2016.09.19.2日連続で。

*珍しく(本当に珍しく)、映画館で映画を観て来たよ。
君の名は。』と『シン・ゴジラ』。
珍しく旬な話wおすすめしてくださる人があったので、と、新聞のコラムに話題に出てて気になってたのがあって。
歩いて15分、電車で1分みたいなところに日本屈指のオシャレシネコンがあるのに
一度も行ったことがなかったんだけど、2日連続で。
Webでチケット購入出来て、機械でかんたんに発券できるのも○。
15年くらい前(・・・)は、窓口で並んだような・・・
いいね、映画館で観る。DVD借りて家で観るのとはまたちょっと違う。音も映像も。
長〜いCMからしてもう「わくわく」するし。(集中力を使いきる感じはしない)
周りの人が笑ったり驚いたりしているのもいい。
以前、こういう映画館のプロジェクターに使われる半導体(ものすごい高い。1個数百万円レベル)を扱っている会社に勤めたことがあったんだけど、
つい、そのマークがあるかないか、プロジェクターをじろじろ見てしまう怪しいワタクシ。
結構外国の人(ファミリー)も多いのね。
インドネシアから1年インターンで家族で滞在している方のことを思い出したり。
二つの映画とも、東京の、よく知ってる場所がたくさん出て来て◎。うわあリアルだなあ。綺麗だなあ。
ゴジラの方は、めちゃくちゃに破壊されるシーンは心が痛んだな。
それくらいリアルで、素晴らしかったと思う。
東日本大震災の時も、こんな感じで、所謂「役人」、背広、作業服、軍服の人達が、休みなく働いていたんだろう。
誰も視えない場所で、こうして極限の状況で判断を迫られ、歯を食いしばって「守った」ものの上に、この国は、社会は、在り。
もっと大きな眼で見れば、何百年、何千年と「守られ」続けて来たもの。結びの世界。
誰が、破壊されることなんか望むものですか。
人間は、こうして、守ってきた。守っていく。
結末が分かっていても、諦めない。「その場所を守れ」

*「自分を崇めぬ者共」を笑いながら根こそぎ破壊しようとする者が
人の皮を被り人間の言葉などで惑わすものじゃない。
何を「期待」して、もう3か月も、そうして居るのです?
期待する者には失望する義務がある?それは法則だと。
逆に、期待させながらそれを行わなかった者にもまた、その分の回収と清算とがあると。
自分はその「例外」ですか?
例外のないのは人間の定めた「規則」ですが、「法則」にも「例外」がありますか?
人間に失望したのなら、その種族と同じ姿で生きるなど。例え一日だって、耐えられないことですよね?
それなのに、なぜ?
たくさんの人が、疑問をぶつけてくるところですよ?
人が黙るのは。人が疑問を口にしなくなるのは、反論が出来なくなるからだけではない、ことくらい、まさか、分かっていますよね?
議論の土俵の上にすらない。立てていない、という可能性は考えないのですか?

*なんかバラバラした(いつもの)おすそわけ。11個。
(-    -;)

◆新聞のコラムから。千載一遇の投資機会
ソフトバンクグループは3.3兆円を投じて英半導体設計企業、アーム・ホールディングスの買収に踏み切る。巨額投資への懸念から市場の反応は否定的だが、買収で得られるものは途方もなく大きい。アームはあらゆるモノをインターネットにつなぐIoT技術の核となる半導体チップの設計で世界有数の企業であり、ソフトバンクが世界のIoT市場で主導権を握る可能性もある。
主要国では様々な分野でIoTが進んでいる。世界最大のIoT市場になると予想される中国は、米ゼネラル・エレクトリックシスコシステムズ、独シーメンスなどのIoT企業の激戦の場となっている。
IoTと共に第4次産業革命を担う人工知能(AI)では、今年3月に米グーグルのAI「アルファ碁が囲碁のプロ棋士に勝利した。プロを破るのは10年先とみられていたが、深層学習の進歩で能力は飛躍的に高まっている。AI自身が、自律的に進化を始めることもにわかに現実味を帯びてきた。
先進国で想像を超える技術革新が進む一方、日本のAI技術の遅れが懸念される。しかし提携や買収で海外の優れたAI技術を取り入れ、日本の得意とするモノづくり分野で応用すれば、問題は克服できる。実現に必要となる莫大な投資には日本企業が保有する約250兆円の現預金の活用を考えるべきだろう。
今春、政府は「官民戦略プロジェクト10」で第4次産業革命の推進を掲げた。法整備や規制改革も進み、遅れていた第4次革命は急速に進展するとみられる。AIやIoTは新しい製品、サービス、事業を創造し、組織や生産工程を最適化させ、究極の労働節約型企業を出現させる。既存の業界には異業種やネット企業からの参入が相次ぎ、競争環境は激変する。
こうした中で投資家は、米利上げ、中国経済の成長鈍化、英国の欧州連合(EU)離脱決定の三大不安要因に支配され、目前で起きている劇的変化にも関心を向ける余裕がないようだ。しかし7月の株式市場に活況をもたらした「ポケモノミクス」を前兆とみるならば、第4次革命相場の幕開けは近いと思われる。
21世紀の世界経済最大のテーマといわれる第4次革命は、千載一遇の投資機会となろう。

