記録 2016.06.18.-2

【まだまだ続く電波〜ごめんなさい。あんまり深く追及しないが吉っす。】

*私なんかはね。私一人は、どうなってもかまわない。
けれど、今の私を生んでくれた、みんなは。この世界は。この星は。
「この人たち」が。
今私の見ている「美しい」景色が。
「終わる」世界が来る。
いいえ、本来は、とっくに、自滅していた。
今の私がこの形に集まる前に、もう無かったはずの世界かもしれない。
でも、だから、同じ?
どっちでも、同じ・・・?
私の所為?私の「努力」「忍耐」が足らない所為?

***の「気に入らぬ」私の。
目の前にいる、目の前に居なくとも。
自分の拵えたものの思考・感情など全て把握出来るのではなかったのか。
なるほど瞑目し「ぶつぶつ」と何かつぶやけば、誰しも「それ」風には視える。
如何に「適当なこと言ってるなー」
「いい加減なことを言うなよ」
と感じられようと何も言わなければ、笑って同調すれば、
それは、普通の人間には、伝わらない。
「普通の人間」かもしれないよ?
いや、正直「普通の人間」未満だよ、これ、でも。
Written thingsでさえ
別の見方をすれば、この、調べものの楽になった時代、小中学生にだって書けるものかもしれない。
「識者」からしてみると、どんな風に感じられるのだ?
私は、せいぜい、日本の社会人の「基本の基本」の新聞・雑誌・ネット上の意見レベルの知識しかないから、判断が難しい。
誰か、何処かには、ばらばらに分解して冷徹に、第三者の目で検証している人、機関はないだろうか。
「翻訳」されることを考えて書かねばならぬ・・・
「翻訳」してまで研究している海外の研究者は、ないだろうか。
もう5年近くにもなるし、この量だけれど・・・どこかに。

何も分からないまま。はっきりさせないまま。いや、出来ないまま。
所詮は依存症の一症状か・・・
何か、「真実そうなもの」に縋りたい。
自分の頭で、「一応は納得できる」ものを「信じ」ていたい・・・
この私一個人の足下を振り返るだけでも
宗教なんか、無くなるわけがなくて。
何千年もの過ちが断ち切られるわけもなくて。

もっと進化の進んだ生命からしてみたら
「こんなこと」をいくつも乗り越えて来た「文明」からしてみたら
今のこの星の人類など、暗愚で、なんて哀れに映るだろうか?
いつか話したいね。
この手、この目、この耳で感じられる存在ではなくても
いつか、「話せる」時が来るのだろうか。
とっくに、もう、何か受け取っている人は受け取っているのだろうか。
人じゃない存在にでも、彼らは、話しかけているのだろうか。

「私のせい」
でも、「みんな」は。
いったい何度目だよ・・・なんて。