過食嘔吐の回復報告2011.07.03.ver.

相談前 過食嘔吐 一日中 一日1万円 15年目
相談後 過食嘔吐 187日完全ストップ 軽減 1976日 量・時間数は最大時(2000年、22歳の春)の1割以下
過食費 相談後1528万円節約 (月30万円 10年3650万)

**ポカポ報告**
日中の一番気温が高い時間に、窓全開で、煩瑣な事務作業をしてしまった。
朝の涼しいうちにやってしまって、昼寝すればいいのに。
なぜか朝新聞や本読みながらうとうとして、昼頃からのそのそ活動開始。

レシートや領収証をスーパーの袋に1か月分くらいためてしまってね。
日々のメモや切抜きもバラバラに散った状態でアチコチに放置。
いい加減にノートとかにまとめればいいのに。
会社でそういうのばっかりやってるからかな(細かい事務作業、更新、まとめ)、
家ではそういうとこ、だらしないと思います。

意外とクーラーなしでもいけるもんです。発見発見。
職場では、もう本当に毎日毎日「こんなんで夏生きて越せるのか」とぐったりするけれど。
事務なのに。冬でも汗かく。他の人も業界を知らない人に話すと「事務なのに?」と怪訝な顔されるとかw

今日は風があって。30度超えているけれど、夏の高い日は差し込まない深い屋根のつくり(ので、昼間も要照明)+風がびゅーんって抜けるから、わりときつくはなかったのかも。
網戸ばんざーい。築37年ばんざーい。
コーヒー牛乳も水筒に作って。サーモスばんざーい。
牛乳100として、熱湯20氷80、コーヒーの粉1.7-2、砂糖7-8でかなり甘めに作ってる。

甘くて冷たい飲み物も一年中で、一番美味しい季節。
私は人工甘味料の甘さが好きじゃなくて(残る感じ)、お茶も味がきつい感じがして、飲み物はあまり買わない。手作り。(水筒女子)
重い、しっかりめの、砂糖の甘さが好き。

去年の夏は、心臓に熱が溜まっているような不快感があって、いつも吐き気があった。
(それでも過食衝動は今よりももっと強く頻回だったと思う)
今年はそれがすごく軽くなったと思う。

2回前の夏は、症状が丁度今の2倍あった。
午後9時頃のラウンドと、午前3時過ぎのラウンドがある日がほぼ毎日だった。(それでフルタイムで働いていた 欠勤・遅刻・早退は今の3倍はあったと思う)
水道料金の領収証を整理した時、水道代が丁度半分になっていた。(入浴・洗濯は今ほど出来てはいなかったのに)
素直に「よくなってるんだな」と思った。

その間に 感じてきたこと。受け止めてきたもの。出来事。努力工夫して出来るようになって来たこと。
思い出して、
どんなこともきちんと受け止めること。心も身体も敏感になって、感じること。
「責任」をきちんと取ること。逃げないこと。
大丈夫できる。を保つために、心も身体も頭もよく休めること。
「生きる」を「諦めず」続けることの大切さを感じ。
たくさんの人・ものに助けられて今存在できていることを感じ。
症状をまだ多く残していてでも 幸せだなと 思う。
ある時「病気でも生きているだけで幸せなんて、あなたは、言ってはいけない。そういう立場じゃないから」と「指示」して来た子がいたけれど。
それはあなたは治るつもりで。
助かる・助ける側の人間のつもりで。
過去の私と同じように。
「外の世界」が、今のあなたをどう見るか、想像したことありますか?
危ないのはあなた。その時の私は思った。
少しはその傲岸を悔い、自分の言っていることの恐ろしさを知り、成長もしただろうか?

回復・成長を続け、普通の世界に帰るほどに苦悩するなど、彼女たちの一人にも、許してはならない。
あの頃の私と同じ苦しみを持つ子が、どうか、ありませんように。
そんな「許されない感じ」を、表現を出来るようになる頃には、症状が、普通の世界で生きられるほどに減っていますように。
なぜなら、表現する者は、そこには、居られなくなってしまうから・・・
残念ながら、それが、今の世界の現状・・・
摂食障害という病を選んで生まれてきた子たちを取り巻く現実。

それを許しているのは他ならぬこの私。
の、自覚を忘れずに。
どこまでもきちんと働いて、生活をして、
且つ、あの思いと願いと祈りとを忘れずに
勇者たちの続く道、当人たちの意志に反して絶たれるようなことはあってはならないと
想いを忘れずに・・・

そして何よりも:
愛させて呉れる人に。
あなたを病気のままにしておくことは100年、1000年後の世界にとっての損失だ。
とも・・・
常の、限りない感謝と畏敬とを忘れないで
付記しておきたい。