記録 2019.02.07.(・3・)変な時間に雑記

*やっと12月の新聞のまとめが終わった。
周回遅れだな。って一緒に回っている人もないんだけど。
全部自分で勝手に決めてやってることで並走者なし。
基本的にノートに手書き。それも1センチくらい罫線に2行入れるフォントサイズで限界までみっちみちに書き込むピッチで狂気。
(大体0.28か0.38のシグノのスタイルフィットかゼブラタプリの0.5と0.7で書いてる。15色くらいかな。)
もしかしたら居るのかもしれないけどつながりはなし。

*何が。ではないんだけど、急にものすごく悲しい、苦しい、いやだ、違う、そうじゃない。
となって、縦になっていられなくなる。というの、何とかなんないんだろうか。
やってしまいたいこと。が、いろいろ、あるのに、しんどくてしんどくて、
ふとんにもぐりこんでしまう。
この紫の錠剤をのめば、1時間はそれを止められて、「がっ」で、何でもかんでも、はかどるはかどる。
そういう錠剤があればいいのにな・・・
(ハイハイ依存症w)

*やめたくないよぅ病。がひどくてしんどい。
もっとわくわく ドキドキしたいのになあ。
自分を、自分の歴史を、数十分のうちに全力でプレゼンする楽しみ。
まったく知らない業界、品物、初めての会社に行っていろいろとお話を聴かせてもらえる楽しみ。
どれほどいろんなポジションに興味を持っても、行かれるところはひとつだけしかない。
しかもそれは「呼ばれて」行く場所だ。(英語で職業のことをCallingと言ったりする)
すぐ決まっては、つまらない。
そんな感じに、もっと前向いてギラギラしたいのに、
引継ぎほぼ終わってるのに、やめたくないよーー
幸せなことのはずなんですけどね、世の中、「やめたい」「やめてやる」と言いながら
生活人間関係その他の事情でなかなかやめられない、やめさせてもらえない人も多いのですから。
何度職場を変わってでも「やめたくない」ってグスグス言いながら辞めてるってこと。
今回はいろんな人が「やだよー」って一緒になって言ってくれたしね。
人生のイグジットもそうでありたいもの。
(しかし孤独死が理想。なんて思ってるwはやく人間になれよw)

*眠っている間も何かと戦っている。かあ。
それに気が付いてるだけでも快方に向かっていると思う。
しかし一般的なサラリーマンで、一家の大黒柱で、週末はお父さん業、では、
たとえ「休む」「リラックスする」ことが出来る健常人であったとしても余裕もつのが大変なのに
ますます大変ですよね。
症状が出るほどの病人はみんな、記憶もない生まれた日から、
健常の人以上に、少なくとも何らかの閾を超えるほどに、
「何か」と戦って、過度に緊張して、休むことがうまくできないまま、ひきずってひきずって、身体だけ大人になった。
でも、そのことに気が付けているだけでも
すごく良くなっているんだ、と自分のことを振り返っても思います。
自分の苦しさや痛みに気が付いてしまうのは「怖い」
しかしそれに向き合える者、認めて受け入れて許せる者が、それが出来た分だけ症状が消えていくのを「見る」ことが出来る。
病人本人一人だけの世界。
そういう専門の組織や施設に属しているのでなければ、
普通のお勤めをしていると、めったにその現場や過程を見ることはないのだけれど、
時々、わずかな数のネット上の記述の中にそういう過程を見る。
技術の進歩がその時代その時代の死病(または殺してくれない病)を駆逐してきたように
30,40年が経てば、莫大な「心の動き」「この種の病気の快復データ」までもを吸い込んだAIが
「適切に育たなかった心」の症状を元から絶つべく適切なアドバイスをするようになるのかもしれない。
まあ その頃にはまた全く今は想像もできないような病気や脅威が発生しているんでしょうけど。
(それこそサイバー犯罪とか、バイオ兵器とか)

*こんな時間にグダグダ書いて、まあ、ちょっと頑張ってきますか。
皆様に幸あれ。(姫様オマージュ いつもいいなあって思っていてね。感謝と祈願で閉めるブログ
 米国の演説のGod bless you and may God bless the United States of America! みたいな?)
調べたら1973年のニクソン氏の演説で言われたのが初めてみたいですね。GDGD.