記録 2014.12.28.

もう本当に外に出たくない、人に会いたくない、になってしまった。
やっぱり、ひとり静かに、過食出来る時が一番癒される。っと、心から想う。
なんて超ゴミクズっす。w
誰かと一緒に住むだとか、結婚だとか、
子育てなんてムリムリムリム〜リ〜〜〜無理・�_っす。
と、心の中で繰り返すこの頃。

それでも結婚するつもりで、男と住んでいた時もあって(2年くらい)、
お互いの家を行ったり来たりしていた人があった時代もあって(2年くらい)、
せっまい団地や一軒家で5〜15人の集団生活をしていた頃もあって、
あのころはつらかったなあ。
・・・ホントヤバかった・・・過食もあったし・・・
どうやって生きてたんだろ、みたいに思い出したり・・・

人と居る時の「あの」緊張感、落ち着かない感じ。
だんだんイライラして来るけど、それをのみこんで、動き回る感じ。
集団行動とか、みんなで何かしなきゃいけない時に、
「うまく取り仕切る」とか、すごく得意だし、
とにかく「気配り」「目配り」「心配り」の人、に、息をするように、なってて、
料理も掃除も整理整頓もめちゃくちゃ高スペック(自分で言っちゃうよ!)だから、
人には、評価されるし、褒められることがとても多いけど、
だんだん、「冗談じゃない」って感じて、「みんな大嫌い」ってなって、
「ひとり、静かに、過食がしたい・・・」となって、つぶれちゃう。
ま その方が迷惑なんだけど。
それが病気とは知らなくて。

もし小さい頃のまま、周りが見えない、集団行動、超苦手。
また、するつもりもない。
人間は一生団体旅行をするものではない。
自分を認めてくれる人間が少数いればよい。
で大人になっていたら、ここまで病気ではなかったような気がするな。
「そんなんじゃダメ」
「このままでは将来が心配」
「どうしたらしっかりしてくれるの」
っていう母親の心配顔がいつでもまとわりついてきて・・・
しっかりしなきゃ、何でもぱっぱと出来なきゃ、
普通に歩いていて池に落ちたり、電柱に激突したり、なんてダメ。
他の子と一緒になるとすぐ仲間はずれになってて、しかもそれで平気。なんてダメ。
お絵かきなんていくらうまくったってダメなんだ。
本読みが、他の子より少し出来るより、「しっかり」「普通」の子が、お母さんは安心なんだ。
「この子のお友達はみんなしっかりしてて・・・
 どう育てたらあんなにしっかりするのか・・・」と、
小学校低学年の時の担任の先生に相談してる母。
「どういう風に育てたら、○○ちゃんみたいにしっかり育つんだろう・・・?」とつぶやく母。
ま 思ってることを何も考えないで言う人だったし・・・

十数年、自分を責めながら、
「合わない」「向かない」と思われるものばかりに「挑戦」し続けて、
(えっ、意外、そんなの今やってんだ?って驚かれるような感じに。体育会系・軍隊式が断然多いねw)
(「好きなの?」「やりたいの?」って言われるといつも言葉につまって・・・そう言われないようにしてたり)
(「好き」とか「自分がやりたい」ことなんて、何の意味もないし誰も喜ばない。って本気で思ってた。
 中学高校の、「進路」について考えようって時間はめちゃくちゃ苦手だった・・・本当に訳が分からない「課題」ばかりで、
 みんなよく答えられるなあ。考えられるなあ。って。
 「好きなものを選ぶ」?何それ。好きって、どんな、感じ・・・?
 そこでも「病気」は見逃されたわけだ。
 「我慢して嫌いなものをのみこむ」ことばかり「訓練」された私は、とりあえずその路線を突き進むんだけど)
「だらしがない」「夢見る夢子ちゃん」「団体行動苦手」「運動苦手」「KYでド天然で自閉症っぽい」私をほぼ消し去ってやっと「これで私は大丈夫」って思えるようになって・・・
摂食障害の始まり。
それまでも、原因不明の脚の痛みとか、抜毛症とか、出て来てたりはしてたけどね。

