記録 2014.08.08.

日中はまだ30度ちかくあるけど、空が高い!雲が秋だ!
やっぱり空から季節は変わっていくね。
時間の経つ感じ、季節が移っていく感じが、いやな感じでなくなって来たと思う。
(普通はそんなにイヤな感じではないのだと思う)
「時間が経った」ということを感じるのは、それが季節のような大きな区切りであれ、
分単位のものであれ、「病気の私」の受け取りでは、イヤなものだった。
時間だけが過ぎて、自分は、こんなでいいんだろうか。
取り残されていく。
半分も言葉になっていないと思うけど、↑こんな感じで。
その感じが、年々、とても弱くなってきたと思う。
「ああそうですか、そんな時期になりましたか」と さらり。
(だから普通だってば)
お母さんがすごい自分も娘も急かす人だったからかな。
「大変!もう○時よ!早く○○しなきゃ!」
「子供は●までが勝負って言うでしょう」(3歳、小学校入学、低学年、高学年・・・いろんな●があったけど、私的には、その「勝負」に、どれも「クリア」した感じが無くて・・・だって絵に描いたようなのろまでグズで変わった子なんだったもん・・・ww)
妹は、そんな母に「は?(出来んもんは出来んよ)」という態度だったので「無事」だったのかもしれない。
普通は、楽だなあ。 ・・・

関西は台風みたい。
帰省する人、そちらに旅行の計画がある人は大変だなあ。
どうかお気をつけて。
あ〜するする、するよ、「世の中全体」から「お前なんか要らないよ」って言われた感。するする。
言葉にしてみると、自分じゃない誰かが言っていると「そんなバカな」なんだけどね。
でも、私は、近年それが(同じようなことがあったとしても)とても弱くなってきたよ。
慣れっこになった、というのも考えられるけれど、
自分の中に、過度(病的)な「誰からでも必要とされたい」感が減って来たのだと思う。
「誰からでも必要とされるため」の行動も当然減ったわけで、かなり生きるのが楽になっていると思われます w
親の持論が一般論?過程が大事なんだと思うなー私は。
人生過程が99%以上で、線で面なのに、
「点」の白or黒で続いてきた線や面まで推し量られたらたまらないよ。
いろんな人がいろんなことを想おうと、私は、
林檎さんちの大人、相当おかしいと思うし、
そんな家で暮らして来てて子供が病気になってるのなんて当然だし。
あ〜台風。気をつけて行って来てくださいね。かっぱがいいかなあ。(?)

*ぶお〜
 そうね、「わっ。試してる」という感じはするね。
ちっちゃい子供みたいに「これしたらこの大人はどんな反応をするかな?」(チラ)みたいな。
またはあざとい女子だ〜 相変わらずのゼロ距離だらけですなあ。いいな〜
で「思い通りにはならんっ」という攻防戦。
それでいいんだと思いますよ。
どっちかが不自然に成長を急いで大人になり過ぎても
きっと早期に限界が来てしまう。レリゴー レリゴー

*おやすみなさい、よく休みます・・・すこしだけ、頑張れるといいな〜
いや、以前に比べたら頑張れるようになったと思うけど・・・
うん、またちょっとだけ。

*ちょっといいなと思ったツイのひろいもの。
性格は『顔』に出る
生活は『体型』に出る
本音は『仕草』に出る
感情は『声』に出る
センスは『服』に出る
美意識は『爪』に出る
清潔感は『髪』に出る
落ち着きのなさは『足』に出る