やっぱりさ

赤ちゃんポストじゃなくて、自分ポストが欲しい、という夢を見た。
そう願っていた頃の夢。

あれほど許し難きを許し、何があってもこの場所のために、と
すがり続けたセンターから「切り離された」頃のこと。
これだけの症状を持ったまま、数十年など、とても、生きられません。
「本当に怖い病気」過食症、と生きていくなんて、できません。
だからこそ、センターとのつながりは、自分からは、断てなかった、
それは私にとっては、「死」だった。
センターにとっては、ただ、役に立たなくなった者の「見切り」であったとしても。

たくさん、患者は、知らないところで、「見切られる」のを見てきたはずだ。
たったひとりの非情な「決定」に、満場一致でうなずく面々の一人であったはず。
それを、平然と見て来られたはずだ。
「自分はまだ無事、『役に立つ』者であればまだ・・・」
『役に立たなくとも』生活から過食費から医療費まで保証されている人までいたが(当時)。
自分のしてきたことは、こういうことなのだ。

私は、十分幸せになったから、もういいの。
ただ、症状を出してまで、ひとりで、こうして、生きなければならないのは、つらい。
自分を脳死状態にして、使える臓器、血液、体液、組織、全部、必要とする人にあげてくれませんか。
毎日毎日、仕事から帰って来て、症状を出して、
遺書ばかり書いては消し、書いては消し、
荷物を減らそうとして、衣服、本、書類、を どんどん捨てた。
あまり捨てるものがないつもりだったけど、あるものだね、余計なもの。
裸で死ぬって、大変なんだ・・・と思った。
なんて、いろいろなものを身に着けないと、生きられないんだろう?

もう、「こんなこと」に支えられて生きなくてもいいし、
「莫大な過食費」のために、無理をして無理をして働かなくていいし、
もう、「助からない」者たちがそのまま見捨てられ、
「助かる」(お金が数百数千万とある)者だけが、「ちやほや」されるのを
心を痛めながら見ることもない。
恐ろしい嫉妬を無理やり抑えることもない。
これ以上、人間の恐ろしさ残酷さ下劣さなど見たくない。
私の中に見たものだけで・・・たくさんです。

病気だけが、残酷なんです。
センターが悪いわけじゃないんです。
私が、私たちが、生まれる前に自身で選んだ病気が悪かったんです。
それでも私は病気のおかげで幸せになれました。
ただ、それでも、この量の症状は、ひとりで、数十年抱えていくには、耐えられないものです。

私はもう十分幸せになったので・・・
生きたくても、生きられない人に、私の使える一部は提供します。
「そういう施設」で、そこのドクターかな、に、じっと話を聞いてもらって、ぽろぽろ涙をこぼす、
そんな夢を見た。
カーテンの向こう側に、白い脚が見える。
「私も早く『あっち』へ連れて行って」

あれから3年以上経つのに、またこんな夢見て。
別にあの頃ほど切迫はしていないけど、確かに、病気で、暮らすことは つらいんだよな、
「やっと楽になれる」
「もう生きなくていい」
って思いたい・・・というくらいに。この病気は。