好きな人欲しいなー。なんて。

この人、私の事、好きなのかもしれない?
私、この人の事、好きなのかもしれない?
彼?もちろん男の子です。完全な。(・・・・)
久しぶりすぎて、何年ぶり?!かすぎて、
もうとっくに忘れました、みたいな、感覚が、最近あって、
また、戸惑っている。
「いや、そんなわけはない」
「では、あれは何?」
打ち消す「考え」と、補完する「小さな事実」と「憶測」を、
共にたくさん用意して「武装」する。

これが病気ということも、自身が抱えた重大な心の問題のことも、
何も知らないまま、「つきあった」「好きだった」人は、何人もある。
今振り返ると、どれも、「異常だった」と思う。
「病気の心で選んだ人」というよりかは、選ぶも何も、
自分から好きになったことなんて、一度もなかった。
どんな男が好きか?
どういう風にしたいか?
そういうもの、何も無いまま、30年以上。
私は女どころか人間ですらなかった、と思う。
どの相手の時も、相当に我慢し、あわせて、尽くした「彼女」だったと思うが、
何もかもが、酷く、「失礼」だったと、今は思う。

・・・こういうことを、振り返りたくない、と、思っているのかもしれない・・・

私はこの病気を癒す過程で、どれほど「人間」「大人」の女、になれただろうか?
そんなことを考える。


【博愛】や思いやりに溢れた愛(愛の光エネルギー)は、
与えれば与える程、減るどころか倍増する。
※夢の中の【愛】の姿は夢見者の「愛する気持ち」を
そのまま表現されることもあり自己理解に繋がる。
【おとなの愛】の夢は「互いに尊重し影響を与え合う関係」で表現され、
人生の伴侶となるパートナーの必要性を強く感じている。
【思春期の愛】は自分の欲求を満たしてくれる相手だから愛する、
目的を恋人が叶えてくれるから愛する…と表現されることが多い。
【子供の愛】は、身体的・情緒的・社会的に愛する人に完全に依存しているので、
愛する人と「常に一緒にいたい」という形で表れる。
恋人は傍に居なくても、「気持ち(魂)が寄り添っていれば良い」事を知るべき。
そしてあなたが誰であっても、相手がどんな立場の人でも、
誰かを【愛する】ことは決して罪悪などではなく素晴らしいことである。
ただ「愛」と「欲望」は別物だということを、忘れてはならない。