記録 2013.06.03.

タイトルは、林檎さんへのオマージュで。

先週の金曜日の夜遅く。
もう本当に木金と大変で、(ひとりメンバーが欠けていた)
ぼっろぼろだったところへ、一本の電話。
ここ2〜3年で一番なんじゃないかな(震災以来?)、
というような出来事を知らされた。
久しぶりに泣いた。
心が動いた。
必然、いろいろなことを考え、思い、振り返ることになった。

詳しくは、また、文字にする時間があれば、
記したいと思うが、
いろいろな想いがあるけれど、本当に想うのは、
人にも言われたけれど、
「どうして私はこんなに大人で冷静なんだろう」
本当はもっと、とりみだしたり、
泣き叫んだり、驚きあわてるような、
怒ったり悔しがったり恨んだりしたって、
おかしくない状況だと、客観的には分かるのに、
不自然に、冷静で、人の前では平気で元気・・・
周囲の心配ばかりをしている。

やっぱり、私は、だから病気なんだ、と思う。

震災の時も、その後数ヶ月も、一番、平気で元気で冷静だった。
揺れの真っ最中でだって、
いろんなところのドアを開けに行って「押さえ」をしたり、
落ちたら危ない!ものを床に降ろしたり・・・

本当は、もっと泣いたり、わめいたり、
「つらい」「疲れた、もういやだっ」
・・・という顔をするのが「自然」なんだろう場面でも、状況でも、
不自然に、冷静で大人で・・・
うまく、表現できない。
いや、それ以前に、感じられない。

そして、「感じられない」「表現できない」代わりに、
過食嘔吐や鬱、原因不明に「かゆい」という症状をもつ。
随分「感じられ」「表現できる」ようにもなった
(その分、症状が減ってきた=必要でなくなって来た)
と思っていても、まだまだ、残っている「感じられていない」感情。

受け取り方の切り替えも速すぎるために、
置き去りにされてしまう、多くの大切な思い。

これから更に日常が忙しく、精神的な負担も増えるけど、
せめてよく休んで、
過食嘔吐はしてでも、
栄養は摂るように頭を使い努力して、
くるくる変わるこの心の動き、
どんな「感じ」も大切に丁寧に受け止めていきたいと思う。

大事な「きっかけ」をもらったのだ。

幼い頃に身につけられなかった、
「感じる」「表現する」を覚えることこそ、
普通の、健常の人間に近づき、
訳の分からない異常な症状を減らす、
たった一つの有効且つ無害な方法だと信じる。