30後半になって、管理職やリーダーが年下ってことも増えて来た。
そろそろ年収単位で見ると、同い年の人たちに追い越されて来ていると思う。
きちんと大学、院などを卒業して、厳しい競争を勝ち抜いて、
正社員や第2新卒として会社の幹部の卵として育てられた人たち。
もし、私が中学、高校、大学の時に、
「自分の好きなこと」「やりたいこと」が分かる子で、
それをやりたいって通せる子だったら?(普通なんだけどw)
とは、そういう人たちを見て、よく、思うようになった。
病気でも、「好き」や「やりたい」が分からなくても、
大学、それ以上の勉強をして、働いている人だっているけど、
私には、どうしたって、「無理」だったって、よく想う。
高校は卒られたことだって、不思議なくらいだって思う。
「好き」も「嫌い」も「自分はどうしたいか」も何も分からないまま、
この歳まで生きられたこと自体が奇跡のようだ。
「好き」「やりたいこと」も分からないまま、
分かりえない心のまま、「競争」なんて、どだい無理だったのだ。

だからね、病気なのに、「競争」にそのまま突入していこうとすること、
本当にすごいな、って思うの。
かつて私がそうであったように、
「今更止まれない」「立ち止まりえない」だけなのだ、としても。
「感じ」を大事にするのよ
としか言えないかな。
小さな感覚も大切に認めて行くことで、
だんだん「好き」「したい・したくない」も分かるようになっていくから。
「それは、人に合わせる時には不便なことだ」と自分を「つぶし」ては、
どんどん「分からない」人になり、症状も増えてしまうからね。

「症状」それ自体も日々の普通の生活を破壊するけれど、
そのもとになっている「好き」が分からない、「嫌い」が分からない、
「やりたいことが分からない」
「何でも他人に合わせられる」
「合わせてしまう」ことの方が重大な「過ち」で、
「何でも出来る」「何でも持ってる」「誰からも羨まれる」けど、
病気まみれで生きるより、
「好き」が分かる、
「自分のしたいことが出来る」で
生きられる方が幸せには間違いない。
私は幸せになったんだ。

昨日、デパートのポイント交換に行ったと書いたけど、
その時、感じたこと。
よく彼氏と買い物に来たデパートで。
もう10年も経って服屋も化粧品屋も随分ラインナップ変わったけど。
あの頃は今よりも倍くらい稼いでいて、ワンシーズンに何十万も服や化粧品を買ってたなあ。
こんなコートや小物も買っただろうな〜
でも、自分が好きなものなんて、全然分からなかったし、
今よりも寒い、暑い、明るい、きれい!いいなーみたいなことも感じられてなくて、
いつも、微妙にイライラしていて、
男か女か以前に人間なのか?状態だったと思うな〜
昨日は風が強くて、キラキラに晴れているのに、
ストールを顔にぐるぐる巻いちゃうくらいとにかく寒くて、寒くて、
あの頃は、こんな風に寒いとは感じなかったと思うな〜なんて思いながら、
10年くらい前のことを思い出していましたとさ。

★今日のひろいもの。日野瑛太郎さんのレビューより。
【レビュー】折れない心の作り方を考える - 『なぜ、一流の人はハードワークでも心が疲れないのか?』

会社員をやっていれば、誰でも一度や二度は心が折れそうになったことがあるはずだ。性格が合わない上司の下で理不尽を強いられたり、高すぎる目標に追い立てられて疲弊してしまったり、働くことで感じるストレスの例には枚挙にいとまがない。現代社会において働くこととストレスの問題は切っても切り離せない。

このようなストレスに対してどのぐらい耐性があるかは人によって大きく異なる。少しのストレスでもすぐに心が折れてしまう人から(僕も明らかにこちら側に属する)、どんなに強いストレスを与えても結果を出し続けるタフな人まで、いろいろな人がいる。外資投資銀行や戦略コンサルティングファームでハードに働く人たちの多くは、ストレス耐性が非常に高い。僕の知り合いにも何人か投資銀行コンサルティングファームでハードワークをしている人たちがいるが、彼らのストレス耐性の高さが何に由来するのかは昔から気になっていた。

