記録 2015.05.17.気持ちいい風〜〜edited

*一瞬、さっと(さっと?)やり散らかしてはいるんだけど、わりとゆったり。
&頭もなんだかよく動かない。あーうー○日の一週間後は何日だ?とか。
だら だら新聞読んだり、切り抜き整理したり、
あいだあいだネット徘徊、ちょっと調べもの等々。
「やらないこと」をとっさに決める、とか、
順番を考える、とか、しなくていい
(してもいいし、した方がよいんだろうけれども)
って「普通の休日らしい」ジャン?ぼんやり、嬉しい。

*一年365日、過食最優先。
だと、本当に人間らしさが失われるからね、いろんな点で。
いいんじゃない、彼に悪いとか、就活に悪影響とか、
余計なこと考えちゃだめだ。
それくらい、どうしても必要な金(薬代)がとんでもない病気だし、
それを他人に頼れる人は恵まれているほうだ、という病気だ。
そして、チュは、カショのみ、カショオよりもずっと経済的な負担が大きい。
というのが一般論。並み居る摂食人の中でも特にそっちでは苦しい方なのだ、
と思っていてほしい。
春でもなんでも、持っているものは、売れるうちに売っておきな。(・・・)
ただ、身の危険を感じ取るセンサーは、「なるべく」立てておいてほしい。
安全と健闘を祈る。この闘病はどこまでも地を這う泥仕合だ・・・
しかし、まさにDon't think, just feel.
感覚をつぶして「生きていく」も「病気の心を直す」もない。

*窓全開にして風を通しているんだけど、24.5度。
ものすごく気持ちいい・・・この風が、
真夜中でも30度近くになる季節までは、まだ窓全開で対応できそう☆

*非国民の孫かあ。うん、見たわけじゃないけれど、
きちんと私の中にも刻まれている「狂気」の中で、
自分を見失わなかったお祖父様に私も最敬礼。
病気の心の人は、きっと時代の、大きな流れの中の「狂気」
(と、外部の人、後の時代の人間は言う)にのまれまくり、
利用され、追いつめられ、心身に傷を負い、
次の世代に無意識にその「痛み」を引き継いだのだと、「知って」る。

*病気になるほど敏感な人間は、その経験をした世代から、
特に語られなくとも、その本人すら忘れてしまったとしても、
言葉のはしばしに、表情やしぐさの中に、鋭くそれを感じ取って、
無意識に自分の中にコピーして、「病気」のもととしたのだろうと思う。
自分は視てはいないのに、感じてはいないのに、
自分の記憶ではないのに、なぜこんなになまなましく迫ってくるのだろう?
戦争体験の話など、学校時代いやってほど見聞きし、
冷戦の空気の中、しかしNo more war.を深く心に刻んだ。
そういう教育を受けた。それを差し引いて考えても、
私の中にはなお生々しい凄惨な光景、痛み、恐怖、
「先の戦争」のだけではないに違いない、感覚・感情の渦として・・・感じる。
笑われても、考え過ぎと一蹴されても、私の病気。
いや、先祖代々の病気。必死に生きた、「みんな」の傷と痛みと病気。
ここで受け止めて、症状は、受け渡しを、止めるから。
「記憶」は残るだろう、私のなお、感じ切れなかったもの、
受け渡してしまう人はあるだろう、何百年も経ったのちにそれが「誰か」の上に、
(私よりももっともっと敏感に生まれた者があるなら)よみがえることだってありえなくはない。
病気を引き起こす結果になるかもしれない。
でも、それだって、それを含めて「美しい」人間の相・・・

*おっ新作が・・・なんかかわいいなあ。また画像が暗いですが・・・Happy ending になりますように!
(So much for my)Happy ending*
「もう恋なんてしない」の逆張りのようだけどAvrilのMy Happy Ending Great tuneだよね☆



It's nice to know we had it all,
Thanks for watching till I fall,
And letting me know we were done...
you were everything, everything that I wanted~