◆新聞のコラムから。短期志向の政治と株価
7月10日、参議院選挙が終わり、ほどなくして行われたテレビの政治討論で政治家が次のように発言していた。「今回の選挙で全国津々浦々回りますと、どこでも皆さん一様に社会保障に関心が高く、社会保障を何とかしてくれ、というお話でした。そのとおりだと思います。社会保障をしっかりしたものにしなければいけない」
こうした発言を聞いていた視聴者の多くは、もっともなことだと納得したかもしれない。しかし、政治家が本来やるべきだったのは、選挙で社会保障の給付と負担についてしっかり説明することだったはずだ。それをせずに選挙の後でこうした発言をするのは、日本の政治が今や当事者としての責任感を喪失し、ポピュリズムに堕したことを象徴するものである。
高齢化と経済の長期停滞の下で、拡大する格差に歯止めをかけるのが社会保障制度だ。これは不幸にして「弱者となった人」のためだけではなく、自らを「中流」と考える多くの人々のリスクを事前に軽減する制度でもある。こうした役割を担う社会保障制度が財政的に苦しく、このままでは持続可能でない。このことは国民も分かっている。国内総生産(GDP)の6割を占める消費が今ひとつさえないのも、「将来不安」が払拭されないからだ。
このままではいけないと与野党が党利党略を超え、社会保障制度を少しでも安定させるために消費税率10%への引き上げを決めたのが、2012年の3党合意だった。それからわずか数年後、今回の選挙では与野党そろって早々に消費増税先送りを決めてしまった。
しかし、消費税という恒久財源なくして、どのように持続可能な形で社会保障を充実するというのか。今回の経済対策では年金の納付期間短縮などが盛り込まれる。支払いは将来世代というわけだ。これは大衆迎合である。
ポピュリズムの本質は「短期志向」だが、株式市場にも伝染したようだ。完全雇用であるにもかかわらず「アベノミクス再起動」を名目に編成される経済対策では、公共事業や商品券の配布など懐かしいメニューが満載、これを歓迎して株価は大幅に上昇した。短期志向の問題は、政治でも株でも、長期的なツケが大きくなることである。

◆新聞のコラムから。落ち着こう! 日銀
日銀は9月20〜21日の金融政策決定会合で、「2%の物価安定の目標をできるだけ早期に実現する観点から」マイナス金利を含むこれまでの金融緩和政策の効果を総括的に検証する、という。
これを受けて市場では一段の緩和策に踏み込むのではないか、という観測が出てきている。はたしてその必要があるのだろうか。
まず、「消費者物価の前年比上昇率2%の早期実現」という政策目標が現状で合理性を持っているのか。大いに疑問だ。
デフレの問題点は、価格低下、生産減、賃金(所得)減、需要減、価格低下と負の連鎖が続き、国民の将来への期待もしぼんでしまうことだろう。いわゆる「デフレマインド」の醸成だ。
消費者からすると先行きモノの値段が下がるとみれば買い控えようとする、ということなのだが、現状はどうか。各種調査を点検するとどうも様子が違う。
日銀の「生活意識に関する調査」は、継続的に1年後と5年後の物価に対する見方を聞いている。最新の6月の調査では、「1年後に物価が上がる」とみている人が全体の72%、5年後については83%にのぼる。2012年12月時点では、「1年後に上がる」は53%だった。国民の物価の見方は様変わりしたのだ。
また5年に1度実施される統計数理研究所「日本人の国民性調査」によると、将来の見通しについて「人々は幸福になる」と見る人が、直近の13年では1998年以降で初めて「不幸になる」を上回った。
とくに20歳代でその差が大きかった。しかも、「自分は幸福」という人が、94%と高度成長期初期の1958年の81%をも上回っているのである。
つい先日掲載された本紙の世論調査では、内閣支持率が60%を超えた。物価についても60%の人が「これから上がると思う」と答えている。物価はたしかに上がっていないが、デフレマインドがまん延して社会が暗くなっている、という状況ではないのである。
日銀は「目標」が達成できないからといってあわてるべきではない。金融政策は日本経済の生産性を引き上げ成長力を強化する、という視点で取り組むべきだ。もちろん政府も同じだ。

