記録 2016.11.26.

*つらいなあ。悲しいなあ。苦しいなあ。が、収まらないなあ。
人間らしくていいじゃない。
コントロール出来ないんだから、コントロールできる範囲のことは(すごく少ない)、出来る限りして、
それも出来なかったら寝ろ寝ろ。
何もかもが思い通りで笑いが止まらないなんて生きてるって言えんのか?

(金曜日に書いていたもの)
*今日はもうほんとうに朝から何でもかんでもにクッソイライラして、
「もうやだ」「やだやだ」だらけだった。
別にもう今すぐ家にこもってめちゃくちゃカショオしたい、っていうのではなくてね。
そういう自分がイヤで、なぜか、「みんなごめんなさい」と、ぐるぐる。
「やだやだ」の私は、居てはいけないんですねえ。
「やだやだ」がダメなわけじゃないよね。
いつでも「やだやだ」がゼロだから、「いい子偉い子」なわけじゃないよね。(善し悪しっていうよりもはや人間なのかそれ?w)
感じるから、感じられてるから、それでも、どう振舞うかだよね。
・・・ぐるぐる。怒ったような涙目で「よしよし」と半笑い。w(怪)

コントロール出来ることは、コントロールできる範囲で、「正しく」を、こだわって行きたい。
「面倒くさい」「まあいいでしょう(to自分)」に一瞬一瞬、「本当にそう?」と繰り返して。
都合悪いこと、起こってほしくはないこと、いやなもの、汚いもの、不愉快なこと、日々、たくさん降りかかる。降り積もる。
それが、いやだとか不快だとか我慢ならないと受け取るのではなくて
避けて通るのではなくて、見なかったことにするのではなくて、
「正しい」受け取り方が出来ているか?
すっと、傘がさせているかどうか?
最も小さな単位では「掃除」「衛生行為」だ。
じょぜさんの「工夫」っていうことだ。
そのやり方が拙い。ことだけは、比較的長く生きている者として、恥ずかしいことだ。と、思っていたい。
きちんと、自分なりに精一杯、積み重ねた一瞬一瞬があるなら、どんな不安や怖いも悲しいも、もっと違った受け取り方が出来る筈。
身の回りを整える。自分の心を整える。身口の行いは本当に「基本」で大切ですね。

まあ偉そうに書いてんだけどさ、要は、出来る範囲で、基本を守っていきたいですねってことです。
いろいろあるからこそ、いざっていう時に
カバン、財布、タンスをぱかっと開けられる、
歯医者で見てもらえる、さっと裸足になれる、そんな感じ。
恥ずかしくないように。ひとつひとつの、細かな、「まあいいか」に勝って、「ちゃんと」が出来るといいな。
みんなが、幸せにしてくれた、私が。世界に。申し訳なくないようにね。出来るだけ。ずっと。

今日しか生きられないかのように生き、
永遠に生きるかの如く学べ
Mahatma Gandhi — 'Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.'
常の人、これが逆なんだよナ。
で 更に努めてその逆を。と言う。


*でも今日は本当にどよーん。(-    -)
紙にペンで物を書いても力が入らず、なんだこれな筆致に。
寝ろよっつう。