記録 2014.04.14.

昨日の夕方に書いていたもの。
何度読み返しても 長ェわ ばらっばらだわ
どうしたらいいのかわからなくなってきて「やめやめ」ってなったw
ま でも そういう「記録」かなあ・・・って。


週末。調子いいのか悪いのかよくわからないな。
あと実質3日。今週はとった休み(残りの有給休暇)で買い物へ行ってクッキーも焼きたい。
100枚は焼きたい。(いつものかっぱの)
思っていたよりもクルクル動けたり、全然やる気が出なくて布団に入りっぱなしだったり、
気分の↑↓が激しいような・・・でもそんなにイライラはしないんだけど・・・
「やらなきゃー」っていうのがないから・・・
ま 外から見ると相当追い詰められてはいるんだけどね。

こうも祈られが続くと、凹みの直りが早くなったなあ、とは言え、やっぱりイライラしてくる・・・
「就活」をする学生は、すごいね、と改めて。こんな暮らしを数か月単位でするのですもの。
私はたったの2か月。祈られの回数の桁も1つ少ないだろう、
でも、今まで「全然興味も持たなかった」ことを多く調べたし、「鏡」を何回も見せられたと思う。

鏡。「あなたの鏡」でも書いたけれど、本当にあの人は私の鏡だったんだなあと思う。
見せ方が本当にヘタクソだなー残念だなーといつも思うのは、
私もまた、いろいろな人に、そう思わせて来たのではないか。と思う。
「見せ方」が「残念」なのも「故意」です。と開き直ったようにあの人は言う。
「何それ、言い訳?醜い。いいことだとは思わない」と私は思う。
きっと、私の周りにいた人々も、何度も「あー病気?言い訳しちゃって。ダメだねえ」と思ったのだ。
見せ方が下手で、第一印象が残念な私、は、そうでないように変えた方がいいよ?と教えて貰ったのだ。
「見せ方」と「第一印象」と本当の中身のギャップがありすぎる「不快」を、周りは、どう感じるか?
「本当の中身」と「見せ方」「第一印象」のギャップを、不快にならないように埋めていきたい。
それもまた「愛」の技術、と思わされる。
「見た目」「第一印象」を命として生きている人たちに、人が「愛」を感じるのは、
「いいなー」と好感を持ち、憧れる、というのは、そういうことなのではないのかな?
「ちやほやされたい」「認めてもらいたい」「バカにされたくない」という、「私私」というのとはまた別で。

*ケヤキプラタナスも、緑の若芽をふわり、ふき始めたね。
*足元は、ポピーとたんぽぽ。ツツジももうすぐだね。
黄色が、虫には、一般的に好かれる色だそう。
虫の眼は、また人間とは全然違う風に色や形を感じているに違いない・・・
*朝晩はまだ、10度前後だけれど、日中は20度以上まであがるからか、昼間外に出たら、
スーツのおじさんが二人横並びでチョコモナカアイスを食べながら歩いていたよ。
アイスコーヒーがおいしい!季節でもあるね。
*朝のすごい満員電車で、つわりのつらそうな奥様を抱えた旦那様。
優先席の近くだったからか、ささっとみんなどいて、座らせてた。さすが。
*夕方の駅で、カッコーンと高い音。何かの電池ケースが落ちて、中身がコロコロ。
ささっと周りの人が拾いに動く!みんなやさしいなー。

あと3日、いろいろシュレッダーしなければいけないもの、残したもの、片づけて行かないと。
エントリーも続けるし、面接も「決まるまでw」あるし・・・うう。
この2か月強、続けて来たことではあるけれど、しんどかったのだと思う。
やめたくないし、やだって思っているし、「でもでもでも」と言い聞かせてやってきた。
それでも、1年弱前までほど訳が分からない状態にはならなくて、
「お 頑張れている?」「お 結構冷静?」と思う。
新しい仕事なんてしたくない。
イチからまた覚えなきゃいけないなんて、イヤだ。
新しい人になんて会いたくない。
初対面の人と話すなんて、自分アピしなきゃいけないなんて、更に苦痛だ。
そういう気持ちも出て来た。以前までは感じなかった(言葉にはならなかった)気持ち。
感じた上で、いや、感じることが出来るから、動けて来たのかもしれない。

鏡の話に戻るけれど、「見えてない」感じはすごく感じるようになったの。
「私は、今の私のこの言動が、人にどう思われたかを、感じられていない」感じは、
とても頻繁に感じるようになったと思う。
その感じが「来る」時は、たいてい「マズイ」んだ。
怒らせたりしたか?ということとはまた別で、もっと微妙なレベルの話で、
言葉にはならない、表情には出てこない、
でも何かネガティブなものを相手に与えてしまった、感じが伴う。
つまったような?不透明で汚い色の「壁」のような、「???」という感じ。