◆新聞のコラムから。
社債利回りは本来、国債の水準に企業の信用力に応じた上乗せ金利で決まる。格付けが低ければ高い利回りが求められる。ところが20年債の発行条件を見ると、信用力による「序列が崩れかけているのだ。
7月8日に発行条件を決めた日本通運の20年債はその典型だ。豊田通商債よりも格付けが高いにもかかわらず、利回りは年0.7%で横並び。0.6%台での発行も考えられたが、同時期に起債を準備していた第一三共が、0.8%台と格付けの割に「高い利回りで投資家をひき付けたため、上に引きずられたようだ。ある証券会社の社債担当者は「今はほぼ需給だけで利回りが決まる」と明かす。
問題は投資家が運用リスクを理解した上で、超長期の社債を購入しているかどうかだ。
償還までの期間が長くなるほど、金利変動リスクも大きくなる。金利上昇が社債価格に与える影響を計算すると、年0.8%の利息がもらえる20年債の場合、金利1%の上昇で単価は約2割も下がる可能性がある。国債金利が上昇したり、業績悪化で企業の信用力が低下したりすると、利息で補えないほど、社債の評価額が下落しかねない。
国内債券で1%近い利回りを確保しようとすれば、超長期の社債を運用の選択肢から外せない。ただ背負うリスクの大きさに目をつぶったまま、一部の投資家が殺到しているとすれば、将来に禍根を残すことになる。

◆新聞のコラムから。英離脱というチャンス
欧州統合は平和のために参加国が足並みそろえる試みだ。命のためにカネ、自由、感情、と異なるレイヤーのいくつかで参加国民が窮屈さを我慢しあう枠組みといったら捨象しすぎか。
欧州外交を設計した英外交官のロバート・クーパー氏はかつて『国家の崩壊』で、排他的アイデンティティーから解放され自分を広く再定義しようと説いたが、英国は最初から統合の大目的よりは経済メリットをつまみ食いする姿勢が勝り欧州連合(EU)離脱決定に至った。
偏狭なポピュリズムの暴走による自傷行為のように言われ市場にショックを与えたが、一月が過ぎてみると、実は離脱こそが自然な流れだったという英内外の論調に耳を傾けたくなる。
自然な流れ、とは突き詰めると何だろうか。一つは金融資本グローバリズムの行き過ぎにより「配分」に対する不満が臨界点に達したことだろう。もう一つはEUの枠組みでは経済成長の糧であるイノベーションが起こらず、その果実も期待できないという焦りか。
離脱賛成の英資産運用業トップの発言は注目された。「イノベーションがないと世界との競争に勝てないが、EUが技術革新を生む枠組みか疑わしい。若年層の高い失業率など加盟国にダメージを与えたEUはむしろ欧州の足かせ、ここにとどまっていてはらちが明かない」と述べている。
サセックス大のマリアナ・マッツカート教授は著書などでグローバル資本とイノベーションとの関係について述べている。世界的ネット企業の技術革新は国家による技術開発が基になっており、納税者はリスクだけ負担し恩恵にあずかっていないというのだ。こうした企業は株主配分の最大化に熱中する半面、恩恵を税金で還流させていない。
根底にこのような不満を抱えた社会が様々な行動で主張し始めた英米は、一足先に国や経済のあり方を考えるチャンスを持てたのかもしれない。
英国は離脱決定を機にやすやすと通貨安を得たし、士業などにちゃっかり特需ももたらしているという。市場もわずかに揺れた程度。遠い日本のほうが激震に見舞われた意味は何だろう。茶葉と離脱をかけて「英国民はleave好き」と余裕たっぷりなつぶやきもネットでは登場していた。

