記録 2014.03.29.

うん、でも、旅(出張)に、いろんなものをコンパクトにまとめて
持ち歩けるスタイルって憧れ☆
どこでも瞬時に、マイ・ビジネススペースに変えられちゃう、「装備」を伴って旅、出張ってかっこいい。

わったっしなんて、今はもうすっかり、一泊どこかへ行くってだけでも、バタバタしちゃうもんね。

一時期は、そんな風にひと月に何回も、
日本中どこかへ行っていたりもしてたのに。(出張が多い仕事。数か月ごとに海外も)
夜行バスも、早朝新幹線/飛行機も、夜発→SAで車中泊も、サウナ宿泊も、
カプセルホテルも素泊まり旅館もビジネスホテルも、
海外のプール付きスポクラつきハイランクホテル泊も、
学生のころを含めれば青少年の家だとか、
ユースホステルで大人数で合宿も、年に何回もあって、
殆ど一通り慣れてたんだった。

この間は、薬も忘れ、着替えの一部も忘れ、化粧ポーチも忘れた。(・・・)
で2日目は身体用日やけどめのみのドすっぴん。(・・・)
でも、今は、バタバタしちゃってても、忘れ物に気づいても
「まあ何とかなるしー」でイライラはしない。
(以前は、忘れ物が、それがどんなに小さなものでも気になって、
 ちょっとの予定変更にも柔軟にはいられなくて、
 イライラしてどうしょうもなかったけどね・・・病み病み&いやな奴・・・)

スワニーの機内持ち込みも出来るキャリーバックは楽ちんでスマートでいいよね、と思ってる。
コロコロがすごくなめらかで・・・杖レベルになる機動性の良さ。
何年も前、知り合いの、大荷物で旅行する子が絶賛してて、お揃いにしたんだった。
もう随分長い間使っていないんだけど。(in天袋)
今度もう少し長い旅行に、行くことがあればまた、使ってみよう。

TUMI(トゥミ)ってごつすぎるかなあ?
女性で使っている人は見たことがないのだけれど、(男性はよく見かける)
実はずっと憧れなんだ〜TUMIのブリーフケース、ガーメントケース。
あの黒x赤大好き。
ケーブルやコードをコンパクトに収納できる、ポーチも各種あって、パッキングキューブって言うんだ。
(今検索してみたら女性用のラインもあるんだね!(゚∀゚))

カバンは、おしゃれな人は、日替わりな勢いでこだわってて、いいなーって思うの。
高いのだ!と一目で分かるものでなくても、あ カバンに気を使ってる人だ!っていうのは感じる。
カバンの置き方、置き場所でも感じる。
も〜床にべたっと置かない!と言いたくなったりしてることも度々(だからやなオバサンだよねってw)
私も、以前ほどではないけれど、服や靴や天候(傘)のことを考えて選ぶ。
(ま 今はそんなに手持ちのカバン自体がないんだけどね、ブランドものは処分しまくったから。
 キタムラとICBとリーガルでノベルティでもらったのくらい。
 余裕があれば、また10万円、20万円カバンも欲しいのはあるな〜
 でもマルイのPBも気になる!靴同様、石油製品のは基本持ちません・・・(変なこだわりだな)
 服や靴や仕事や行く場所のことを考えてバランスが合えばまた手に入れられるかな?)
靴と同じで、仕事鞄は、ドンキで1980円のを1年くらいでこざっぱりと使い捨てる、というこだわり方の人もあるよね。
どちらにしろ、仕事のカバンは、ガーメントタイプにしろ、リュックにしろ、
四角くカチッとしているのが◎と思っているわたくし、使い終わったカバンは(紙)まくら入りで棚に戻します。
(それでもちょっと剥げたり、くたっとしたりもするからね。カバンの寿命は一般的に1万円=1年って本当?)

いつかは お抱えの靴職人 鞄職人 お仕立て屋が居て・・・オーダーメイドで作って呉れる☆
というのが憧れだったりする。
テーラーのおじいさんや、靴磨きの方(本職は靴職人だとか)と話していて思ってたこと。
どこの王族、大金持ちの話w・・・って感じなんだけど。
いや、そういうのが「おかしくない」「相応しい」ような人になりたいなあ、なんて。
お金が有る無いでなくて、どんなものに対してでも、
愛情、それを作ってくれた人たちに対する感謝が有る人でありたい。
だから、そういうもの(一般に値段がつけられないくらい高いもの、手のかかっているもの)を身に着けていても、
「おかしい」「みっともない」「相応しくない」「悲しい」「違和感」にはならない・・・ような。
こだわりは愛だ! と改めて。


久しぶりに、思い出したくもないくらい苦しかった時のことを思い出して、不快になった。
そんなポイントは両手で足りるほどでないくらい、いっぱい、ある私。
小さなころから、30歳ちょっと越えるくらいまで?
強制的に思い出させられたような感じがして・・・
「何を言わせるんだよっ」と思いながら言葉にしたと思う。
もう思い出したくもない。語りたくもない。
「そんな私」であったことなど。
そしてそんな者が、なぜかまだ、こうして生きさばらえている、ということも。
無かったことにして。隠して。思い出さないで。生きていきたい。
不思議。なんで私まだ、こうして生きていられているんだろう?
「病気」で麻痺させてもあふれるほどの
怒り・悲しみ・疎外感・孤独・絶望・・・で、
「私はこの世界には相応しくない」と嘆きながら?
そんな「過去」など、もう、誰かに、分かってほしい、知ってほしいなんて、思ってないんだ。
分かってもらえたとして、分かってくれた演技をしてもらえたとしても、
少しも救われないことを知っているから。
「わかって呉れる人」「構ってくれる人」そういう努力をしてくれる人?など私が欲しがるかっ。
そんじょそこらの共依存中毒者と一緒にするな。
私は、どこまでも「逆の」努力をしてきたんだよ。
誰にも分かられなくても、構われなくても、拒否されても、傷つけられても、一人立つことに耐え、
「分かられないのがあたりまえ」「分からないのがあたりまえ」許して、受け入れて、愛するんだと。
そういう怒りもあったと思う。
苦しかった時のことを語るのは、苦しいことなんだね。
想いや感覚には、時間の差は、無いんだね。(これは私の場合だけかもしれない?)
大事な気づき。思い切り、身体中の大きな傷跡という傷跡をこじ開けられた感じは、まだ残る。


いろいろしんどかったんだけど、何とか出かけて来たよ。
さくら、きれいだった!
2時間前は、こんなに咲いてなかったんだよ、待っていたみたいに咲いたね!と
2時間前から居た、というおじさんが話しかけてきてくれた。
久しぶりに、私、こんなに幸せでいいのかなあ・・・って思って。

増税前だけど特に何もしてない。
10万100万1000万の、「前から買おうと思ってたんだ〜」な品物の場合は
「急いで急いで」でいいと思うんだけど、
4月から突然、みんなして買い控え、の方があんまし良くないような気がするな〜
ということで極めて平常運転。
これで日本の最大の安定財源になるのですね。頑張って納めて行きたいと思います。
(↑愚民?)