記録 2014.09.12.特に長かった一週間

「わ〜い 月夜さんと紅葉狩りだ〜」
「わ〜い もみじ〜もみじ〜」
かっぱくんたち、おおよろこびです。
「ところで もみじってなに〜?おいしいの〜?」
「あ〜 ・・・・」

一週間 長かったなー
「一年って早いわよね〜」ってよく人は言う、けど。
私 なかなかそうは感じないんだ。
苦しすぎるから。ってよく「解釈」はされてきたけど・・・どうなんだろう。
(この辺に病気・麻痺が、まだ残っているような気はする)
「早く時間よ過ぎろー・・・」みたいな風にはよく思ってる。
な〜とは、最近になって自覚するようにはなってきた。
時計の針は、遅すぎるよ・・・

楽しいと感じたい。苦しい、ことはなるべく避けたい。
そういう感じは、よく分からないんだけど・・・
私には、楽しくないのがあたりまえ。苦しいのがあたりまえ。過ぎて、
普通の人ってどんな感じに生きているのか、分からないのかも。(未だに)

考えね・・・きれいに「整理」なんてしなくていいよ?
聴かせてもらえるのなら、生々しい「感じ」がいい。
叫びにも似た「悲しみ」や「怒り」や「疑問」「義憤」の方が「嬉しい」。
でも、そんなん、いやなんだろうなあ。許されないんだろうなあ。とだけ感じる。
いつだって「大人」で、きれいにまとめる必要の中で生きて来て。
生々しく。醜く。人間臭さまるだしで、ぶつかる。なんて、
「観たこともない」し、一生そんなのとは無縁で生きていく。つもり。だった。
だからこそ、「病気」の自分は、「病気」と生きていく未来が、受け入れ難いでしょ?
(それも、10年以上前までの私と、いっしょ。)
例えばそれは、普通の起居すらままならず、「努力」が少しも出来ず。
「食べて寝る」すらコントロールが出来ない。意味不明過ぎる「私」。
どうしたら抜け出せる?どうしたらまた頑張れる?立ち直れる?
「?」だらけの中で、きっとそろそろ気が付くのだと思うのだけど、
「もう、考え、言葉は、要らない」
この症状は、(人の)「考え」「言葉」と(自分の)「感じ」のバランスが崩れ過ぎたというサインなんだ。
「考え」すぎて、言葉が頭の中で溢れすぎて、自分が何を感じているのかも分からなくなったらね、(病気の人は常にその傾向なのだけど)
真っ暗で静かな中で、じっと、眼を、耳を、皮膚を、心を、「すませて」みるとよいよ。
現代人はあまりにも視覚を酷使しすぎだというので、「暗闇カフェ」(セラピー)というのもあるらしいよ。
暗闇の中で数時間、食事も最低限の明かりの中で、過ごすことで、感覚、感情までもが正常な敏感さを取り戻してスッキリできるのだそうだ。(うろ覚え)
でも、摂食障害やいろいろの「症状」のある人は、大体、↑のようなことは数分も耐えられない(と思う)。
ま やってみると何か気づくかもしれない・・・
文章で書くと長くて難しくて偉そうで・・・自分でも結構イヤになる。 w

今は私は結構何もしないでじっとしてても割と大丈夫。
普通の人っぽくなってきました。

連休・・・よく休めるといいなあ。もう本当に1週間長すぎた。ひぃ。
皆様もお疲れ様でした。
つけまにカラコン、ますますagehaの世界ですなあ・・・(ほれぼれ)お疲れ様でっす☆