記録 2016.09.10.ちょっとだけ。

*(-    -)←日中ずっとこんな感じで「でろーん」
頭が重い。身体も重い。平日の1割も動かない。動けない。
お布団と行ったり来たり。ごろごろ。
誰かに呼ばれてどこかへお出かけ、何かを見たくて、買いたくて、車に乗って、電車に乗って・・・なんて考えられないでござる。
「普通の人」はすごいよなあ。mjd.
まあ外に出れば、「うわあ気持ちいい!」「キレイ!」「楽しい!」とは感じるけど。
うーん。

**日経新聞は論説主幹の芹川洋一氏で2つ。
◆象徴天皇支える知恵を
日本社会では、しばしば建前と本音の巧みな使い分けが求められる。建前の世界に本音を持ち込むのはご法度だ。そこは、あうんの呼吸である。それとはなく本音をわからせ、建前の世界を動かしていく。天皇陛下の「生前退位の問題にもそんなところがあるような気がしてならない。
天皇の政治的な言動を禁じるのが憲法の定めだ。国のあり方にかかわることを改めたいという天皇の意向がオープンになり、政府が動いては違憲の疑いが出てくる。しかし人間天皇には当然、お気持ちがある。
戦後日本を考えたとき、象徴天皇制が社会の安定に役立ってきたのは疑問の余地がない。天皇陛下の果たされてきた役割は大きい。
それだけに退位という問題をどんなふうに受けとめたらいいのか。昭和天皇にも戦争責任とからみ、退位論があったのは事実だ。
ここは建前と本音の間にどう橋をかけていくのか、政治の難題である。
サンフランシスコ平和条約が発効、占領がおわり日本が主権を回復するのは1952年4月28日。
その4カ月ほど前の1月31日の衆院予算委員会。若き日の中曽根康弘氏が吉田茂首相に問いただした。
中曽根氏「もし天皇が御自らの御意思で御退位あそばされるならその機会は最近においては第一に新憲法制定のとき、第二に平和条約批准のとき、第三には最後の機会として平和条約発効の日が最も適当であると思われるのであります。天皇がもしその御意思ありとすればこの御苦悩をお取り払い申し上げることも必要かと存ずるのであります」
首相「陛下が御退位というようなことがあれば、これは国の安定を害することであります。これを希望するがごとき者は、私は非国民と思うのであります」
同5月3日、昭和天皇皇居前広場で開いた独立祝賀と憲法施行5周年を記念した式典の「お言葉」で退位を否定、この問題に終止符が打たれた。
中曽根氏はその後「あのとき退位せず、我慢されたことはひじょうによかったと、あとになって思いましたね。天皇退位に関する質問は、あとで反省し、昭和天皇に首相としてお仕えしてみて、懺悔(ざんげ)の気持ちが起こりましたことを告白しますよ」(『天地有情』)と語っている。
敗戦直後、昭和天皇が退位に言及していたことは側近の証言から明らかになっている。内大臣だった木戸幸一の日記に次のようなくだりがある。
「戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて退位でもして納める訳には行かないだらうかとの思召あり(45年8月29日)
しかし思いは果たせなかった。GHQ(連合国軍総司令部)は天皇制を維持するのが占領政策をすすめるうえからも得策と判断した。東西冷戦もはじまった。吉田首相にしても、とてもそんな状況ではなかった。
平成になって出てきたのは将来にわたる天皇制維持のテーマだ。宮内庁のそこはかとない思いをふまえ2つの内閣が動いた。
2005年、有識者懇談会をつくり皇室典範の改正に向けた検討を進めたのが小泉内閣である。当時の政府関係者によると、小泉純一郎首相はそもそもこの問題に強い関心を抱いていたわけではなく「どうしてもやらなければならないのかと事務当局に念を押し、宮内庁の意向を再確認して作業をはじめたという。
同11月の有識者会議の報告は女性天皇だけでなく、女性天皇や母方が天皇の血筋を引く「女系天皇」も認め「男系男子」の流れを変える内容だった。伝統派の安倍晋三官房長官が国会答弁の責任者にならざるを得ないというので、絶句したという話も伝わっている。
反対論が出て波紋が広がりつつある中、秋篠宮妃のご懐妊で議論は終わった。
つづいて女性皇族が当主となる女性宮家の創設を検討したのが野田内閣だ。中枢にいた政府筋は「官邸から持ち出したものではなく、宮内庁側の意向をそんたくして有識者ヒアリングなどを進めた」と語る。
きっかけは内閣が発足して間もない11年10月5日。羽毛田信吾宮内庁長官から野田佳彦首相への説明だった。野党の安倍氏女性宮家創設に反対の意向を表明(同12月9日付本紙朝刊)。政府は翌12年10月、論点整理を発表するが、自民党が政権に復帰、安倍内閣の発足で立ち消えになった。
そして今回である。関係者の話を総合すると、生前退位の話は1年ぐらい前から首相官邸に伝わっていたようだ。摂政を置くのでは無理かどうか、宮内庁側と何度かやりとりがあったらしい。女性宮家の創設も検討課題に上りつつあった。
ついにしびれを切らしたということか。生前退位天皇の意向が表に出た。しかしそれは、やはり正常な姿ではない。
論点は次の三つだろう。
生前退位への世論の支持は高く、高齢化時代に対応した天皇制のあり方を議論する必要がある。
皇室典範の改正を論議しはじめると、女系天皇などを蒸し返し、収拾がつかなくなるおそれがある。
☆一代限りの特例として、退位だけを認めることはできないのかどうか。
建前と本音が交錯する世界こそ、政治の知恵の出しどころである。

