記録 2013.06.04.

2010年の9月。
2年と10ヶ月前のこと。
私が丁度、ここへ来て、
一週間の大半の時間を過ごすようになって1年が経った頃。

「ああ、もう私は、生きなくてもいいな」
という出来事があって。
「もう本当に、精一杯生きたな」
毎日の、ハードワーク。(当時の私にとっては)
過食嘔吐も毎日。
相変わらずの生きていくので精一杯の状態に疲れきり、
そしてなお、「良くなれる」可能性が絶たれた、
命乞いをするように縋っていたものを叩き切られた、という
状態で・・・
裸で死ぬって、なんて大変なことなんだろう、
と思いながら、「身辺整理」ばかりを、時間をみてはやっていた。
「もう私は生きていかれません」
「こんな『症状』を抱えて、数十年など、生きられません」
「私は、もう、充分幸せになったから・・・
 もう、この人生で学ぶべきことは、充分学んだから」
「生まれてきて、よかったって、思えるから」
心の中は、真っ黒なのに、こんなに孤独なのに、
どうしてこんなにあったかいんだろう。
不思議な、涙が、仕事の後ひとりになると、毎晩止まらなくて、
早く、全部「荷物」整理しよう・・・
早く、この仕事の契約も、自分から打ち切りにしよう。
代わりなんか、幾らでもいるような、仕事。

2011年3月の震災を経ても、
相変わらず「そんな」状態で
生きているんだか死んでいるんだか。
「私には、もう、欲しいものなんてない」
10年後?1年後だって、生きているかわかんない。
この状態のまま、生きていたいかもわからない。

「節電の夏」も過ぎ・・・
秋くらいのことだったかな?
急に、「私、生きるつもりだ!」という「感じ」が「蘇った」の。
何か、すごく、環境の変化があったというのでもないのだけれど・・・
半年先、も、よく分からない・・・ぼんやり、した感じから、急に。
10年後も20年後も、私は生きている。
「長く続く道」を、見た?見たいと思った?急に・・・

今の私はね、これは、仕事で日々関わっている人たちが、
毎日、毎日、少しずつ、私を変えてくれたんだ、と思ってる。
生きるために仕方ない、から、身体をひきずって、
日々共に同じ事のために集まり働くうちに、
「普通の人の」普通の生き方感じ方を見せてもらい、
「普通の人の」条件付の愛情を、
やりとりすることを教わっていたのだと思う。

私の心の、病的に欠けた部分を、気づかないくらいにすこしずつ、
補って癒してくれたのだと、思う。

今更のように、酷い愛着を感じる。
私は・・・充分に返せていたのかな?

いつまでも一緒。って思ってた?
明日も来週も来月も来年の今頃も、
ほぼ毎日同じようにここへ出かけてきて、
皆で同じ事の為に働いて、帰って行く
繰り返しをしているのだと思ってた?

精一杯頑張ったんだから、悔いはない。
なんて嘘。
日々、共に戦ってきた、そのことは消えない、
誰もの中に、確かに残っているのだから、
寂しくない。なんて嘘。
自分なりの全力で、「頑張った」「愛した」のだから、
いつか誰もそれに答えてくれなくなっても、
完全に忘れられても、
私はたった一人になってしまっても、
自分の中に愛が残るのなら、大丈夫。なんて、嘘。

ごめん、もう一緒には戦えない。
・・・誰も悪くなくて・・・
・・・私だけが、こんな思いなのか・・・
このことがこんなにつらいなんて、思ってもみなかった。

人との別れがつらいなんて、思ったことはなかった。
独りにされることが、寂しいと、
「置いていかないで!」
「もっと一緒にいて!」と思ったことはなかった。
どんな人とのでも、
「別れ」は寧ろ「楽になること」で・・・

私、初めてかもしれない。
人との別れが苦しい、寂しい、つらい、
と感じてる。
人前で表現は出来ないけど。キモチワルイとは、思わない。


・・・普通の人間になってきたんだなあ。
みんな、突然、本当に、ごめんね。