん【政体循環論
国家の政体は歴史的に循環するという理論。ギリシアの歴史家ポリュビオスが彼の著書『歴史』第6巻でローマの政体を論じたときに提起した説。すなわち一員政(君主政)の政体はやがて悪化して暴君政となり、これを是正するために貴族政が成立するが、それも少数者が権力を濫用する寡頭政に陥る。これを変革して民主政が樹立されるが、それもやがて愚論百出して収拾できない衆愚政に転落する。これを克服するためには優秀な個人の統治が要望され、こうして最初の一員政(君主政)が回復されるとともに、また同様な循環をくり返して停止するところを知らないと説く。
アリストテレスの政体論はこれ以後の政体論の範型をなすことになる。 紀元前2世紀のポリュビオスは、君主制が僭主制、貴族制、寡頭制、民主制、衆愚制を経て、再び君主制に戻るという政体循環論によってギリシアの歴史を描き、共和政ローマの安定と発展を、混合政体論によって説明した。伝統的政体論は、これ以後も、政治体制の批判または弁証の枠組みとして生きつづけるが、ローマの帝政化、キリスト教の成立、さらにゲルマン中世の発展と安定の過程で、体制構想と結びついたダイナミズムは失われていった。
君主制monarchy
●僭主制(暴君政)tyranny
○貴族制aristocracy
●寡頭制oligarchy
○民主制democracy
●衆愚制mob rule
君主制・・・・