◆新聞のコラムから。「成長の天井」突き破る構造改革
10日投開票した参院選挙は、自民、公明両党と改憲勢力を合わせた議席数が3分の2を超え、安倍晋三首相は衆参両院で改憲発議の環境を手に入れたことになる。
だが待ってほしい。憲法改正論議の重要性を否定するものではないが、首相には何よりも優先して取り組んでほしい課題がある。この国の将来に希望が持てる構造改革を実現することである。
秋の経済対策が試金石
1つ目は「成長の天井」を突き破ることだ。全都道府県で有効求人倍率が1を上回ったことは、選挙期間中に与党がアベノミクスの成果として強調した点だ。しかし求人がそこまで増え、失業率が3%台そこそこに下がったのに、ゼロ%近傍の経済成長しかできないのが、いまの日本の実力だ。
成長率が上がらないと、税収が低迷して社会保障制度を保てなくなる。将来世代を「惨めな未来」から解き放つことは、政治の責任だ。秋にかけて編成する経済対策が試金石になる。
首相が11日の記者会見で、経済対策のキーワードを「未来への投資と説明したのは正しい方向だ。ばらまきでは短期的に景気悪化を防げても、需要の先食いだったり、財政悪化のツケが回ったりして、中長期的には消費意欲をそぎかねない。財政投融資の活用も含めて、お金の投資効率を検討し、使い方を工夫してほしい。
消費税増税を2019年10月に延期したことで、政権には3年あまりの猶予がある。この間に、例えば働き方も含めて労働市場改革で成果を上げるべきだ。女性の働きやすさの実現は国がお金をかけるべき分野だ。それ以外にも解雇ルールの明確化、外国人高度人材の就労緩和などが欠かせない。
環太平洋経済連携協定(TPP)の批准は喫緊の課題だし、すべてがインターネットにつながる時代に「ものづくりの付加価値」をどう向上させるかも重要だ。
構造改革の2つ目は年金、医療、介護という社会保障をばらばらでなく、財政と一体的に改革することだ。消費税増税に反対の大合唱が起きるのと対照的に、社会保険料の負担増は制度ごとの対応になり、批判が高まりにくい。
高齢者の利益が政治に反映されやすい「シルバー民主主義」の影響で、与野党とも歳出抑制に腰が引けている。今でも健康保険料の引き上げなどで可処分所得が増えず、消費を抑える傾向が現役世代にみてとれる。25年以降は団塊世代がすべて75歳以上の後期高齢者となり、負担は格段に重くなる。
大切なのは現役世代から高齢者への所得移転を抑えること、高齢者の間で富める人たちから困窮する人たちへの所得移転を進めることだ。そのためにはマイナンバー制度を拡充して所得や資産を把握する仕組みがいる。これらも将来の不確実性を消すという意味で、立派な「未来への投資」だ。
3つ目は少子化に歯止めをかける政策を総動員することだ。保育所を増やして待機児童を減らすのはもちろん、残業時間を減らして子育ての時間を確保する。同一労働同一賃金最低賃金の引き上げは、経済的な理由で出産をためらうカップルを後押しするだろう。
アベノミクスの金看板である「異次元緩和」には限界が見え始めている。成長の底上げ、税と社会保障の一体改革、少子化対策。3つの構造改革アベノミクスの新たな主役にできれば、金融政策は脇役に退くことができる。
金融政策は脇役に退く
6月下旬から円高・株安が進んでいる。円売り介入を求める声があるが、通貨安競争への懸念があり、海外の理解を得るのは難しい。上場企業には円ベースの利益が目減りするところが多く、17年3月期が減益になる可能性がある。
市場が大混乱するような緊急時には日銀の応急策も必要になる。企業向けのマイナス金利の貸し出し実現やETF(上場投資信託)買い増しなどだ。ただ同時に「構造改革で日本が成長を取り戻す」という政府の弁が行動を伴っていることが何よりも重要だろう。
円高による輸入コスト低下は非製造業を中心に収益を底上げする。上場企業が業績拡大で積み上げてきた現預金を活用して自社株買いを加速し、投資も増やせば、円高・株安の連鎖も和らぐ。企業の自助努力を促すのは、政府の思い切った姿勢である。
『国家は破綻する』の著者で経済学者のケネス・ロゴフ氏は、最近の新聞投稿で日本経済を「(貧血症のような)無気力(anaemic)」と評した。安倍首相はその指導力で、日本経済の面目躍如を実現してほしい。

