記録 2013.11.13.

*まず、勇さんごめんね。
私、あまり調子よくないと、まず「否定」してしまうから。心の中でね。
だからあまり言葉にはしないようにしてはいるんだけど。
何でもかんでも「いいじゃない?」「OK」って受け入れられる人になりたいな。
ま でも 今日の勇さんの状態では 例えそんな反応をしたところで
「アンタはいいよな」
「わかったふりなんてしないでよ」
だったかも・・・しれないし。
どっちにしても苦しかったかもしれないね。
受け取り方が悪いのは、そういう心の状態であるのは、
本当にどうしょうもないわけだけれど、
頭で書き換えや切り替えが出来るなら、努力は、いいかもしれない。
じょぜさんの言う、「カメレオン」になれる・・・
目の前にいる人の頭のコピーが、すぐに自分の頭の中に出現する・・・
「自分」がなく・・・「自分」を持てず・・・「自己主張」など更に許されず・・・
という育ち方をした私たちは、寧ろ、それは「得意」な筈。
誰か他人になったつもりで、考え方、受け取り方を、切り替え、書き換え。

助からない悪化した肺炎に対する有効な治療法を持たなかった時代、医者は、
よく、胸に湿布をしたというんだけれどね。
私たちから見たら、無効な「治療」も、気休めに、ほとんど「おまじない」のように、
されていたことがあったのね。
心因性のさまざまな不調、普通には見られない「症状」を、
(患者からしてはほぼムリヤリに)身体的な原因からくるものとして、
「投薬」で何とかしよう、というのも、
そんなふうに、だんだん「古い」時代のものになろうとしている感じはする。

どんなに酷い「依存症」の心に仕上がってしまった大人の心も、
一人で立てるようにはなれるんだと、私は信じる。
経済的な自立、ということもあるけれど、それよりも、一人でも、
いろいろ、健常の人と比べたら「無くても」、
満たされて、人に分け与えるくらいに、すっと立って居られるということ。
「症状」を完全に無くすよりも前に、そうして「立てる」ようになることのほうが
大切なのではないか、と思う。
そして、それは、誰にでも出来ることなんだと、私は信じる。
ある特定の組織に属さなければ、とか、
ある一定の額の金銭を、積まなければ、とか、そんなことは、ないのだと。
寧ろ、そういう「しがらみ」なるものは「障害」でさえあるのではないか?と。

*フルーツさん 私にBFですか。もっ。その気持ちだけでありがたやー。
東京も最高気温が一桁ですね、ここ何日か。
おひさまはあれど、風がつよくて、変な顔して歩いている人が多いですw
(やな観察してんな)私もたぶん(見てないけど)顔が四角くなってる。
冬の満員電車の「ぎゅーぎゅー」は結構好きですね。
コロコロをしまくりたい人多数。
寧ろ自分が巨大なコロコロになったら?!などと楽しい妄想w
夏の満員電車の
腕&びしょびしょの背中が「べちょ」 とか、
目の前のおじさんの首筋に汗が「つー」 とかは、
(> <)ひぃ ですけど。

なんかもう。「お願いだから早く寝てくれ」(よく言われたなあ。ベッドで。いろんな人にw)
そうやっぱりあんまり調子はよくないから、早く寝るようにします。
もう少しまともにかけるといいなあ。(は?)