今回紹介する『なぜ、一流の人はハードワークでも心が疲れないのか?』(久世浩司/SPBクリエイティブ/2014年10月/1,300円+税)を読めば、その理由の一端が明らかになるかもしれない。本書は、ハードワーカーのストレス耐性の高さを「レジリエンス」という概念によって説明している。折れない心を身につけたいと思っている人はもちろんだが、「ストレス耐性」って簡単に言うけど何を意味してるんだろう? という疑問を抱いたことがある人も、読めば得るものがあるだろう。

○「レジリエンス」とは何なのか
多くの人にとって「レジリエンス」という言葉はそれほど聞き慣れた言葉ではないと思うが、実はこの概念が最近注目されつつある。2013年度の「世界経済フォーラム」(ダボス会議)ではこの「レジリエンス」について議論が行われ、NHKの「クローズアップ現代」でも取り上げられた。「レジリエンス」は企業からも注目されており、ロイヤル・ダッチ・シェルゴールドマン・サックスなどではレジリエンスに関する研修が行われているらしい。

全米心理学会の説明によると、レジリエンスとは「逆境や困難、強いストレスに直面したときに、適応する精神力と心理的プロセス」のことを指す。逆境や困難を「避ける」のではなく、「避けられないもの」と捉えたうえで前向きに対処し適応する方法を模索するところが従来のストレスに対する考え方に比べて新しい。

本書では、レジリエンスが高い人には以下の3つの特徴があると説明されている。
1つ目が「回復力」で、これは逆境や困難に直面してもすぐに立ち直り元の状態に戻れる力のことを指す。
2つ目は「緩衝力」で、外的な圧力に対する耐性、いわゆる打たれ強さのことを指している。
3つ目が「適応力」で、予期せぬ変化を受け入れて合理的に適応する力のことを指す。
このような力をどのような訓練で育めばよいのかを、本書ではいくつかの事例を交えて提案している。

○振り返りの時間を持つ重要性
レジリエンスを鍛えるためには、3つの習慣を身につけることが必要だと本書は提言している。
3つの習慣とは、
(1)ネガティブ連鎖をその日のうちに断ち切る習慣、
(2)ストレス体験のたびにレジリエンス・マッスルを鍛える習慣、
(3)ときおり立ち止まり、振り返りの時間をもつ習慣だ。

これら3つの習慣はどれも大切だが、個人的には(3)の振り返りの時間をもつ習慣が1番印象に残った。現代はビジネスの変化が早い時代なので、のんびり振り返っている時間なんてまったくないと考える人は多いかもしれない。しかし、変化が早いからと言ってじっくり考える時間を持たずに、ただ現実に追いつこうと焦るだけではいい意思決定はできないし、レジリエンスも育てられない。

本書ではこのような「振り返りの時間」を持つことが、「自分はこれからも今いる『場』にい続けるべきだろうか」という問いかけを発するきっかけになるという点も指摘している。レジリエンスとは理不尽な環境に自分を無理やり適応させるプロセスのことを指すわけではない。「場」(会社員の場合、この「場」とはたいていは"職場"のことを指すだろう)が間違っているというのであれば、「場」を変えることも検討にいれるべきだ。正しい場を選択するところまで含めて「適応」と考えられている点には非常に共感できる。

○逆境やストレスを前向きに捉える第一歩に
レジリエンス」という考え方で一貫しているのは、本来はネガティブなものでしかない逆境やストレスを、何らかの形で前向きに捉えようとしている点だ。「前向きに」と言葉にして言うのは簡単だが、実際にやってみると困難は多い。それでも、ネガティブな感情から脱するためにはどこかで前向きになる必要がある。本書が、そうやって前向きになるための手助けをしてくれるかもしれない。