貯金。世間的に見ればこの年で独身で「収支とんとん」っておかしいし、恥ずかしいことだとは思うけど、
この病気で、ずっと自活をしてきて、「マイナスがない」のは寧ろすごいんだっ とは思ってきたんだよね。
普通の人の眼で見れば、おかしいし、恥ずかしいことだけど・・・
・・・
いつでも引越しを好きな時に出来るくらいに貯めておきなさいとあの人は言う。
「はっ?」と正直思う。ここまで来たのは「すごい」んだよ!!
過食嘔吐で、この重さで。ここまで来れたこと。奇跡に近いんだよ。
私がどんな暮らしをしてたかなんて、分かってもらいたいなんて、
「病気」の人間の「標準」を知ってもらいたい、なんて、思わないけど。
自分と関わっていれば、お金に困ることはなく、
欲しいものは手に入り、借金も消えるは病気も治るはえらいことです
になっていなくちゃ、気が済まないんだ?プライドが許さないんだ?
結構、俗なこと、楽なこと、単純なことが、「幸せ」なんですね?
私が感じる「幸せ」だと思ってるんですね?
教祖様にはならない、と言うのに、
「それは、教祖様的プライドですね?」
と 相手に思わせるようなことを言う。
カウンセラー扱いするな、と言うのに、
人の話なんか、聞いていないだろ。何も知らないだろ。って思う態度で、
「アドバイス」らしそうなことをさらっと言うから腹が立つ。
時間を守ってもらえたことの方が少ないし、
読みづらいな・・・って思うくらい誤字脱字多いし(私が神経質なのだけど)
メールの返信も「気になる」くらい遅いし・・・
まあ「仕事」ではないし・・・「多くの人」は「気にならない」のだろうし・・・
我慢していたことが多すぎ、私。
くやしいから、貯めてやろうと思った。・・・これも「私の鏡」と私は思うことにしている。
私の周りの人もきっと、私について、我慢しすぎなんだよ?
どんな反応するかわかんなくて怖いから、我慢してるんだよ。ってことね。

お金について「楽」なことが必ず幸せだとは思わない。
もう、望まないように諦めてしまった、と言う方が正確なのかもしれない。
あまりにも、それは無理なので。過食嘔吐で、マイナスがないというのが奇跡に近いから。
お金について楽というよりも、それよりも、
人やものに対する愛情や感謝を常に持てることや
それを表現して、ちゃんと「もの」も「気持ち」も循環していると感じられること
多くも少なくもなく、必要な物が必要な時に手に入って、
さして不便も感じないで暮らせる。というのが「理想」かな?
「欲しい欲しい」病とか
「不自然に物があふれた状態で暮らす」
「その癖銀行の残高をいつも気にして暮らす」
・・・ことの方が、私には、「怖い」「いやな」ことで・・・
そうでない、
「過度に何でもかんでも欲しがらない」
「多くも少なくもない、本当に必要なものだけを長く大切に使う」
「銀行の残高を、常に気にしていない」
を、目指したい。
経済状態は、その人の今までの生き方を表したもの。という考えは否定しない、否定できない。
けれど、ある経済状態を見てすぐに、その人のそれまでの生き方を断定することは少し乱暴だと思う。
私もそういう乱暴さを持っているんだろうな、と思っている。

焦ってもしょうがないしね。
焦りたくない、焦る必要がない、というのとはまた違うけど。
時間の感じられ方にも、虫の眼、鳥の眼、そしてそれらの真ん中に無数の段階があって、
その状況状況に応じた「芸術的な」切り替え、というのがあると思う。
「節目的」な時期に、よく感じていること。
最近は、よく、地球の時間以外の時間についてまで考えたり・・・夢でまで考えていたり・・・
たまたま、地球の一年は、太陽の周りを一周する時間、
地球の一日は、地球それ自体が一回転する時間、
時、分、秒、はそれぞれその24分の一、1440分の一、86400分の一、
と古くから人間が太陽の動きを観測して暮らしに便利に使ってきただけであって。
Wikipediaの時計の歴史、天文時、自転周期、公転周期の項はお気に入り)

宇宙暦という概念があるらしい(ガンダムの動画を観ることがあって)。
太陽系の中でも、星々の一日の長さ、一年の長さは違うのに、統一は可能なのかな?
日能研の広告の問題で出てきそう)
地球上では、どこでも同じ24時間、365日だから、「時差」を取り入れて統一していたけれど、
一日の長さが一年を通じて変化する星(正円軌道ではない、公転の中心と恒星の位置がずれている)や、
地方によって一日の長さが違う星もあるとか(厳密には地球もそうなのだとか)。
宇宙人はどんなカレンダーを持っているんだろうな〜どんな時間の単位で暮らしているんだろう。
人間以外の動植物のカレンダー、時間の感じられ方も良く分からないのに・・・
そもそも、人間の五感で感じられる宇宙人って、あんまり居ないのかもしれないし。
宇宙人からしてみたら、現在の地球人は身体の構造も精神や社会の構造もあまりにも進化が遅れた、
ヒトからみた原始生物みたいな、互いに交信も出来ない状態なのかもしれない。
案外、ヒト以外の生き物の方が、地球外生物との交信が出来ているのかも。

そして、人間はたまたま、時間の流れが一方向しかない世界しかしらないけれど、
「長く」生きるとか「生まれ、老い、死ぬ」というサイクルではない世界、
そういう時空の「生命」も存在するわけで。
寧ろ人間が、この世界自体が、そういう「場所」から「来た」とする説もあって。
でもハッキリはしない。
だからこそ何千年も、これだけいろいろのことが言われ、
それぞれを信じる者たちが対立して争ってきたのだけど。
真剣に「信ずる」がゆえに、みんなが一人残らず、「幸せ」にと願うあまりに。
しょうがないでしょう、みんなあなたが生んだもの。
みんな、まねをして生きただけ。オリジナルの道なんか、許されてもなかったし、作れもしなかったはず。
たくさんの、過去の私の「人生」も、みんな。

穏やかで変化のない、「先が分からない」ことがない「平安」を、たまに
願ってしまうけれど、それでは「お前は既に死んでいる」なんだよね。
変化が激しく、一つ所に留まってはいられない、
常に一瞬先のこともハッキリせず、不安だ・・・としても、それこそが「生きてる!」
と大切に思えたら、少しでもその中にも「感じる」ことが増えるなら、
いいかな、と。