改憲の季節がやってくる 形式より実質で議論を
憲法改正の季節がいよいよ訪れそうである。
条文の解釈だけでは現実は見えない。秋の臨時国会を見守る必要がある。
衆院ではすでに与党だけで改憲を発議できる3分の2の勢力を確保しているが、参院でも7月の選挙の結果、改憲勢力が3分の2に達したためだ。安倍晋三首相は2018年9月までの自民党総裁任期中に改憲をめざす意向を表明している。
秋の臨時国会憲法審査会の議論がはじまる。改憲のためには具体案を審査会で示し、衆参両院の本会議で総議員の3分の2の賛成で議決、国民投票過半数を確保する必要がある。
一気に改憲に突きすすむ事態は考えにくい。どの項目から入っていくかなど改憲側のすりあわせはこれからで、野党との調整もある。焦点の9条改正は慎重論が根強いため、いきなり俎上(そじょう)に上る可能性はまずない。
そこで必要なのは単なる政治論争ではなく、憲法秩序や憲法改正とは、いったい何なのかという、そもそも論を考えることだ。
●立法で憲法改革
それに有益なのが駒村圭吾、待鳥聡史編『「憲法改正」の比較政治学』(弘文堂・16年)である。英国、米国、フランス、ドイツなど各国の憲法改正憲法変動などについて、憲法学だけでなく政治学などの研究者が共同で筆をとっている。
それぞれの国で改憲の要件が異なり国情も違うので、憲法問題は政治的な背景を含めて個別にみていくしかない。その意味で格好の参考書になっている。
憲法学の世界では憲法典の修正だけが憲法改正なのだろう。しかし現実政治をみると憲法典は改正されていなくても政治制度が大きく変わり、実質的な意味での憲法改正といえる例がある。
日本の1990年代半ばから2000年代初頭がまさにそうだ。小選挙区制、省庁再編、裁判制度改革などを思いおこせばいい。とくに政治の世界は、リーダーのあり方、政策決定の進め方、自民党の派閥のすがたなど、それ以前と以後とでは様変わりである。体制の変革といっておかしくない。憲法の条文を解釈しているだけでは現実は見えてこない。
そうした視点から問題提起しているのが大石眞著『憲法秩序への展望』(有斐閣・08年)である。
憲法体制や憲法秩序を改める必要が出たときの対応として、憲法典自体を明示的に改める憲法改正と、憲法付属法を改める憲法改革の2つの方法があるとして、改憲と並んで憲法改革の大事さを指摘する。
ここらは憲法審査会での議論の際も忘れてはならない点だ。改憲とは国のかたちを変えること。形式論にとらわれず、明文改憲と立法改革をセットにした考え方がぜひとも必要だ。
改憲論議のからみでは、集団的自衛権の行使容認をめぐる論争がなお続いている。
●尾引く違憲論争
違憲と断じた長谷部恭男・早大教授ら憲法学者の解釈に対し、最高裁判事もつとめた藤田宙靖・東北大名誉教授が「自治研究(16年2月号)で「政府が従来の憲法解釈を変更するのは立憲主義に反するという理屈は、それだけでは余りに粗雑などと指摘。
井上達夫著『憲法の涙』(毎日新聞出版・16年)は自衛隊の存在を認める「修正主義的護憲派安倍内閣解釈改憲を非難するのはおかしい」と批判する。
長谷部著『憲法の理性(増補新装版)』(東京大学出版会・16年)は「最高裁が9条について機能する解釈を示す役割を放棄してきたこともあり、内閣法制局による有権解釈は『機能する憲法』の重要な要素であった。十分な理由がない限り、変更すべきではない」と反論する。
改憲論議の中心が9条であるのは間違いない。政治論として重要であるのも論をまたない。しかし憲法は9条だけではない。
松井茂記編著『スターバックスでラテを飲みながら憲法を考える』(有斐閣・16年)は、55年生まれを中心に同世代の11人の憲法学者がそれぞれ、尊厳死の権利、表現の自由、国会議員の地位、現代の行政権などについて問題提起する。憲法にからめて考えなければならないテーマがいっぱいあることが分かる。
国会の憲法審査会での議論がどこまで進み、改憲の具体的日程がどうなるかはまだ見通せない。憲法は政治家や憲法学者だけのものではない。ここはちょっぴり立ち止まって、われわれ自身、憲法について考えてみたいものだ。