記録 2018.06.27.朝からずっと風が強くて。

*ちょっと前にちょこちょこ書いてたものを記録として貼り付けて並べる。
今?
(-    -)ずーん。
具合が悪い。
受け取り方が悪い。
卑屈過ぎていやになる。
自分がない。自信がない。
まあ今更だけどさ。

早く寝ないと。
やることはやる。やる時はやる。やったらすぐ寝る。
難しいな。難しいのか?また難しく考え過ぎなのか?


【金曜日の夜】
*久しぶりに「がっ」が来て、いろいろ捗ったな。
感じないって楽。
私は、「こう」して普通の人と同じように動き回るには、感じすぎる。
ある程度は麻痺させて、見ない、聴こえない、
記憶しない、ようにして、で、なければ、とてもじゃないけど・・・生きられない。息も出来ない。
この生き方を身に着けなかったら40年も生きられてたかな?
もっと若いうちに心も身体も限界が来てたんじゃないかな?

人ならざる感じ方をそのまま貫き大切にし躊躇わずに空気を読まず傍若無人に表現し
10年前後しか生きずに精神も肉体も燃やし尽くしてしまうことと
異常な苦労をして感じ方を「普通の人のように矯正」し「一見」人並みに長く生きることと
ま どちらも悲しくてやりきれない には変わりないか。
この感じ方であの生き様。
この感じ方であの生き様。

全くどのワンシーンを切り取っても震えがくるような「気味の悪さ」
いつだって、誰かの。猿真似をして生きて来ただけだ。
嘘も数十年繰り返せば本人まで信じる始末。
自分などなく。持てるはずもなく。
今更のように「どうしよう」と狼狽える。
それらをすべて「つぶし」たくて、「何か」に縋り。
それでも一見、ちょっと見は、普通の人間だったのだ。
あー気持ちが悪い。死んでしまえってほどではないけど。
何かが「ぷちっ」てなって、笑いがこみあげてくる、ほどじゃないけど。
自分が、人である。未だに人間の形をして生きている、ことが何より。

人間一人の一生で学べることは少ない。一代でなしうることは少ない。
一生が短すぎる。とも言えるかもしれないが
やっぱり、私には、人間の1年は、「私」として生きる時間は、苦しくて苦しくて長く感じられすぎて居たたまれない。
100年?正気かよ。と眉を顰めてしまう。
目指せ、70代でも50代の知力体力。
90代で60代の肌のハリツヤ、内臓年齢☆
なんてやんのか。(戦慄)
もっともっと科学技術が進めば、生まれた時からの身体の部位はもう一つもない、というくらい取り換え続けて何百年と生きながらえることも、望めば可能なのかもしれないが・・・

科学技術はいつでもある意味禁忌を侵して進化してきて、
きっと、数百年、数千年前の人からしてみれば、今の人間は、不可侵の領域に無自覚に入り込んでいる。
いや、この感じ方はきっと100年、200年前の人も同じに持っていたと思う。
昔の人からしてみれば「何それこわい」ってことを平気で受け入れてる「今の人」
世界の果てを知ってはいけない。
空は星や鳥が治める場所なのだから、人間が目指してはいけない。
高い山は神聖な場所なのだから、人が立ち入ってはならない。
建物が空高く伸び、地下にも街が交通機関が張り巡らされたこの都市は、
400年前江戸のみやこを設計した風水師からしてみたらどれくらい龍脈を冒し封じた魔を解放してしまっているんだろう?
(そういう研究をしている人はいると思う。見る人が見ると、東京の地図の道の形の上に、今は埋められ、または地下にもぐっている、江戸時代に使われていた水路が浮かび上がるのだそうだ)

【月曜日】
*ありえるんだよねえ。
ありえるどころか明日どころか1秒後にわが身。
でも何にも不思議はないんだよねえ。日本に住んでいる限り。
世界的に見れば震度七でもまだ家が建ってる、街が原型を留めている。
有史以来罹災する毎に積みあげを続け、世界最高レベルの防災減災リテラシーを持つ。
びっくりレベルの日本の建築 インフラ。なのであって。

地下5階の深さの地下鉄に閉じ込められ、余震に「きゃー」とか言いながら真っ暗な中、黙々と群衆は駅または地上を目指し。とか
地上約20階?の高さでエレベーターに閉じ込められ、停電、空調・通信遮断、スマホのあかりを頼りに天井の脱出口があかないかとやってみるも「開いたとしてどうやって降りる?」「無駄に体力を消耗させない方がいい」と全員一致。息を殺して救助を待つ。(その間にも外の様子も全く視えず、聴こえない空間で余震数回)「すみません。トイレ」赤の他人とぎゅうぎゅう詰めの空間で排泄。という稀な体験をする人も数人。
スマホ用の予備バッテリやビニール袋,ペットボトルの水は持っていた方がいいな、距離の歩けない靴はダメだな。と書きながら思った。

(-    -)ずーん。
おやすみなさい。