◆新聞のコラムから。財政法5条の精神尊重を
三菱東京UFJ銀行が、国債入札の特別資格を返上するという。これは何を意味するのか。
長期不況の中で政府は財政赤字を続け、巨額の国債を積み上げてきた。それでも市場が国債の価値を信じていれば、市中で売ることができるため、政府は資金調達が可能で財政支出を続けられる。だが国債の信用が落ちて市中で消化ができなくなれば、価格も需要量も下がって財政資金が調達できない。つまり、経済的な側面から政府財政の限界を決めることになる。
しかし、日本銀行が引き受ければ政府は際限なく借金を積み上げられ、財政支出に制限がなくなる。これを防ぎ、財政規律を保つために、財政法第5条「国債の市中消化の原則」があり、日銀が直接国債を引き受けることを禁じている。
なぜ財政規律が必要なのか。理由は政府が日本の生産力を政府の目的に回しすぎて、民間の使える分を減らしてしまうクラウディング・アウトとなるからだ。
民間の製品は市場取引で常に良しあしを判断される。しかし政府の支出はその洗礼を受けない。それを抑制できるのは選挙だが、市場で日々戦っている民間製品とは頻度が違う。第5条はそこに市場の評価を導入して歯止めをかける。
ところが、需要不足で生産力が余っている現状ではクラウディング・アウトは起こらず、逆に景気を下支えする。そこで問題になるのは国債の信用である。
市中消化の原則が堅持されている限り、信用不安を起こすほど国債を増発できないが、日銀が無条件に引き受ければ、市場の評価なしに積み上げられる。それが巨額になった段階で信用を失えば、深刻な金融危機が起こる。
現状はどうか。新規国債は市中で消化されている。しかし、国債を積み増しているのは日銀だけで、民間金融機関の保有残高は減り続けている。民間金融機関は、日銀が買ってくれると思うから、短期的に引き受けているにすぎない。
つまり現在の国債価格は官製価格であり、第5条は実質的に機能していない。
今回の三菱UFJの行動は、このような市中消化の形式的な維持すら、限界に来つつあることを示唆している。第5条の本来の精神に戻り、これ以上の国債発行と日銀の引き受けを止めるべきだ。

◆荒井桂さん(郷学研修所所長):
『酔古堂剣掃』には、人生の範となる名言が数多くあります。
君子に三惜(さんせき)あり。
この生、学ばず、一惜しむべし。
この日、間過、二惜しむべし、
この身一敗、三惜しむべし。
安岡正篤先生はこのように解説されています。
「君子に三つの惜しいことがある。ここに生まれ生きていながら勉強しない。学ばないことは一つの惜しむべきことだ。
第二に惜しむべきは、またと帰らぬこの日を無駄に過ごす。これくらい惜しいことはない。
第三はこの身一敗、せっかくこの身を与えられても大切にしないで、失敗に持っていく、これまた惜しむべきことです」

大丈夫世に処するや、生きては当(まさ)に侯に封ぜられるべく、死しては当に廟食(びょうしょく)すべし。然(しか)らずんば間居、以て志を養うべし。詩書以て自ら娯(たの)しむに足る。
「男と生まれた以上、大名に封ぜられ、死んでは神として奉られよ」
前半のこの部分だけを読むと随分、通俗的な喜びを述べているものだ、と思ってしまいますが、後半部分は
「そうでない場合は静かに籠もって志を養え。そのために『詩経』『書経』を読んで自ら楽しんで暮らせ。それで十分である」
と修養の大切さを説いています。

病中の趣味、嘗(な)めざるべからず。窮途(きゅうと)の景界、歴(へ)ざるべからず。
病気をしている時の趣、味わいは経験しないといけない。行き詰まって窮地に陥る経験も歴ておくべきだ、と説いた寸言です。

