記録 2015.02.25-26.雨♪

*今日は、寒いのに、寒く感じるのに体温が上がらない感じがして、
おまけに気持ち悪くてなかなか起き上がれなかったなあ。
パタパタ♪雨の音を聞きながらひきこもって、何だかちょっと得した気分だったり☆

*読んでしまいたかった本も読んだし、
クレイジーな「まとめ」も「作りこみ」が進み、そろそろイヤになって来たよw
「雲形十種」エクセルで「下書き」をしてるんだけど、なかなか綺麗にまとまらないな〜・・・

*覚えてますっ。ここ、ex:Centerの人はどれくらい見てるのかなあって、時々思うんですね。
○○の設計をされているんですよね。
ものすごく勉強する資格なのに、病気なのに、すごいなあって思いました。
お仕事にされていて、さらに素晴らしいなあって思いました。
○○○を弾かれるっていうのも、「わあステキ」でした。
母ちゃんが例にもれずマジキ●(子供にそんなこと言うか?満載の)で、お姉ちゃんも○○でしたね。
お姉ちゃんの言動も、こえぇよォでした。
お父さんが、マイルールてんこもり人間で、毎朝ベッドから先に降りる足も決まってるとか。

初めてお会いしたのは秋でしたね。
私は、Centerでは、秋は5回経験しました。かなり長く居た方です。
まだ、「ある」んですよね・・・主催者が健在であるうちは、存在し続けるでしょう。
「誓約書」の内容もどんどん細密に改変され、閉鎖の度が高くなってしまっていると思います。
(これだけ相談者延べ数がありながら、ネット検索で関連の情報を見つけ出せません)
「中で」やっていることは、現在の私の視点からは、「だいたい正しい」のです。
摂食障害(他、鬱、自傷、盗癖、人格障害、・・・)は
◆既に感じなくなってしまっている原因となっている感情を感じ取ること
(当時のCenter語では「マグマ清算」と言いましたね)
◆自分の中に「(可能な限り)無条件の愛」を育てること
で回復できる。

ただ、それを実践している「組織」の目的が、(巧妙に隠されてはいるけれども)
「個人の抱えた億単位の負債の弁済」になってしまっているため、
今はどうかは知りませんが・・・
まず一番に思うのは「借金終わったかなー○○ちゃん」ってことですね。
とにかく早く、本当に「無料」になって、ここ2〜3年の、
Net環境の如く「どこでも」「誰でも」のものになって欲しい。
「卒業者」も、もう2年近く出ておらず、
もともとコアメンバーは数人で、それも増えないという「組織」でしたが、
ますます「縮小」へ向かっているのでしょう。
スタッフの人も、「卒業」出来ず、社会的にも断絶されたまま長い人は10年以上経って、
私の眼からしてみると、症状それ自体が減ったかより、
その方が「深刻」に感じられます(社会復帰は絶望的)。

「女なんだから結婚すればいいだろう」くらいに思われてるんですね。
これだけ「女性の社会・・・」(「活用」なんて言葉を使っている時点でセクハラだって意見もあるくらいw)が言われている2010年代の日本において。
10年前でも「そういう思想」が散見されて疑問に思っていました。
(ま 平たく言えば「女性コンプ」が言わせていたのでしょうが)
仕事をしながらでも、Center外の社会と接点を保ちながらでも
(それはとても、私の場合は、苦しいことであったけれど)
上記2点の◆は、出来る。
「そっち寄り」の「組織」であってほしい。というのは、今でも変わりません。

「お金持ち」(数千万単位でCenterに落とすお金がある)か、
「Centerのために、『フルタイム』で無償労働が出来る」
人間しか、救えない。としていて、いや、実際は「卒業者」も何年も出せていないんですが、
(上記条件が揃って「あなたは卒業できます」と何人もの前で「保証」された子さえ、「脱落」したようですから)
でも、それでも、毎日症状があり、今の2〜3倍は過食費のかかる状態で、
「お前はCenterでは救えない」と放り出されて、あれほど「もう自殺しかない」と這いずりまわったのに、自分ってwとも思いながら、
それでもCenterでやっていることは間違っていない、
病気の人たちが、自ら治る力を信じたい、
のは、変わりません。
現に、信じたように、私も随分いろいろの症状を減らし、
以前より楽な、普通の人間の暮らしを手に入れて来たからです。

「みんな」はどうなのかな?
Centerへの「依存」の度合いはそれぞれで、
「当時と比較しての回復状況」もそれぞれで、
とても、「再び」結集を呼びかけ、まして束ねることなどできないですし、
また、その必要もないかもね?と、私も考えが、Centerから離れてより随分変わってきました。
「自分で出来る」
「自分でやるしかない」
ことなんだ。その中で、ひとりひとりが見つける「答え」が、きっと、私が今「見て」いるものに似て来る。
また、びっくりするような「違う方法」も発見されるに違いない。
「臨床」「現場」は、ひとりひとりの病者の中に。

結核破傷風天然痘、インフル、
たくさんの人の命を奪う、恐れられた「感染症」の個々の菌が特定され、
それぞれへの対処法がやっと確立され始めたのが、100年前。
100年後の人たちから私たちを見たら、
きっと同じように「薬で心身症を治そうとしていた時代もあったんだ!」と驚くし、
病気の当事者、共に戦った社会に、
「かわいそう」よりも、敬意と感謝をもつと思うんですね。

耐えがたい寂しさや怒りを、無自覚に抱えた人が有る限り、
それを「伝染」させられる子・孫が「その家族」を選んで生まれる限り、
(五右衛門の辞世じゃないですが、石川や、浜の真砂は尽きるとも)
世に「この種の病気の」タネは尽きまじ
・・・でも、ちっとも嘆くことはないと、私は、思っています。

長くなってしまいましたが、お身体大事になさって、お仕事がんばってくださいね。