みんな不調そうだ。けど。

不調だ。
平日日中の過食衝動も強いし、
理由のない、何もかもがイヤだ、早く怖ろしい量を食べて訳分からなくなって、
深く眠りたい。という感じがつきまとう。
いや、でも、仕事をしていると、割と普通で居られるから、
1年や2年前の同じ頃よりは、ずっとずっと良くなっているのだろう。
症状が出る日のほうが多いけれど、1年、2年、3年前の秋冬の半分の回数だし。
週末、休日でも2回出ることはなくなった。
仕事をしていても、もう息をするのもしんどい、もう無理、一歩も走れません。
という日の方が多かったのだ。
それでも、「今日これだけ終えなければ、帰れません」というものの多い仕事で・・・
どうやってこなしていたんだろう。
自分のど根性に、今更驚く。

普通の人と較べてしまうと、つらいけれどね。
それでも「較べられる」レベルにまで、生活のレベルがあがってきたということだし。
休日に、出かけたい、
読みたい本がある、
調べたいことがある、
会いたい人がいる、
・・・ということに、「自分もそうだったらいいのに・・・」と思える、
レベルにまで、来たということだ。

働いてきた、ことを有難いと思う。
普通の社会と、強制的につながってきたことが、よかったと思う。
働かずに、センターの活動だけをして、センターに必要とされていれば、
「回復出来る」選ばれた人間でいられる、という世界だけに
「閉じ込められる」ことがなかったことを、「良かった」と思う。
(センターの活動すら出来なくても、衣食住・過食費丸抱えで
 回復出来る子まで居た・・また書きたいと思う・・・ってこればっかだな私。w)
悔しかったし、嫉妬もあったし、それを表現しても全否定されて、
本当に苦しかったけど、センターだけが、
「本当に怖い病気」過食症の、
世界唯一の回復出来る機関であった私には、
「センターに居られなくなる」=「死」だった。
センターから強制的に「追放」されても、1〜2年はそれが残ったのだから、
怖ろしい、の一言だ。
「早く忘れなさい」とあの人は言う。
私も、周り中からそう言われてきたの。
センターの影響を取り除くほど、回復は早まる。
今は私もそう思う。

みんな元気かなあ。。。
やっぱり、同じ病気だから、
同じ病気を起こしてくるようなものを、
心に抱えて生きた者だから、
今でも一人残らず愛し仲間。
私は、そんな仲間たちの、
プロオブ・普通の社会とつながりつつ遅い速度で回復する摂食障害者・
プロオブ・センターの問題点を表現できるけれど、おそらく一番長い時間を耐えた者。
そんな、プロオブ・受け取り方の修正。

私は、何処までも摂食障害の人の可能性、を信じる。
心や身体や頭のポテンシャルの高さが、生活のある部分は「不便」でも、
それを補ってなおあまりあるほど、病者も周囲の健常者をも幸福にする。
一人残らず「必要な」子。
たくさんの「不便」や「嘆き」があっても、
この病気の人の心と身体は、それを超える質と量の幸せを生む力を、生まれつき持っている。
信じさせて、と常に、願っている。