記録 2015.05.20.仮眠後。

*「今日」は定時に!あがれて、でも、ふらっふらで、
電車でも立ったままぐ〜ぐ〜寝てしまって、
どこか寄って帰ろうとか、家帰って何して遊ぼうどころじゃなくて、
お風呂の準備は始めたのに、途中でどーにも「ぐらぐら」になって、
お布団にもぐりこんでしまった。ぺっちゃんこだ。
「??!」と飛び起きると午後11時過ぎ。
やっぱり夢でも「分からないx2(-    -)」「計算が合わない」「は?」と苦しんでたw
まあ、あまりぐずぐず起きていないで、あっさり化粧も何も落とさずにでも
仮眠出来たので普通の人っぽくて◎だったかな?ということにしておく。

*本当それ。戦い。自分との戦い。
*怒られたくない
*詰問調で追及されたくない
*(出来ればもっと)褒められたい 
*(かつ)出来るだけ楽したい
*「これはどうしてなのか」
*「この向こうではどうなっているのか」
*「本当にこの『推理』『計算結果』は妥当か?」疑問。
 に思うようなことは、いつだって、急いでいるんだから、避けて通りたい
*(それでいて)必要とされたい
・・・書いてて「ぷっ」って感じww
*私にお仕事を教えて下される方は、「本当もうこの人一人でいいんじゃないかな」ってくらいのチート。
入って来て数か月みたいな私一人今この瞬間から居なくなったとしたって全然痛くもかゆくもない。
日々、刻々、
何人分のメールを見て、
何人分の会話を聴いて、
何人分の仕事をして、
(でも、「私もう帰るからねっ」て一番早くにさっと帰るし、
 お昼も規定通りにきっちり取ってる。かっこよすぎる・・・ 
 ・・・お昼どころかトイレにも行けないワタクシ
 (-    -)ダセェ)
何年分のこの会社のいろんな部署での「経験」「知識」を蓄積してるんだ?!
っていう・・・いつかぎゃふんと言わせてやるぜ!なんて当初ギラギラしてたんだけど、
逆にぎゃふんと言わされまくって、今や完全に「わたくしの心得違いでございました」(土下座)なキモチ。
教育するのが下手?どころか、昨今の日本が失いつつある財産なのではないですか?とまで思い始めてる。
即ち鬼教官。鬼コーチ。
子供や後輩、トレーニー(やその父兄)に憎まれたくなくて、
「ためにならない」「本当は良くない」と分かっていてまで
「厳しく」は出来ない、出来れば、「褒めて伸ばす」式でやりたい・・・
トレーナーばかり(少なくとも私の場合、大人になってからはこっちの方が断然多いと思う)の中、
「周りがトレーニーの心身の状態を心配するほど厳しく教育」出来る人って本当に稀有なのではないかな。
少なくとも、私には真似できない。と思ってる。
と言って「放置」ではなく・・・自分の仕事をされながらでも
ずっと、私の頭の中、手の動きをずっと見て、ケアしてくれてる。
あんまり追いつめられないように、破綻しないように、
絶妙のタイミングで「何を悩んでいるんですか?」「どうなってます?」
しかもそんなふうに「教育」「ケア」「アシスト」してるのは私だけじゃない。
(実は私の50倍くらい毎日怒られている人がある・・・
 ・・・自分が怒られてるんじゃないのに、「ひぃぃ(><)」
 そして何で怒られているのか、自分もいつか直面するかもしれないため
 全身耳&総毛立ち。推測した内容をメモしたり。殆ど分からないんだけど)
ありがたいことなんだ、と思うんですね。そんな人の「教育」に「与っている」わけです。
鬼教官って、先生の先生の先生って言われるような人って、寧ろ「怒る」相手って限られてる。
本当に強い選手、全国でベスト10に入るくらいの選手の人にしか、
「指導」もしないし「怒り」もしない。厳しいドリルを課したりもしない。
そういう場面は、結構見て来たなあ。
だから、そういう方に、自分のパフォーマンスについてコメントをもらえた、数秒でもアドバイスをもらえたって、すごいことなの、っていう。
大多数の人は、そういう指導者には、「見向きもされない」まま埋もれていく・・・(だからってそれが無駄とか、間違っていると言うわけでもなくてね)

*一瞬一瞬、本当に、戦いですね。自分とのね。
そして戦うところが与えられているのはありがたいことです。
*出来るだけ楽したい。
*「たくさんの視点から見て吟味する」手間は省きたい。
*手元だけ見てればいい「楽」は、本当は、有り得ない筈だ。
*ほんの数十秒、「見に行く」「確認しに行く」「記録しに行く」「質問しに行く」「電話を入れる」を、
*すっ飛ばして自分が先に進みたい。
*「私が私が・・・」ってヒートアップしてくる気持ち。
*「本当は?」「相手は?」「みんなは?」と一瞬「立ち止まる」静かさを持つこと。

明日も戦うよ。戦えるようによく休むよ。本当はぐずぐず起きていたいけどね。
いつもみんな、ありがとう。

***新聞広告からおすそわけ。
三越伊勢丹 もてなしの教室
もてなされるプロが教えてくれる、「もてなし」
第2回目の話し手 マッキー牧元さん
〜もてなしは成長する。それは、お客様との掛け合いで。〜
渋谷と青山の間くらいにシチリア料理のお店があります。そこは食べなれたお客さんが毎日のようにワイワイやっている、知る人ぞ知る名店。まず、席に着くとメニューを渡されて、「今日はこれとこれは絶対に頼むべきだな・・・」なんて言いながら、訪れた人たちと少し語らいます。そこからメニューを閉じて一言、「で、ところでこれ以外、今日は何ができるの?」って聞くんです。すると、サービスのスタッフがとっさに「牧本さんがお好きなこんなアレンジができますよ」とか「実はこういう素材が入っていますよ」とか、メニューにはない提案を次々と返してくれる。そのどれもが魅力的。ワインのオーダーにしても、リストを一通り眺めて、またパタンと閉じて一言、「今日は飲み放題でよろしく」って感じで注文する。当然、飲み放題なんてメニューはありませんが、こちらの意図をくんで、リーズナブルな美味しいワインを料理と合わせてポンポンと出して来てくれるんです。
もうひとつ、赤坂にある大衆中華料理店の話です。ここはメニューが約150種類あって毎晩予約で満席。家族経営の店で、80歳くらいのお母さんがいらっしゃるんですが、みんな、この方に会いたくて来るんですね。すごく明るくて面白い、笑いが絶えないお母さんなんですけども。例えば瓶ビールくださいって言ったら、いきなり肩をパーンとたたかれて、「あらあんた運がいいわね、今日はずっと生ビールしか出ていないから、瓶ビールきんきんに冷えてるわよ」って。ここに来ると、会社ではものすごく堅物な人も、え、こんな人だったんだって思うくらい丸くなるんだそうです。このお母さんが言うには、「お客様とは、親しくなってもいいけど、慣れちゃダメ」なんですね。日本には、「おかげさま」という言葉があります。商売させていただいてありがたいとか、お客様に会えてうれしいとか。海外でも、旧知の友人を迎えるように接客しなさいといわれています。こういう「一期一会」の経験が出来ること。世に多くある減点主義の接客では決して味わえない「もてなし」があること。「もてなし」は料理と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に大切なものだといえるかもしれません。