Reminder for myself,1104.

今日は、午前中は過食嘔吐して、
それで、読もうと思っていた本とか、やろうとしていたことがダメになって、
(でも別にがっかりはしてない、症状が出たらダメになるだろうな、と前から思ってたから)
でも、夕方外出する予定があったので、
3時半くらいまでうとうとして(嘔吐後はやっぱり1時間は寝ないとダメ、年だね!w)
クリーニング屋に寄って洗濯物を出して、渋谷へ。

亜稀さん、という中学生の子とやりとりをする機会があった。
拒食→過食(嘔吐なし)に移行しつつある人。
14歳・・・早いな・・・
この病気、不便で、無理解な周囲からは「だらしがない、意志が弱い」と責められるし、
症状の量にもよるけれど、経済的負担もすごいし、
原因もはっきり分からない場合が多く、従って治療法も確立されていない・・・
大体、感受性が高く、丈夫な胃腸機能と、「頭がよい」と言われることの方が多いような人がなる。
そういう点でも、男は秀才、女は美人がかかる、と言われた戦前の結核によく似てる。

繰り返しになるけれど、この病気の人にとって、
食べることが普通に出来ないこと、は、
風邪の人がくしゃみやセキを我慢できないのと同じことだ。
風邪の人が幾らくしゃみやセキを我慢して出さないでも、
風邪それ自体のウイルスは身体から無くならないように、
摂食障害の人が幾ら意志を強く持って、普通の人と同じようにして「我慢」しても、
摂食障害のもとになっている心、は、何も変わらない。
風邪の人が、くしゃみやセキを我慢しないでも、薬を飲んで安静にする、をきちんとやっていれば、
我慢しないでもくしゃみやセキをしないで済むようになるのと同じに、
摂食障害の人も、治すために必要なこと をきちんとやっていけば、
我慢しなくでも、普通に食べることが、出来るようになる。
意志を強く持たなくても、普通の人と同じように、食べることが出来るようになる。

では、風邪の場合の、「薬」「安静にしてよく休む」にあたることは何?
過食症を治すために必要なことは、何?
ということになるけれど、
とてもじゃないけれど、文字で表しきれるようなものではない、と思う。

私が表現できるのは、非常におおざっぱには、2つ。

(1)過食、拒食といった「普通には見られない異常な症状」で、
覆い隠すことが必要になったような、
耐え難い○○をきちんと感じ取ること。
(○○;怒り、寂しさ、嫉妬心、虚しさ、悲しみ、憎しみ、不安、不満、恐怖、・・・)
感じたからって、なくなるわけではないけれども、
きちんと感じて、認められると、その感情はあるままで、病気の症状は無くなる、か、減る。

(2)心の中に、愛と感謝の気持ちを増やすこと。
そういう気持ちを持てたら、表現すること。
摂食障害の人は、大体「もっと愛されたい」
「もっと心配されたい」
「もっと注目されたい」
「もっと認められたい」という気持ちのカタマリなのだけれど、
それを自分の外に求めて、幾ら愛され心配され賞賛されても、満たされない。
(ので、さらに愛されるため褒められるために頑張ることになる)
欲しいその愛を、賞賛を、周りに与えているうちに、その
「もっと愛して、褒めて」という気持ち(と行動)は、だんだん収まってくる。

これは、どちらも、それぞれが、やってみないと分からない。
その難しさも、感じられないと思う。
困難にぶつかった時に、どうすれば乗り越えられるのか?などは、
さらに分からない。
「医療」が「未発達」なために、(1)(2)を最速で安全に行える定法が確立されていない。
抗生物質がなかった時代に、現代では助かる感染症が、助けられなかったように。

私は、この2つを5〜6年がかりで真剣にやってきて、いろいろの症状を減らしてきた。
「普通の人間の暮らし」を、取り戻してきた。
そして、他の人の上にも、同じようなことが起こるはず、と信じているし、
同じことをしたい、と思う人へ、何かが出来れば、などと思っている。

(また書き直すかもしれない・・・)