記録 2018.09.01.(・ +)

*うーん。調子が悪いな。ぐちぐちと吐き出したいけど。
普段如何にも殊勝ぶっているので、チラシの裏にくらい、言葉にするのも憚られるような、
浅ましい恥ずかしい薄っぺらで幼稚でドス黒いを通り越して異臭・死臭、という、私の内面についてウダウダと書いて・・・
って、そうしようとすると「・・・」となる。
おっ。認めたくないか?

*Input過剰。とか一時期よく書いていたと思うんだけど
いや もっと量を読みたい、読める聴ける量を増やしたいと思うこの頃。
でもほんとにしんどいんだよなあ現行の量こなすのも。
無理スンナ〜wなんだけどさ。
予備知識があれば、もっともっと身になっている言葉や考え方が多ければ、量をこなせるものなのかな。
基礎は大事ですね。マジで。何事も。
まあでも。そもそも・・・
人間の基本がなってない。みたいな言葉をぽわーんと思い出して、また(- -)こんな顔になる。

人間の基本。自分の身体で。心で。感じること。「私の」好き・嫌いがわかること。
相手の反応が予想できても、それを伝えられること。あえて伝えないことを選べること。
・・・そっからして・・・2−3歳児未満なのではないのか。
本質は幼児が、ババアのなりをして。
ババアになっても、「内容」が「成長できなかった外見だけ人間っぽい『何か』」で。
それが、「訓練」を耐え、様々な言葉や考えで武装し、一見普通の人間風の何かを、装って、世界に、しがみついて生きている、と。
・・・
・・・
あーキモイキモイ。ヤバいヤバい。

ちょっと弱ると↑の無限ループで、くらくらチカチカしてきて、頭を抱えてしまう。
これは、私の感じていることか?
また、誰かの顔色、機嫌が最優先になってないか?
それをコントロールできるかのように勘違いして「頑張って」いないか?
「こわい」と「わからない」だけになって、苦しくなってくるあの感じ。

人が、イライラしているのが自分のせいのように受け取れてくる「あれ」。
人が、苦しそうなのが、悲しそうなのが、寂しそうなのが、全部全部私のせいに思える。
だから、時々、笑ってくれると、喜んでくれると、
「自分の思い通りにしてくれた!」って褒めてくれると、
あの勝ち誇ったような満足顔を見られると、
一瞬、安心できるのと同時に、
自尊心の最後の欠片もぐちゃぐちゃになり、猛然と怒りがこみあげる。
なぞの怒りが。
幸せな、何もかもに恵まれすぎるほど恵まれている、
怒りなんてある筈なかった私は身体に痛みを、おかしな症状を、時々、抵抗のように示していたが、だれも本人すら気が付かなかった。何十年も。
・・・こんな者が、人と生きられる筈がない・・・

ねえ、磨けば光るって思って、いろいろやらせてみたけど、そうじゃないのね。
とんびは鷹を生まない!蛙の子は蛙!
今度のことでホントに、よく分かったわ〜
(何かに失敗したか?塾か何かのクラスが落ちたか?)
目の前で電話でママ友に笑いながら話す。
どういう風に育てたらあんな風になるのかしら?
あなたが「そう」だから妹がまねする。しっかりしてちょうだい?
あなたがちゃんとすれば、妹はついてくる、そう思ってやってるんですからね?
この人の親も、今頃、この子を育ててよかったーって思ってるんでしょうね。

自分はよく生きて来たよな。うんうん。
これ以上何をどう頑張るってんだ。もういいよ。ホントもういいよ。
(・ +)
ま せいぜいよく休むこった。(to自分)という自己完結。
はぁ。ふぅ。

最近ちょっといいなと思った言葉2:
*成熟とは、何かを獲得することではなく、喪失を受け入れることである。
*誰もが人生に何かが欠けていると感じている。だが人生とは、欠けている何かを果てしなく探すことではない。欠けた部分を抱えて生きるすべを学ぶことなのだ。

***まあなんかまだいろいろあるんだけど。少し寝ます(- -)Zzz