記録 2015.06.08.しとしと。

*あ 今日はジェーンちゃんと我が最愛の母君の誕生日だ。
Happy birthday***

*朝つけてたニュースによれば、
あじさい寺(鎌倉、明月院)のあじさいが見ごろだそう。
さだまさしさんの「縁切寺
「今日鎌倉に行ってきました あなたと初めて歩いた街へ♪」
って口ずさんでしまいますね。
さだまさし節全開のじめじめで好みが別れるところでしょうが、私は、好きかな。
日本ラブな外国人に、「美しい日本語を聴きたいならおススメ!さだまさしさん」って言っちゃうよ☆

すっごい愛されること。が、あっても、愛されていることが分かれば分かるほどに私は、
その人の好みに合わせた「ロボット」になるしかなくて。
苦しくて苦しくてたまらない。想い出しかない。持っても、2年。
笑えない。怒れない。自分の考え。感情が持てない。
女っていうよりかは人間か?っていう。
嫌われたくないから。必要とされ続けたいから。
母との関係を踏襲して、「そう」しか、できない、どうしても「そう」なる・・・
「始め」もっと「人間」に近かったとしても、どんどん「機械化」して、私の方でだけ苦痛が増大・・・
(しかもそれも感じられていず、「奇行」が激しくなる一方・・・)
「病気」のせいなのだから、仕方なかった・・・と今では思う、それでも、
恋愛・同棲・結婚、のまねごとみたいなことも散々したし、
(懲りない。っつーか「来るもの拒めない」機械ですからw。
 ほんと***やってろよ一生天職。ってか。w)
テンプレを「消費」しつくした、って感じだし、
共同生活だって、男と、女と、いろいろな年代の大勢と、いろいろなパターン経験したし、
「もういいです」みたいな、すでに「余生」のような気分になってしまっているワタクシ。
「もう、いやです。ひとりにしてください」みたいな。
同じくらいの年代の女なら、だいたい、結婚して、小さな子供がいて、みたいな感じなのにね。
その形だけを、頑張って真似したところで、「相手」が気の毒だ。本当に気の毒だ。と思ってしまう。
ぐるぐる。

「いいなあ」「よかったね!」って思うことは、たくさん、あるけれどね。
「うわあ奥さんのことすっごい好きなんだなあ」とか
「娘さんが可愛くてしょうがないんだなあ」とか・・・
私には?ちょっとね。記憶。いろいろ。ぐずぐず。

過食のもとになっている「病気」が、私から、
私を好きになってくれた人から、私に関わった人達から、奪っていったもの、量り難し。
過食による肉体的物理的金銭的時間的な損失よりも、
そういう「損失」の方が重大で、年、少ないうちの回復が望まれるなあと思う。・・・

*「感じる」がめんどい。感じ。が、たくさんあったかなあ。
鬱っぽかったのかもしれない。

「やだやだ」って「感じ」を負いながら、「やる」のが一番尊いんですよ。って思う。
「やだ」から「やらない」「やりたくない」では進めない。
「やだ」って感じられることはいいことだし、健康的なことだからそれはそれでよいのだけど、
もったいないですよね。

■「やだやだ」って思いながらでも続けるうちに、ちょいちょい、
■楽しい!苦しいけど、悪くない!っていう瞬間が、増えてくるはずだから。
■でも、多くの人は、そこまで続けない。
■「楽しい」が「苦しい」に変わりはじめた頃に、やめちゃう。
■もったいないですね。もう少し続けていると、
■「苦しいけど、楽しい」って感じられる瞬間も増えてくるのですが。
■続けられるっていうことも、才能、実力の一つなんですよ。

子供の習い事だか、大人の趣味だかの話だったと思うけど、↑みたいな言葉を読んだことがある。
「やだやだ」とも感じられなくなったら、「休みなさいッ」なんだよ。多分ね。

*モングラン かわいい。お菓子みたいな。
そうそう、みみずは土の中で働きものなんですよね。