タニン・チャラワノン 謝国民氏(タイCPグループ総帥)7月の「私の履歴書」から。
2人の兄のもとで働きながら、ちょっとした小遣い稼ぎもした。次兄のモントリは豚を香港に売る事業に手を広げていたが、私が手伝うことになった。タイから生きたまま豚を香港に輸出する仕事だ。輸送船に一度に2、3千頭の豚を載せていたのだが、扱いは荒っぽかった。豚を狭いところに詰め込み、ヤシの葉の屋根で雨風を防ぐというやり方だった。香港に到着するまでにずいぶんと豚が死んだ。豚の死を1頭抑えるごとに100バーツの報償を与えると兄から言われた。10頭死なさずに運んだら千バーツになる。300バーツもあれば香港の一流レストランで豪華な食事をしても使い切れなかった。
豚が死ぬのは船が大きく揺れるのが原因ではないかと私はにらんだ。輸送船の船首は波や風を受け、豚が傷つきやすかった。私は波止場の船積み労働者の親分に申し出た。「1頭死なさずに済んだら20バーツ出す」。親分は喜んで豚を船央、あるいは船尾に積むように仕切ってくれた。
労働者らにも30バーツを与えると約束した。それでも私には50バーツが残る。風向きが関係するのか、5〜9月は船央、11〜2月は船尾に積むのがよかった。積む場所を変えるだけで死ぬ率は下がった。私は輸送管理の重要性を実践から学んだ。同時に利益を折半することで人が動くという経営感覚を身につけた。
1950年代末、タイ政府は鶏、アヒルなどの家禽(かきん)類の卵の輸出を管理するため、協同組合の設立に動いた。実家の企業で2年ほど働いた私は、タイ政府傘下の協同組合の幹部として働きたいと申し出た。
それまで業者が自由にシンガポールやマレーシア、香港、マカオに輸出していたのだが、これを政府傘下の協同組合に独占させた。業者は競争がなくなり、価格が一定になるメリットがあった。政府も組合から一定の税収入を得られた。
私は組合で働き始め、輸出部門を担当した。政府からは組合の理事長にあたる人物が送り込まれた。フランスで法学博士を取ったチャムナン・ユバブーンという人だった。内務省の行政局長という高位にあった。博士は重要な仕事を私に任せた。「あなたは見込みがある。どんどんやりなさい」
やがて20歳そこそこの若者がバンコク中の鶏、アヒル、ガチョウの食肉処理を一手に管轄するまでになった。博士のもとで私は組織の動かし方を学んだ。どう人を導き、どう組織をまとめ、どう会議を開くのか。役員会に報告する仕事もさせられた。
20歳の若さで秘書までついた。秘書は私の手伝いをするために政府から派遣されてきた役人だった。私は1銭足りとも汚職をせず、法律に触れることはしなかった。そのうち組合員らも若造の私に一目置くようになった。
そのころ、タイの家禽業者は大きな課題に直面していた。家禽の羽毛を取り除き、食肉にするまでの加工処理を人間の手作業に頼っていたが、1日に10万羽を超える大量の家禽を手作業ではさばき切れなくなりつつあった。時間がかかり、人件費もかさむ。コストを下げるためには機械による自動処理の実現が急務になっていた。

大村智さん。8月のある日の「私の履歴書」から。
横山先生については、こんな話を聞いたことがある。新潟県のチームは長距離で、常に優勝している北海道のチームになかなか、かなわなかった。北海道に行っていろいろ教えてもらうのだが、やはり勝てなかったという。
それで、先生はあるとき「北海道のやり方をまねするのはもうやめよう」と言って、独自の練習法に切り替えた。自分たちで話し合い、工夫することを繰り返すうちに勝てるようになった。
これは、研究にも通じることだ。まず、若い連中の力をつけさせるには、レベルの高い人たちのなかに入れないと駄目だ。そして、絶対にまねごとだけではいけない。独自の方法を取り入れて初めて相手を超えられる。
だから私の研究室では私のコピー人間はつくらない。研究環境とある程度のお金を用意して、あとは自分たちでやってもらうことにしている。

◆川瀬賢太郎さん。(かわせ・けんたろう=神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者)
オーケストラを指揮していると、会場の雰囲気次第で音楽が変わることを強く実感する。そのことを身をもって教えてくれたのが、ジャズピアニストの小曽根真さんだ。
初めての出会いは、僕が指揮者デビューして2年目の2008年、札幌で開かれた音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」。クラシック分野でも活躍する小曽根さんは尾高忠明さんの指揮で音楽祭の創設者であるバーンスタインの「交響曲第2番『不安の時代』」を演奏したのだが、何と曲の途中、客席で携帯電話の着メロが鳴ってしまった。
着メロはなかなか止まらず、客席の雰囲気は険悪に。そんな時、小曽根さんはカデンツァ(独奏部分)の冒頭、着メロを引用したフレーズを弾いたのだ。会場の雰囲気は一気に和み、演奏は大成功。アシスタント・コンダクターとして音楽祭に参加した僕は、アクシデントをプラスに変える機転と器量に感服した。
それ以来小曽根さんとの交流が始まり、今では「マコト兄やん」と呼ばせていただき、食事などもご一緒する。昨年名古屋フィルハーモニー交響楽団の公演で初共演できたのは感慨深かった。いつかあの「不安の時代」で兄やんと共演する。それが僕の夢だ。