なつやすみ(2011)

暑い。
外出は、もう何が何でも日が落ちてから、と決め込んで
(日やけどめ塗ってても、着込んで耐えてwも、焼けるしね・・・
特にくちびるが 乾燥しまくって、皮むけちゃう)
日中は窓全開で、座ってるだけなのに汗だらだらかきながら(もう今日は風もない・・・)
PCつっついて、
新聞・本・雑誌を読んで、
ちょっと「夏休みの自由研究ライク」な「資料」つくってたり。

今作っているのは
今更のように
●米国・
中国・インドの地方行政区分、州都(省都)のまとめ地図描き。(本当は模造紙サイズで作りたかったり・・小学校4年か5年の時の夏休みの自由研究、日本のそういう地図作った。人口、県のマーク、花?とかものっけて)
●歌詞カードのまとめも。
(ネットがなかったころから、自分で手書きのノートを作ってたけど、あまりにも継ぎ足しや、貼り付け、書き込みがすごくなりすぎて検索しにくいし汚いので、きれいに印刷してひとつのファイルにまとめたいなーとか思ってて・・・ってもう5年くらい思ってるような気がするw)

センターに「諦められて」4年・・・「お前は役に立たないから、治る資格なし」と、つながりすら許されなくなって1年・・・
それでも、症状が更に減って・・・鬱状態もどんどん良くなって・・・
身体の自由が、相当、まだ、普通のこの年齢の女性の標準ほどではないのだろうけれど、
きくようになってきたことを、節目節目ごとに感じる。
でも、なんだろう?面倒くさい、鬱っぽい、というのではなく、
「でも、生きて、どうするの?それが何?」という感じが常にある。
4年前の春の一頃のようにものすごく苦しくて、自分を責めすぎて身動きも取れない、という感じではない。苦しくは無いけれど、不満でも孤独でもないけど、なんだか、暗い。
私は恵まれてた。満たされてる。今幸せで これからもずっと幸せだろう。
愛するも愛されるも、自由で。
憎まれたとしてもそれは愛の裏側にあるもの。
無視されて無関心で居られたとしても、(ん、ちょっときついな)wでも、もう「がんばって」コントロール(関心を惹くように)などする必要もないし。
目を閉じても 耳を澄ましても 暗闇の音のない場所でも 不安じゃないよ。不満じゃないよ。ひとりじゃない・・・
けど、これからも、生きなければいけないのはなぜか。
が、わからない。
私がやってきたこと 見てきたもの が、必ず、未だ会えぬ人々の役に立つ。と、確信をもってはいるけれど。
でも、それが恐ろしい傲慢につながっているのではないか?
女王様ごっこになっておしまいなのではないか。
結局、「自分は正しいって認めて」と押し付けて人を傷つけるだけになるんじゃないのか。
人を喜ばせて 自分の手柄かのように思って 増長していくだけじゃないのか・・・?
おそろしいことだ。

ひっそり。何も発せず、ひとりおとなしく生きていればいいのでは?
センターでやっていたことを、私も、ひとりで、誰かと、やってみたいと思う気持ち。
に、支えられるように生きてきたけれど・・・
愛する。なんてね。私、そんな器じゃないでしょ。
そう思ったら、一人満足で、未だにかなり重い病気の身体を維持して、こんなにあくせくして生きなくてもいいじゃん?
なんて 思ってしまう。

それでも祈り:
私が苦しめたあの子に、やさしい人が触れてくれますように。
分からなくてもいいから、笑ってくれるように。
笑わなくてもいいから、ひとりにならないで、と・・・
そんな人がそばにいてくれますように。
それがかなわなくても、
美しい風景が、快い感じが音が香りが、一つでも多く降って、
勇気付けてくれますように。